『葬送儀礼から直葬へ』弔いの変化を防げなかった罪人たち | ページ 2 | 直葬は、間違ってます by 三日坊主

『葬送儀礼から直葬へ』弔いの変化を防げなかった罪人たち

一つ気になる意見を紹介いたします

フォーラムの中でとても気になる意見がありましたのでピックアップいたしました。

●長男の嫁です。義両親の際、看病があり、葬儀を終えるにはかなりな体力を要しました。仮通夜のようなこともしましたのでご近所の方々もいらっしゃり、通夜、本葬では義兄弟の連れ合いの親戚や勤める会社の方々も多数来られました。帰宅直後、義兄弟から『誰からいくら香典をもらったか?』と電話があった時には虚無感だけでした。ゆっくりと義親を悼むことが出来たのはかなり後です」(大阪府・50代女性)

「朝日新聞デジタル 2018年2月4日05時00分の記事」より引用

故人の死を悼み、その出来事を通じて様々な事を学ぶ場でもあった葬儀という儀礼がやがて商業主義へと移り変わり、いつしかイベント的な要素が強まった事で「何を大切にするのか」を多くの方は忘れ去ってしまいました。

今や煩わしさからの解放と金額による価値観だけが判断基準となり、葬儀とは言えないカタチでも葬儀式と呼ばれ堂々と販売されている中では、喪主、そして喪主の伴侶として死を悼む事の難しさを教えてくれています。

時代の移り変わりと共に置き去りにされてきた「喪主の思い」を考えるためには、まず、葬儀というものがどのように行われていたかを、もう一度、お話し、そこから考えるべきだと思います。

イケイケの葬儀社の二代目、三代目の若旦那やIT時代の葬儀社のやり手社員の中には、そんなものは過去の形であり、核家族化が進み、生活スタイルも大きく変わった現在では葬儀の価値観も多様化している。職人時代の話は参考にならないと言われそうですが、だからこそ多くの人が忘れ物に気付かないのではないかと感じるのです。

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