テキトーな葬儀をしていてはダメだと言うこと

消えるローソク
消えるローソク

福祉葬儀より安い葬儀をしてはダメだと言うこと

友人に生花業を営む者がおりまして、彼が言うには「最近の個人の葬儀屋はおかしい。福祉より安い金額で葬儀をしたらあかんって」で、「ほとんどが一回きりの依頼しかない。次は無いとその連中は分かってて、食い荒らしている」と。

確かに10万円ほどの葬儀金額では当然、供花も出ないし、そんな業者が一発仕事で行う葬儀のために、既存の葬儀社も振り回される。消費者も、同じ業者に再度、依頼する事も少ないという。

彼が請け負っている葬儀社の施行数も、年々、減少傾向にあり、少なからずとも一発屋の直葬屋連中に持って行かれる仕事の影響が出ている。施行金額も下落し、通常の祭壇アレンジ花等の依頼は少なくなり、その発注金額もどんどん下がっていく。そして、参列者の減少により、供花も出ない。

供花の売価は、全国的に若干違いはありますが、おおよそ1基1万円ほど。葬儀屋への卸値はその7割か8割くらいになります。彼のような環境でそこから利益を出すには、相当の仕入れ調整と在庫管理をしなければいけない。

花を安く仕入れようと思えば、生花卸売市場でセリ落とすというのが一般的でしたが、最近は、ネット上で販売する問屋がその市場に出る前に先取りしたり、産地と直接取引きをしたりするので市場に出回る数が減り、セリ落とすのにも苦労する。

友人の場合、2週間ほど葬儀社から発注が入らない時も年に何度かはあるので、コストを下げようとセリで落としても、必要以上に仕入れた場合、それを使い切らなければ結局コストが上がり、結果、利益が出ない状況になるのです。

菊だけではなく色花も必要なので、すべて市場で仕入れた場合、ケース単位のため枯らしてしまうリスクが上がる。で、無駄なく仕入れようと本数単位でも買える問屋から仕入れた場合、単価は上がり、こんな時に限って葬儀が立て込むのでこれも利益を削っていく。

そんな環境の中で、減少する発注にも我慢しながらも、いわば、”下請けとしてメシは食わしたる”から自社専属の生花社として仕事をしてほしい、他の葬儀社の依頼があっても断ってほしいと、彼が独立した時の先代社長からのお願いを、約束事として頑なに守っているのです。

業界に長くいる友人は、他社にも知人は多いのですが、彼を知っている、また、彼の知人を介して、個人の一発葬儀屋は他に発注するところが無いため生花を依頼してくるが、彼も、そんな直葬屋の仕事を手助けしたら、葬儀業界がますますダメになると思っているので決して協力しない。すべて断っている。

正直、喉から手が出るほど仕事もほしいが、亡くなった先代に申し訳ないからと義理堅く断ってきている中で、彼の言葉の中には”しっかりせえぇよ、世の中の葬儀屋の後継ぎさん達よ”の思いがあると感じたのです。

花八層倍(はなはっそうばい)も大変な時代になってきました

葬儀社は、喪家などからの依頼を受けて花屋に発注。並べるのも花屋。名札を作成するのも花屋。お別れの際に供花を切るのも花屋。何もしないというか、生花の枯れがないかを確認する程度で3割の利益を得ます。(確認すらしない担当者もいるが、論外)

生花業者は、上代の7割の卸値の中から仕入原価とその他のコストを賄います。そのため、数社の葬儀社と取引があれば、花は回せて利益を確保しやすいのですが、友人のように一社と取引しているところだと、その葬儀社の施行加減によって大きく左右される事になります。

かと言って、数社と取引しているところでは、生花業も葬儀社と同じで、忙しい時は、同じ日、同じ時間に集中する。突然の追加などにも対応しなければいけないので、会館付きの生花部なら移動に時間やコストはかからないが、基本は自店へ取りに帰らないといけない。

そのコストも結構なもので無駄が出やすい、そして繁盛期と閑散期の人員配置にも無駄が出やすく、人件費に圧迫される結果にもなります。

最近では、水車や庭道具などは使わなくなり、式場入口に飾る”大樒”も、使用しないケースも出てきている。これも、生花業者にとっての販売商品なのですが、このような小さな売上もなくなってきていて、花八層倍(はなはっそうばい)と言われた商売も大変な状況になってきているのです。

ところが、中にはこんなに景気のいい花屋もおりまっせ

互助会などでよくある、供花の使い回しがブンブンできれば、一度の仕入れコストで販売した花が、2回目では仕入れ半額、4回も使いまわせば全体の仕入れコストを4分の1に下げることなり、当月における総合的な観点で見ると全体の仕入れコストを大きく下げる事になります。

無いとは言い難いのですが、当日の葬儀で残った供花を、その日の通夜に回せれば、それは葬儀社に対する卸値すべてが利益になるという事です。意図的に残そう、残そうとし、お別れ用に前もって”切り花”を用意するところなら、そんな事を優先事項にしている証拠です。

月間の売上げに対する仕入れコストをいかに下げるかは、どれだけ使いまわせるかによってかなり変わってくるという事で、互助会の生花を請け負いしている責任者が、結構、”ええ車”に乗っている理由もわかります。

この組織もピラミッド型に形成され、先駆者にとっては大きな利益を生み出します。自身が管理する生花部からの利益、その配下にぶら下がる系列独立者の”かすり”を、チュウ、チュウ吸いながら、夜の会議と高級車の費用に回していく。先駆者同士の”蔑めあい”を逃れた者が勝者です。

そんな環境に身を置いていたら、直葬屋の問題や、葬儀文化とか、その葬儀で生活をさせていただいているなんて考えは存在しないでしょうね。

古くからある町の生花業と、葬儀社の関連業社はどうなっている

施行単価の減少と、施行数の伸び悩みに苦悩する取引先の葬儀社の苦労を手助けするように、直葬屋にホイホイと生花を配達するところも多く、どうなってんだかって感じです。

葬儀というものを大切に考えるなら、取引先としては「御社の葬儀に対する誠意と、理念が感じられないので、当社としてはお取引はできません」という態度で業界を守るべきだと思うのです。安易な業者が蔓延る(はこびる)事で、自分達の商売の未来も無いというのを考えないのでしょうか。

葬儀社を様々な理由(依願退職、懲戒解雇、不正行為等)で退職し、安易に独立開業して葬儀屋を始めた連中だが、ネットを活用しても思うように仕事が入らない。で、様々な葬儀紹介業者に登録し、その仕事を受けようとする。

たまたま入ってきたその仕事は、単価の安い、紹介リベートの高い葬儀なので儲からない。でも、何も仕事が無いよりはマシかと考え、息継ぎにそんな仕事をこなしく。いつか、そこそこ儲かる仕事が入ってくるだろうと考えて…それが、葬儀の文化や儀礼にとっては大きな迷惑だと思うのです。

そんな連中に葬具や生花を卸す事に、昔は関連会社も規律をもって対応していたのですが、最近はお構いなしで取引を始める。”社長、社長”ともてはやし、独立した連中もそんな気になってくる。どちらも、目先の数字と利益を追いかける事しか考えないからでしょう。

”今の葬儀は不明瞭な価格が多い”とか、”真心込めてお世話をさせていただきます”なんて言いながら、真心込めて、不明瞭な世界を作り出しているのは、この方々ですけど。

独立は、自由だぁ!

商売に自由はあるので、独立はどうぞなんですが、やはり、事業や会社は、その世の中にとって役立つものでなければダメだと思いますし、この事業を通じて社会に存在する意義と、社会貢献に役立つ存在でなければどうかなって感じます。

葬儀業界が自分たちを守るために取引先を制限するのではなく、きちんと資格を持った葬儀社であれば個人であっても業界が応援するぐらいの度量がなきゃだめですよ。そんな信念と理念を持つ葬儀社なら、業界として応援できる環境も必要だと思います。

そのためにも、葬儀業を営むための法的な整備、資格を設けるべきでしょうし、数年に一度、その監査も必要だと思います。

お互いの利益ばかりを考えるルールではなく、葬儀そのものを大切にして、後世に残していく考えが業界に必要だと強く感じています。

三日坊主は、一生懸命にアプローチしているのですが、なかなか返事がこないので、どなたか、葬儀業社、宗教関係者、葬儀関連業社、それに士業と言われる専門家を交えて、国、市町村単位で監督省庁を設立してやろうって思う、政治家の方をご存知でしたら紹介していただけませんかね…

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コメント

  1. LAW より:

    昨日、東京・戸田葬祭場にいました。
    13時45分から15時10分までいましたが、14時過ぎから
    着棺するのはきちんとした霊柩車ではなく、バン型ばかり・・・
    かなりの比率で直葬でした。
    御喪家の人数も現地集合で最高15人位です。
    待合室も420円の個別椅子を入れるので、入りきらない現象がありました。
    直葬屋だと思いますが、頭を車の尻に入れている阿呆がおりました。
    棺台車に乗せるところで火夫さんの指示で、3~5秒ぐらいで反転させていました。
    ちょっと貧相で、故人様が可哀想でした。
    そりゃあ、東礼自動車の高級洋型自動車と比較したら可哀想ですが、
    自分が酒飲む金があれば、それで洋型霊柩車位出しなさいって感じです。
    1時台の洋型霊柩車が着棺する時には緊張していた火夫、宰領も、
    3時の最終には和やかに動いていました。
    その裏では、葬儀社が裏口周辺で、仏具やオアシスにすでに刺さった花を
    車から降ろして、葛籠などと順番に式場に運び込んでいました。
    霊安室から誰にも付き添われずに無言で出ていく布張り間は、
    100メートル先のエントランスに白ナンバーバンで直行して、
    誰にも付き添われずに最上等(安い炉)へと棺台車で運ばれました。
    たぶん行旅死亡人ですね。
    チンケナ掘っ立て小屋でも告別式が営まれておりました。
    こりゃまた、なんちゃって出棺です。
    昭和のエステマですね。あんなボロイの見たこたないですよ。
    ナンバープレートにナンバーはなく、敷地内用バンです。
    「戸田葬祭XX」とか書いてありましたが、200m位ぐるりと半周して
    エントランスに着く。家族は遺影をもって同時に着く。。。
    やっぱり、多少はお金をかけないと寂しすぎます。

    • 三日坊主 より:

      コメントありがとうございます。
      関西でも同じような感じなのですが、やはり大阪と違って、人口は約5倍の東京。
      それだけ、より直葬的なものが目立つのでしょうね。
      地方からの集まりも多い東京では、その後、親族や身内と連絡を取れない、取らない方も
      多いのかもしれませんね。

      でも、根本の問題はもっと根深いかもしれませんね。
      世の中全体がなんかおかしいと思ってしまいます。

      人って生きているうちは税金も納めて(中には納めない方もありますが…)
      少なからず、どなたでも国の生産力として、どんな人でも人口統計に計上され
      ”国民”と呼ばれるその存在を憲法でも保障されているのに
      身内もなく、孤独で死んだら国の知らないところでポイですから。

      遺体を金儲けの商品としか考えない業者もですが、消費者もまた同罪だと思います。
      今の子供達が成人して、親を送る時に「あ〜めんどくさいから、宅配で引き取りに
      来てもらって」なんて言い出すんじゃないですか。

      その連鎖はいつまでも続いちゃいますし、現に、今始まってしまってますもんね。
      数千円で殺人を犯す、命の価値観がおかしな事になっている世の中です。

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