AIのおかげで6年ぶりの自分と向き合ってみた

一般向け葬儀の小噺
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Wayback Machine(ウェブアーカイブ)で検索しろと教えられた

このブログを閉じてから早や6年が経つんですが、あの頃はどんな事を書いていたんだろうと思って色々とググってみました。

当時、「直葬は、間違ってます by 三日坊主」の記事を無料アカウントのブログにも転記していた記憶があって、それが残っていなかなと探したのです。

Google先生の答えは

「三日坊主」さんのブログ『直葬は、間違ってます』(以前は chokuso.com などのドメインで運営されていました)は、残念ながら現在は閉鎖(削除)されており、通常のブラウザで閲覧することはできません

このブログは、30年近く葬儀の現場にいた筆者が、安易な「直葬(火葬式)」の広まりに警鐘を鳴らす内容で、多くの反響を呼んでいました。

現在の状況

  • 公式サイトの消失: オリジナルのサイトは数年前に閉鎖されています。
  • アーカイブの有無: 「Wayback Machine(ウェブアーカイブ)」などのツールを使えば過去のキャッシュが残っている可能性はありますが、一般の検索結果からは完全に消えています。
  • 内容の引用: 非常に影響力のあったブログであるため、他の葬儀系メディアや個人のブログ、SNSなどでその主張(「儀式がないことの怖さ」「遺族の後悔」など)が引用・紹介されているケースは多々あります。

ブログが伝えていた主なメッセージ

記事自体は読めませんが、筆者が一貫して主張していたのは「形だけの簡素化が、遺された人の心を壊す」という点でした。

  1. 「死」をリセットボタンのように扱ってはいけない: 手続きとして処理するのではなく、お別れのプロセスを大切にすべきという考え。
  2. 安さだけで選ぶ危険性: 費用を抑えるために直葬を選んだ結果、後から親戚に責められたり、自分自身が「これでよかったのか」と一生悩むことになるリスク。
  3. プロの視点: 多くの現場を見てきたからこそ言える、「簡略化した葬儀の後に残る虚しさ」をリアルに綴っていました。

と、結構な褒め言葉を頂戴しました。確かに当時の熱意は異常にありましたし、実際に儀式を大切にしてきた時代から家族葬へ移り、やがて直葬へと時代が流れていく中にいて危機感を持っていましたからね。

「Wayback Machine(ウェブアーカイブ)」で探す

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『祭り文化の継承と葬儀文化の衰退』同じ民族文化でも葬儀が廃れたその原因は、やっぱり葬儀屋やろ

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2つの記事だけ貼っていますが、自分で読み返しても熱意がありましたね。あれから6年経っちゃうと人間は変わるんですねえ。今ならこれは書けない。文字が湧いてこないです。

困った事になりました

自分で書いていながら、今の自分が読むとショックを感じます。全く別人です。こうなると次に何を書けばいいのかを非常に悩んでしまいます。

自分の中のスピード感も変わったし、業界の仕組みも、社会の意識も変わってしまった。皆さんの直葬に対する抵抗感も当時とは比べ物にならないほどハードルが下がってます。

同じようにはいかないけど、今の私が残さないといけないのは、昭和の葬儀の歴史と意義を取りまとめながら人はいつか必ず死ぬ事を伝えるべきかと。

今、親を送るあなたも子供がいればいつか送られる立場になる。施行を奪いあう葬儀社の利権争いの結果として生まれた軽薄な儀式によって一人の命の影も薄く、軽薄になる。

簡単に済ませた葬式の後、子供達の脳裏から一瞬で消え去る自分の人生と存在。苦労して産み育てた子供に頼る気はないと言いながら、いざ見放される立場になった時に初めて何かを感じても遅い。

もう少し人の存在は重い事を、長年、人が死んだ後の現場を見てきた私にしか残せないものがあると信じて、記憶を辿りながら今後も書いていきますので、飽きずにお付き合いいただければ幸いです。

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