次世代の葬儀社の中でトップに立つのは誰だ

スカイダイビング
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戦中戦後から葬儀業界は近代化を迎え大きく発展してきました。現在、葬儀に関する価値観が大きく様変わりしようとしている危機的状況下にありますが、果たして葬送儀礼の文化を守れる、次世代の葬儀業界トップを取る人間には何が必要なのかを考えてみました。

近代葬儀社が生まれた背景

明治から大正、昭和にかけて、現在では考えられないほどに、大阪府や市も葬儀社の組織化や施行内容にまで率先して言及していた時期もありました。また戦中には経済統制政策がとられ、葬儀社も統制会社により合併などを経て現在の姿に変革していく事となる。そういった流れの中で昭和7年に設立されたのが、今や有名企業となった公益社でした。

戦中戦後は、統制経済の影響や物資不足、また経済の復興もままならない事から新生活運動が盛んになり、質素な葬儀に努めるようにと提唱されたが、景気の上向きとともに徐々に葬儀の内容も変わっってくるようになったのです。

また、この頃には等級ごとに葬祭費用の標準価格を設定して「ささやかではあるが、安心感のもてる葬儀の企画と価格を定めること」を目的とし、指定業社を取り決めた大阪市規格葬儀制度も実施されました。(制定以来、ほとんど有効活用されていないケド)

そんな中、この時代にも消費者に対して真面目に取り組んでいた葬儀社もあれば、葬儀等級通りの飾り付け、施行をせず暴利をむさぼる業者もいたそうで、全く今現在と変わりはない。葬儀業界は時代が変わってもやる事は同じなのかと資料を読んでいても思ってしまいます。

この時代の葬祭業界を鑑みる時、宗教学者で、大正大学 文学部 人文学科 教授の村上 興匡(むらかみ こうきょう)氏が2006年3月に発表された、大阪の葬儀業界の歴史や行政の関わり方などを、葬祭業者、鈴木勇太郎の『回顧録』や、公益社社史『全葬連二十五年史』、『冠婚葬祭互助会四十年の歩み』等の社史を資料としてまとめた論文「都市葬祭業の展開と葬儀意識の変化」が非常に参考になるので一部を引用させていただきます。

昭和13年ごろから戦中統制経済が顕在化し、同16年には博善社、北公益社、典礼社、南公益社の四社を吸収合併し統制会社となった。この統合に対して、駕友の鈴木太右衛門が中心となって,そのほかの市内業者を統合し、大阪葬祭自動車統制株式会社を設立した。18101日にはその両者も合併して統合会社「公営社」が作られた。その後、府下の全霊柩自動車業者も加わり、霊柩車事業についても一元的統合が完成した。

昭和20年の終戦を迎え、10月には社名を株式会社公益社に戻した。終戦直後は物資不足から死者があってもただ火葬に付すのが精一杯で、一般葬儀の仕事はあまりなかった。当時は多くの行路死者があり、進駐軍総司令部の指示で公衆衛生上の必要による行路死者等の検案および解剖を行う大阪府死因調査事務所が開設されることとなった。公益社はその遺体搬送業務を一任されることとなった。

大阪では公益社がリードしていたんですが

この流れから、大阪では長い間、霊柩事業は公益社だけしか行えない状況が続きました。また、元大阪府知事の親の葬儀を執り行うなど様々な実績により、大阪における企業の社葬を引き受けることも多くなり、行政から依頼され慰霊祭なども公益社が担当する事になったのです。これが、社葬といえば公益社と言われる所以でもあります。

霊柩事業を独占していた時代には、大阪市内の火葬場申し込みの、夜間における仮受付代行を長らくやっていたのも有名な話です。当時は、公益社以外に霊柩車を持つところもなく、霊柩車が埋まるという事は、火葬場も埋まる原理なので自分たちの配車手配を手際よくするためにも請け負っていたと思います。

その後、モヤモヤと湧いて出てきたのが互助会です。昭和23年には初めての互助会として横須賀冠婚葬祭互助会が誕生したと全互協が言ってますが、おそらくこれ以前にも頼母子講のような組織として活動していたであろうと推測されます。

全国各地で模倣した組織が出来上がってくる中、会費を預かりながらも、ちょっと面倒な問題も起きたんでしょう。40年代にかけて行政・業者側も準備を進め、前払い式割賦販売事業として法規制がかけられ、(若干、割賦販売法を拡大解釈した適用を行っていると思いますが)許認可制となり前受金の供託も義務付けられるようになったのです。

何せ、古くから掛売りは存在していましたし、地域によれば盆暮れ時にだけ支払いするなんてのもあった訳です。ローンではなく、商店独自の「分割払い」も存在していたのですから、逆に商店が独自に葬儀代金を前立てで預かっていたと考えられるからです。 

設立趣旨・理念って変わるもんやったっけ?

全互協のホームページには互助会の趣旨として次のようなコメントが出されています。

昭和23年に日本で初めての冠婚葬祭互助会である横須賀冠婚葬祭互助会が設立されました。冠婚葬祭互助会の名称は冠婚と葬祭の二大儀式を「互いに助け合い」の礼をもって送りたいという相互扶助の願いを込めたものです。
 終戦後、焼け野原となった横須賀で物資が不足する中、親たちは子どもの結婚式の門出を祝う花嫁衣装を買ってあげる事もできませんでした。そこで隣近所のみんなが少しずつお金を出し合い、1着の花嫁衣装を購入。その1着の花嫁衣装をその地域の花嫁さんがみんなで大切に着回しをしたそうです。少しのお金でもみんなが互助の精神で助け合い、力を合わせれば立派な結婚式やお葬式もできるはずだと、始まったのが冠婚葬祭互助会の起源であります。この相互扶助の「一人が万人のために、万人が一人のために」という考え方が、当時の戦後のすさんだ人々の共感を呼んだのです。
 また、当時、生活の改善、合理化を進める新生活運動とともに、互助会の合理的で利便性の高いシステムが当時の世相に迎え入れられ、深く根を下ろしていくことになりました。

ちょっとツッコミを入れたくなる文言です。「少しのお金でもみんなが互助の精神で助け合い、力を合わせれば立派な結婚式やお葬式もできるはずだと、始まったのが冠婚葬祭互助会の起源であります」とありますが、現在、この理念は存在しているのでしょうか。

この相互扶助の「一人が万人のために、万人が一人のために」という考え方が、当時の戦後のすさんだ人々の共感を呼んだのです。と言ってますが、今や万人の資金が一人に集まっているように感じるのは三日坊主だけでしょうか。

設立時の趣旨が不変ならば、現在でも、お金をかけれない環境にいる人々に対して互助の精神を持って助け合い、立派に儀式を務めさせてあげるためには、もう少しお手頃な値段設定の方が理念に沿っていると思いますケド。昔と違い、現在は立派な儀式をあげるためには結構、お金がかかるようになったのですね、互助会さん。

思わずツッコミが長くなりました

戦後、経済成長期に創業していた葬儀社・互助会は先代の葬儀事業を受け継いだか、その当時に開業したか様々ですが、その何れにしても、葬儀業界を形成する大きなターニングポイントであった事は間違いありません。戦後成長した事業を受け継ぎ、現在、代表者や会長として君臨する方々は、昭和の一桁あたりの生まれの方が多いと思います。

戦後に葬祭業を創業または継承された代表者を仮に第一創業時代としますと、現在は第二時代の方が会長、もしくは代表者として事業を行いながら、第三時代である後継者へその事業を受け継ごうとする時代でしょうか。親(社長)の年齢でいうと70代から上あたりでしょうか。子供(役員)は40代から50代前後になりますかね。

すでに引き継いでいるところもありますが、今、この第三時代に引き継ごう、発展的継承を行おうと、どこもかしこも躍起になっています。これまでに無い、葬儀業界を取り巻く厳しい状況の中、築いてきた資産をフルに活用して成長を目指しているが、残念ながら世は戦国時代さながらであります。

巷に溢れる、直葬などを葬儀と称して小商売をする葬儀屋。儀式はそっちのけで金額で葬儀を選択する文化を推奨し、既存の葬儀社へ仕事を振り分ける事業を業界の改革だと勘違いしているIT系葬儀紹介業者。一般社団法人などを活用して、終活資格商法からの葬儀誘致に躍起になる一部の葬儀社。これらに掻き回されながら厳しい環境の中を生き抜き、トップを取れるかどうかは、資金の潤沢さではなく、後継者の資質が最も重要視されると思います。

親を超える人間は出てくるのか

第二世代のトップは、ベルコ・セレマ・東京友の会を取りまとめる齋藤秀市氏でしょうか。でも、この位置には誰もが到達するチャンスは平等にありました。地元の小さな葬儀屋さんにしても、老舗の葬儀社の社長にしても、全国一位になるチャンスはありました。でも、なれなかった。多くの葬儀屋さんは互助会を批判しただけで終わってしまった。やればよかったのに。

やはり、なるべくしてなったのでしょうか。何が違うのでしょうか。私がお世話になった葬儀社の社長も同じような年代ですから、なれたかもしれません。が、なれなかった。器なのか。天に認められなかったのか。ま、それがわかれば皆さんがなれるのでしょうが、なった人にしかわからない。

おそらく、ご子息も理解できないかもしれない。だって、頭の中を見れる事がないので、どのような言動がそのエッセンスなのかは視覚的には理解できないと思うのです。で、全国トップではなくても、親の事業を子供が受け継いで次のトップになる可能性は、これまた誰にでも平等にあります。

そんな家庭環境に育っていないし、そこまで金持ちの同級生もいないので全く考えがわからないのですが、どのような考え方、人間性を持つものだろう。金儲けに偉大すぎる親が大きな会社に成長させていて、その事業(家業)に入ればレールに乗るように役員になるし、お決まりのように社長のイスが待っている。周りは腫れ物に触るように持ち上げてくる。

我々庶民と違い、殿は初めから殿なのです。ま、同じ人間なんで悩む事はあるんでしょうが、その種類は違うのでしょうね。1万円に悩む人間と、1億に悩む人間では悩みのレベルが違うかもしれない。だが、高いところに架かっているレールの上で大きな会社をコントロールするには、スキルだけでなく、それ相当の人間性も兼ね備えていない事には運転できないのです。

さあ、トップに躍り出るのは誰だ?

これまでの葬儀社を見てきて思うのですが、どれほど大きな会社でも、企業と言えるレベルにはないですね。その内容は葬儀屋ですし、仮に文化の継承のためにと葬儀を研究するようなモノを作ったとしても、その趣旨には葬儀業界全体の事を憂いての行動ではなく、あくまでも自社を含めた同業者の既存利益を守るための団体の色合いが濃いとしか思えない。

ひょっとすると利益の分散を狙っての法人かもしれないし、天下り先としての受け皿かもしれない。このような環境の中、なかなか同族経営は変わらないでしょうね。何億、何十億と売上げても家族会社は役員にとっては家庭内と同じ事。大きな家がそこにあるだけのように感じてしまう。

社長と役員でもめている内容は親子ケンカ。役員同士の意見のぶつかり合いでは、まるで兄弟ケンカ。上場してもしていなくても、家族の色合いが濃い社内環境は、そこで働く人々にとっては非常に面倒臭い事に変わりはない。誰もが意見を言える環境にもない中で物事は家族会議で決定され、社員はそれに翻弄される。

その世界で生まれ、生きる事の難しさや悩みは到底、理解できないチンケな人間である私ごときが申し上げる事では無いかもしれないけど、私と同じく、多くの庶民が葬儀の仕事をしたいと思った時には、そのような家族会社に就業するか、自分で起業するしか無いのです。

周りを見ても選択肢が無い

ただ、多くの方は就業という道を選択するでしょうし、その時、どこを見渡しても面倒くさそうな会社ばかりが並んでいる。どのような会社、仕事であっても、すべてが自分の思う通りにいかない事は理解しているが、それを努力して、辛抱を積み重ねながら精進したところで同族会社では役員にすらなる事は難しい。

そんな環境では頑張ったところで先がないと感じてしまう。葬儀業界の次の世代を担う、これからの若い世代にとっては魅力のない業種になってしまわないかと案じます。正当な評価を受けれる環境を作れる後継者、葬儀の仕事に携わる事が金儲けのアイテムではなく、自身の徳分を積む天職だと思えるような後継者がトップを取ってほしいと願っております。

多くの勘違い役員を見てきましたが、自分が裸の王様だと思っていない人が多いのもこの業界のややこしいところ。素敵な会社に変革できるかどうかは、トップの資質にかかっているのはどなたも理解していて、自分にはできる、資質は備わっている、人より苦労もしている、人の心も理解している、皆んなは自分についてきてくれていると頑なに思っている人間が多いのも事実。

周りの社員・従業員は何に付いてきているのだろう。あなたの人間性でしょうか。会社の魅力でしょうか。やりがいでしょうか。それとも、皆さんと同じく、ただお金のためだけでしょうかね。ただ、いい人材を集めて、離職せずに長く務めてもらう事が次世代のトップを取るためには絶対条件なので、結局、そこのところは経営者の写し鏡だと私は思っています。

あ〜、どこかに素晴らしい社長さんいらっしゃらないでしょうか。そのような方と出会えないのも私の不徳ゆえなんでしょうね。

もし出会えて、その方が心底尊敬できる方なら、三日坊主は誠心誠意、忠誠を誓い、残りの人生を葬送儀礼の次世代への継承と、その人のため、その事業のために、夢のために生きてみたいと願っております。

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