今更ながらシリーズPart2、最後のスイッチを押すのは、”あなたです”

壁に埋まったスイッチ
壁に埋まったスイッチ

火葬場にも古くから何かと「?」と言う風習が残っている。何が正解ってないけど、そのためかスッキリしない風習が代々受け継がれていくのも事実。今回はそのあたりを少し考えてみたいと思います。

みなさんを待ち受けている火葬場担当者の世界観

葬儀の際に利用する火葬場。一般の方は、このようなところへ足を踏み入れるのは人生の中で数度くらいしかないと思いますが、葬儀の仕事では担当するポジションによって、ほぼ毎日に近いほど通う事になります。

当然、人間同士なので普通は顔見知りになり、「あっ、どうも!」みたな雰囲気になるのがよくある話ですが、この方々とはあまりそういう関係にはならない。斎場の職員は、職員同士で仲間意識が強いし、葬儀屋とは一線を引いて接してくる感じがします。

以前の大阪市の火葬場は、マスクをしてサングラスに名札は源氏名。火葬場に知り合いがやってくるかもしれない。子供の友達の親が来るかもしれない。だから知られたくない。そんな視線を避ける気持ちから生まれた風体と態度だったのでしょう。

現在は民間に業務委託しており、さすがにマスクとサングラスは無くなりましたが、市職員時代とそんなに雰囲気が変わらず、この風習は少し薄くなりながらも受け継がれてはいます。察するに、やはり最後の場でもあり、厳かに物事を進めないといけない。なんて気負いがあるのかもしれません。でも、それがまた独特の職場感を醸し出しています。

また、職場での先輩・後輩のしきたりみたいなものも残ってはいます。市職員がやっていた時代は顕著でした。他市でも市営葬儀担当が市職員(現業職員)なんてところがあり、その現場にもたくさん行きましたが、偉そうという言葉だけでは表現できないほど、先輩職員の言動なんてひどいもんでした。

職場環境

大阪市は古くから公営の火葬場の整備が進み、新しく民間の火葬場を設営できる環境にはありません。平成12年に廃止した鶴橋斎場はそんな歴史の最後の砦だったのですが、東京都はほとんどが民営の火葬場です。この違いは、戦前・戦後の行政の取り組み方の違いによって生まれています。

公営と民営の一番の違いは料金です。公営の火葬場では税金の補助によってその運営を賄っています。民営は当然のごとく赤字運営はできないので、一体の火葬にかかる経費・施設の償却費・人件費・維持管理費を含めて、「はい、いくらです」となります。当然、利益を追求する会社ですから、これを「トントンなところで」なんて考えてません。

黙っていてもお客さんが来る事業ですが、本来なら他社との競争もあり営業努力というものをしないといけない。ですが、そんな事はしない。やるのは豪華な火葬炉を作って料金を釣り上げるくらいでしょう。

一方、公営の火葬場の場合、市内料金・市外料金の違いはありますが、基本は住民サービスの一環なので経費を節約するなんて意識は少ない、いわゆるお役所仕事になるのです。年功序列が基本。やる気が有ろうが無かろうが給料は一緒。事を荒立てるだけ損。そんな意識が隔離した世界観、独自の職場ルールを作り出してきたのだと思います。

そのような中で、その仕事を忌み嫌われるものと思ってやっている人もいるでしょうし、中にはお地蔵さんのような存在感を持っている方もいます。それでも職場を支配しているのは独特の価値観とルールです。しかも、これは大阪に限った事ではありません。

最後のスイッチを押すのは、あ・な・た

「では、喪主様。最後のスイッチを押していただけますか…」

と、扉が閉まった火葬炉にある「火葬スタート」のスイッチを押すように促すところが、大阪府下にも他都市にもいくつかあります。自分が最後のスイッチを押す事で火葬が始まり、遺体が遺骨に変わる。その始まりを自分が決めるのです。

これ、遺族にとっては、かなり勇気のいる行為だと私は思っています。今生での別れをしたくない気持ちと、決別を決めないといけない時。それは誰かに背中を押される方がまだマシかもしれない。そんな一番辛いところなのに、その上でなおかつ「自分で引導を渡せ」と言われているようなものです。

ほとんどの方はまず戸惑います。そして親族の長老あたりや子供さんあたりから「ほら、押して」と促される。その言葉は、火葬場の方に迷惑をかけてはいけないとの気持ちから生まれるもので、決して自らの気持ちとはマッチしているとは思えない。

そしてもう一つは、何か知らないけど、そうしないといけないのが儀式なのかと思っている様子。それは、その場の雰囲気を見ていれば感じます。

自分を守るために打ち合わせをしてください

これをルール化している火葬場の職員は、この行為をどう思っているのでしょう。古く、村で火葬を行なっていた時代にはこんな風習はなかったはずです。しかし、火葬場を運営していく中でこのようなルールは生まれてきます。

自分が最後のスイッチを押す事で、辛いけれども、気持ちの中にひとつの区切りをつけるという意味も正解かもしれません。それも喪主としての務めかもしれない。でも、側面にはクレームを避けたいとの火葬場の姿勢もないとも言えない。

「あの人が最後のスイッチを押した。もう少し、お別れをしたかったのに、あの人がぁぁ…」なんて、考え過ぎかもしれませんが、お役所仕事ってそんなものです。遺族の心情を感じ取るより、自身の保身が最優先です。そのルールは民間に業務委託されても、これまでの風習として未だに残っているのです。

なので、このような風習をご存知にない方が、喪主として葬儀をしなければいけなくなった時、最初に葬儀社の担当者にそのようなルールが存在するのか確認をしておいて、実際にその場に立った時に自分で押せるのかを判断してください。

万一、その行為が辛いと感じた時は職員の方に押してもらえるよう打ち合わせをしておくべきですし、親族にもその旨を説明しておく事がベストだと思います。でないと、その事情を知らない身内から「ほら、押して…」と言われ、意に反したまま押してしまいます。

都合から生まれた歴史を感じる私は、そんな辛い事をしない方がいいとは思っています。なので、このような火葬場を利用する時は、事前に詳しく説明をしてどうされるかを確認していました。それが「遺族の立場に立って」なんて、コマーシャルメッセージを発信するだけの行為ではない事だと思っていますので。

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