”葬儀屋さんは修行するべきです” せめて自分が毎日手を合わす事ぐらいしないと喪家さんに説明できないでしょ

合わせた手で顔を支えて微笑む天使の子供
合わせた手で顔を支えて微笑む天使の子供

ビジネス的な観点で葬儀を見てしまうと、どうしても宗教とは切り離したところで考えないといけない。でも、人は死ぬという事実と宗教に一番近いのは葬儀屋さんなんで、そこはちょっと気にしてほしいなと。

今回はちょっと宗教観的な話です

ほとんどの葬儀屋さんは、その経験によって葬儀に必要な宗教上の言葉は知っていますし、その作法がいつ、どのように行われるかの知識を得ていますが、普通はここまで。でも時折、宗教教義の専門用語をやたら使いたがる方がいて、会話の中でピュっと出してくる。

宗教者の方と接する機会も多く、その方々を特別視し、その世界へのお近付きが特別感?を感じて使うのでしょうけど、喪家の方からの質問や疑問に答えるにはそんな難しい言葉はいらない。「へ〜、よう知ってますなぁ〜」とはなるけど、葬儀屋さんは宗教者じゃない。これは、単なる奢りであり、知識亡者。

そんなに興味があるならもっと追求して、自宅でも手を合わし、お経や祝詞を唱え、霊地霊山に赴いて修行も体験すればとも思うけど、それ以上はない。というか大半の方はそこを追求しないし、自分の生活の中には入ってこない。

せっかく一般の方より機縁や仏縁をいただけるのに具現化しない。別に葬儀の仕事をする上で修行は必要とは言わないけど、自分の人生のきっかけとしては大きなポイントだと思うのです。

修行をしたからといって、我々愚生が何かを悟れる訳でもないと思うし、宗教者になる必要もないけど、興味本位でも構わないから、まずやってみる事が一番だと思うのです。そんなこと必要?っていう人も多いけど、やってもないのに頭で考えてでは話にならない。経験した事、経験した範囲でしか人は理解できない。

何も滝に打たれたりする事が修行でもない。大峰山に登る事が修行でもない。海や川で禊をする事が修行でもない。これらはあくまでもきっかけで、日々の生活の中に活かせる行為こそが修行だと思うのです。

きっちりとお掃除をする事も修行です。朝、みんながするからやる。そうじゃなくて、掃除ひとつでも取り組み方によっては結果も異なります。やらされているのではなく、地球の一部をお借りしているのでお礼にお掃除する。なんて思えば心も晴れ晴れですよ。借りたら綺麗にして返すなんて当たり前の事ですし。

得るもの、守るもの、目指すもの

きっかけを生かし、修行と言われるものを経験したら、その経験した分だけは何かを得ますが、苦しい事、叶わない事を払ってくださり、願い事を叶えてくださる。なんてのはありえません。私が言われていたのは、「お滝をいただいた分だけ早く自分の業に気付くことができるよ。薄皮が一枚づつ剥がれていくようにね」とだけです。それと、神さん、仏さんとの約束は絶対やでと。

この絶対に守るというのは厳しいものです。できない日も出てきます。病気になったり、都合がつかなくなったりするのですが、これを許さない自分と向き合うのが修行だと教えられました。百日お参りをすると決めたら、何があろうと行かないといけない。言い訳は許さない。そんな経験が自分を鍛えてくれるのだと思います。

このような経験をしたからといって、それが偉い訳でもなんでもない。勘違いの多くは、人が経験しないことをやったから自分は違うと思ってしまう。そうじゃなくて、仕事は葬儀屋さん。人と違うのは心の奥行きと、体現から生まれる世界観を持った葬儀屋さんにならないと意味がない。

例えば、ご主人の宗派が真言宗。奥さんの実家は浄土真宗。兄弟のいない奥さんのご両親は逝去していて、その法名を位牌にしてご主人の理解の元、家で祀っていた。そんな時、ご主人の両親が亡くなった。さて、今後はどう祀っていったらいいの、葬儀屋さん。

なんて聞かれて、多くの葬儀屋さんは「お寺さんに相談してくださいね」で終わると思うのですが、私はそれでは何のためそこにいるのかと思ってしまうのです。こんな時に修行ごっこに走っていると、自分の主観だけで説明してしまうし、無知なら丸投げになってしまう。

真言宗であれ、浄土真宗であれ、その教義は違うけど、個人的な主観で言えば、真言宗の仏壇に法名が一緒にあってもダメとは思わない。仏壇がお寺の代わりなら、そこが仏様の世界なら神様・仏様ってそんな狭っ苦しいもんじゃないと思うのです。

お寺さんの内陣にも機縁無縁の方の遺骨もあるし、境内には神様も祀っている。教科書通りには行かないからこそ、体現した事で初めて話せる言葉があるんじゃないかと思うのです。それを説明した上で、最終的にはお寺様とよく相談してくださいと配慮するべきじゃないかなと。

なので、葬儀屋さんは修行をするべきだと思っています。そんな経験から生まれる気持で葬儀に接していれば、もっと葬送儀礼を大切に考えるでしょうし、文化も意識するでしょう。志のない人々が生み出す処理のような葬儀を続けていたら、それを見ている子供達が大きくなった時、ゴミとして廃棄するのが葬儀と思っちゃいますよ。

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