葬儀業界って、健全な、絶対的トップ企業が生まれないんですよね

葬儀の小話

互助会全盛期:大阪編

私が小学生ぐらいの頃、八尾空港からのセスナ機が大阪市内上空を旋回しながら「センター・センター・互助センター・冠婚葬祭互助センター」と宣伝してました。

毎日、毎日、大音量でうんざりするほど飛んでいたのでいまだに覚えているんです。責任とってや、ベルコさん。

大阪祭典の隙間を狙って、阪神互助センター(現ベルコ)が勢力を伸ばそうという頃、子供の成長とと共に、やがておふくろも御多分に洩れずホイホイと加入していました。

「お母ちゃん、毎月500円の会員入ったから、あんたが結婚する時か私の葬式で使えるから安心やで」と、500円×60回払いの満期額3万円の会員を二つ。

おふくろにしてみればこれで全てできると思ってたんでしょうが、当時、料理の世界にいた私でも、そんな金額で冠婚葬祭ができる訳ないやろと思ってました。

まあ、親にしてみれば戦争で疎開した世代なんで、色々と苦労した貧しい時代を経験したからこそ、互助会に「安心」を託し、子どもに迷惑をかけたくなかったんでしょうね。

そんな人が全国であっという間に増え、様々なトラブルも乗り越えて今や大企業?となりました。と思っていたら、不思議な事に絶対的君主ではないんですよね。

方や全葬連側の君主:大阪編

40年以上前の大阪では公益社だったんですが、この頃の公益社は自治会などと全くと言っていいほど接点がなく、あちこちの地元で古くから営む葬儀屋も元気でした。

小さな葬儀屋は隣町まで出張って仕事を受ける訳でなく、互いに自分たちのエリアを守りながら家族経営でやっているところばかり。

隣町の葬儀屋は兄弟であったり、親戚だったりと身内が多い。そりゃそうです。この時代、そんな商売を誰が好き好んで開業するんですか。金回りがいいからやむなく代を引き継ぐ家業です。

公益社も御多分に洩れずそんな葬儀屋の一つだったんですが、ここが他とちょっと違ったのは開業場所が大阪の北浜。商売人が企業へと進化する過程で、「ええ葬式」が多かった事。

これは大阪の阿波弥も同じで、もともと淀川の水を売っていた商売が時代の変化と共に地元のお寺とのお付き合いがきっかけで、やがて葬儀屋になっていった歴史なんかもある訳です。

どちらも大阪の経済の中心地。ぶっといタニマチを顧客にできる環境が両者を成長させた要因でもあるのです。

そんな公益社はやがて上場する事になり、東京へも進出。大阪の雄として業界のトップに?とはならないんですよね、これが。

私の先輩が、町屋の葬儀屋ごときの分際で高級住宅地の帝塚山に住む方の社葬を受注するという、奇跡的な出来事をやってしまい、てんやわんやなった事がありました。

当時、社葬式場の定番だった千里会館は公益社の自社物件。他の定番だった北御堂・南御堂・四天王寺は、公益社と阿波弥しか使えなかった歴史もあったからです。

私の思うところ

これらの葬儀社を見てきて思うのは、日本も葬儀業界もムラ社会だなと。お互いに食い扶持を残さないと島国ニッポンでは生きていけない。

消費者にとっては、業者間の切磋琢磨の結果として納得の金額でサービスを提供してもらう事に繋がればいいのですが、葬儀業界はどちらかといえば談合の世界に近い。

この時代に至っても、葬儀屋との打ち合わせで200万円なんてのを目にしたのですが、高級軽自動車を買える値段ですよ。それを普通に致し方ないと思わせる業者もいるって事です。

しかもこれ、お返しの品・料理・供花などを含んだ結果としての200万円じゃないですよ、これからスタートの金額です。投稿した方も仕方がないかとポジティブ。

消費者もいざとならないと関心はないし、それにつけ込む業者もいるから生きていけるし、中途半端に大きくはなる。だから葬儀業界は健全な、絶対的トップ企業は生まれない土壌なんです。

現役の頃、町の葬儀屋が従業員も増えて大きくなって、その社長と話をする度に互助会を批判する人がいた。

でもその人も同じ時代を生きて、先見の明を持って先駆けてやれば全国区になっていたかもしれないけど、その人はできなかったし、やろうともしなかった。

どんな会社でも商売でも起業することはたやすいけど、継続して成長するのは大変な事。そんな皆さんを尊敬はしています。私には無理だし、才能が違う。

ただ、私に人徳がないからかも知れませんが、働いてきて思うのは、良い人だという社長はいますよ。でも、「この人のためなら」と思える方は一人もいなかった。

それが葬儀屋の世界。だからトップ企業なんて生まれない。

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