『葬送儀礼から直葬へ』弔いの変化を防げなかった罪人たち | ページ 4 | 直葬は、間違ってます by 三日坊主

『葬送儀礼から直葬へ』弔いの変化を防げなかった罪人たち

交わらない「やり方」

まず、時間の概念が折り合わないことが出てきました。葬儀会館へ移行しても、当時は帳場の縮小版として、村は受付を仕切っていましたからかなり厄介な存在でしたし、お寺もこれまでのやり方を通そうとするため、葬儀社のタイムスケジュールと折り合いが悪くなってきます。

葬儀社は会館をうまく回すため二つ式場がある場合、午前中の葬式と午後の葬式という具合にしたいのですが、村は先に「ご飯」を食べて、その後の葬儀が基本ですからど真ん中の12時からを指定してくるのです。そうなると葬式は一件しかできないため、先には食べず、出棺後の仕上げ料理でお昼ご飯併用にしてほしいと喪主に泣きつくわけです。

葬儀全体の内容を決めるにしても、帳場が立たないのですから全て喪主・施主が判断する事になります。

これまでは葬儀全体の大まかな規模を先に決めてから進んでいたため、まず全体的な予算があり、供養品や供花・供物など数が変動すると金額が変わるものを除いた、実質的な葬儀社への予算も決まっていました。

祭壇費用を決めれば棺も霊柩車も含まれていたのでオプション的なものが少なかったのです。祭壇金額が上がれば棺のグレードも上がり、仏衣も豪華なものに変わるし、霊柩車のランクも変わる仕組みです。

湯灌業者が登場してきた頃、これを売り込むのがひと苦労だったのは、湯灌や納棺は遺族がするものであり、その指導・立会いは村の長老が行ってきた経緯があるからで、お金を払うなんて概念はなかったのです。

こうした環境の変化によって、これまで窓口となり監査機関として機能していた葬儀組・帳場の管理下にあった葬儀が、葬儀社と喪主の両者で直接やりとりをする葬儀に変わり、それにより喪主の負担は著しく増大しました。

お寺も、気難しい菩提寺との付き合いがない、都市へ住んでいる分家の兄弟などの場合だと積極的に「紹介」するケースが増えていきます。葬儀社とお寺もビジネスとして付き合いをする者同士の間では良好な関係を構築していくのですが、葬儀ビジネスに不向きな村のお寺は排除されていくのです。

トップへ戻る