「阪神・淡路大震災」葬儀屋人生で忘れられない日々・その2

葬儀の小話

これを三途の川と言うんだろうか

震災直後の仕事を終えての帰り道、一番ショックを受けたのは、同じ尼崎でも川一つ越えたJR尼崎駅近くでパチンコ屋や風俗店が普通に営業していて、そのキラキラネオンが目に入った時です。

別にそれが悪いという訳ではないのですが、震災直後から尼崎で3日間も缶詰状態で社員と一緒に会館で寝泊まりし、現場に出れば倒壊した建物を横目に悲惨な状況を見た帰り道だったからです。

地獄のようなところにいながら、橋を渡れば自分の住んでいる現実に引き戻されるのです。私も、家に辿り着けばビールを飲み不自由のない食事をする。暖房は効いているし、暖かい布団がそこにはある。

でも、翌朝起きて車に乗って尼崎に着けばそこは被災地。避難所生活を送り、炊き出しでお腹を満たす人がいる。自宅は崩壊し水も電気もない。職場も仕事も失った人がそこにはいるんです。

あなたはなぜ、葬儀屋に?

これから葬儀業界に入る人。今も頑張っている人。なぜ、その仕事を選んだんですか。今はそんなに良くないけどお金がいいから?

24時間呼び出されて自分の身を削り、疲労困憊・睡眠不足・長期休みを取れない業界。これらは少しは改善されてきているけど、本質は変わらない。

元々、料理をやっていた私が葬儀業界に入ったきっかけは、お店を潰して借金を返さないといけなかったから。500万くらい残った借金を返すには、当時の料理業界の給料では無理でした。

若かったし、腕も立つと自負していたから、面接で給料は30万円以上でなんて希望を言ってたけど、当時は20万円もらえたら御の字の時代だったので出るはずがない。

スーツを着る仕事は衣装代にお金がかかる。宅配便のヤマト運輸が台頭しだした当時、佐川運輸なら頑張れば50万円稼げると言われてたけど、違反で免停になるとこれも終わってしまう。

思い悩んでいた時に目にしたのが葬儀屋の求人。給料はいいけど葬儀屋か… と悩みながら面接だけでもと行ったのがきっかけでした。

担当の支店長がすごくいい人だと感じて、あれこれ仕事の内容について聞いていました。面接が終わり、帰ろうかというタイミングで寝台要請が。

「一回見てみる?」と言われ、一緒に病院へ。「足持てる?」と、これまた聞かれ大丈夫ですよと言いながら、恐る恐るやってみたけど大丈夫。

会館へ安置して「どうやった?」と聞かれると同時に3千円の寸志をくれた。支店長もいい人だし、ちょっと運んだだけで3千円も手に入る。

亡くなった方に触れるのも違和感は感じなかった。と言うことで、翌日から勤めて約30年間業界にいたのが私です。

生死感のズレ

そんな私がそれなりに経験を積んだ頃に起きた災害。いとも簡単に地獄と天国を行き来できる日々に放り込まれ、何が正しいのかがわからなくなってくる。

自分はたまたま被災者にならなかったけど、もし当事者になっていたらネオンキラキラを恨むんだろうか。キラキラの人も生活があるから仕事をやっているだけで、そもそも震災なんてなければそんな事すら考えない。

避難している人はそんな事すら見えないし考えてもいない。どちらも生きるために必要な事を今やっている。お互いを比べ合うなんて事もない。

そんな生活を1年ほど過ごしながらも私の毎日は変わらない。唯一変わったのは、葬儀担当者としての自分の意識だけは確実に変わりました。

まさに一期一会を実感しました

担当として出会う喪家も、喪主も、またその葬儀を担当するスタッフも皆、一期一会。元々、手を抜く性分じゃないけど、より深く気持ちを探るようになった。

自分で思うところの、葬儀屋になって一番進化したのは全体の絵面を「見る」のではなく、「観る」能力。

お迎えの病室に入った時から感じる感覚。車中での会話。故人宅に戻り眺める景色。集まる人々。流れる会話などから感じる違和感。

その全てに対して感じる事が、震災での経験を経てより一層研ぎ澄まされて「観じる」事に変わったと思います。

いい意味では、相手の悲しみの心を受け止める一つ先の準備ができる事。悪い意味では、問題発生、特にクレームに対する防御が一つ先を読んで準備できる事。これらがより正確になった。

20代で葬儀業界に入り、小遣いは寸志で全て賄える時代を経て、震災時の私は現金で3万円も4万円も持って帰るバブル期の終焉時。もう変な意味で天下無敵な状態です。

ですが震災の現場に足を踏み入れた事で、世の中の不条理な事を思い知らされ、怖さを見てそれが少し慎重になった。そんな転換期がこの時だったのです。

いい葬儀屋人生を送ってください

ご遺体に慣れている葬儀屋もいずれ死にます。当たり前のことなんですが、多くの人はそう思っていない。だからお気持ちを察した風でお悔やみを言う。分かったような事を言う。

喪主を経験した事がない人の「お気持ちはわかります」なんてあり得ないんです。だって、その立場に立っていないし、生きている人が死ぬ瞬間を見ていないから。毎日見るのはすでに死んだ人。

私もよく言ってました。「喪主様のお気持ちを」なんて言葉を。でも、わかってないんです。親を亡くした事がなかったから。同じ立場に立った事がないから。わかった気がするだけ。

でも震災直後から、否応なしに人が亡くなっていく現場に3日間いた事が、私には親を亡くした事と同じだった。キラキラネオンと被災地を行き来することで、何かが変わったのは確かです。

どんな些細な事でも何かを感じるかどうかは受け手次第。逆にとんでもない事を経験して乗り越えられなかったらトラウマになる。無難に生きるのもいいし、提灯持ちの人生を送るのも自由。

私も支店長の人柄の良さとお金がいい事から始まってやってきた。いろんな困難も経験した。その上で言うなら、葬儀というとんでもない仕事をやっているその機会を活かさないのは勿体無い。

私が駆け出しの頃はヤクザな仕事と言われた職業で、本物のヤクザも、ヤクザと近い関係の人もたくさんいましたが、葬儀屋の本質はそこじゃない。

どなたも縁があってやっているこの仕事の目的というか、功績は自分で徳を積む事。自分には返ってはこないけど、後に繋がる世界に紡いでいく事だと思ってます。

なので偉そうにいうつもりはないけど、そのヤクザな世界で真っ直ぐ生きて、なんでもいいし、小さくてもいいから成功を目指してボチボチと頑張って欲しいと願う、三日坊主でした。

「阪神・淡路大震災」葬儀屋人生で忘れられない日々・その1
1月17日 午前5時46分ブログを再開するにあたって、やはり葬儀人生の中で一番忘れられない出来事の「阪神・淡路大震災」での経験を最初に書きたいと思いました。1995年1月17日。その日は、大阪・八尾市の自宅で揺れたと同時に驚いて飛び起きまし...

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