葬儀は差別を受ける職業なのかを、大阪市火葬場寸志問題と合わせて考えてみる

大阪市役所の写真
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寸志問題から時代背景を見る

過去に大阪市の火葬場寸志問題がありました。2010年2月に新聞報道で大きく問題になり、その後、当時の平松大阪市長が警察への捜査依頼もする事案に発展し、一人の方が自ら命を絶ち、5月31日、大阪市は10名の懲戒免職を含む42名を処分した件です。

公務員であり、本給以外にそのような物を受け取ることが賄賂に当たり、その結果、一部の
業者に対して便宜を図ったのか?という事を警察は執拗に追求し、マスコミでもそこを取り
上げて問題にしました。

寸志の事については、当ブログでも様々な観点から書いていますが、この大阪市の火葬場に
おける問題に関しては一方的に批判されている記事が多いので、私が知る限りでの時代背景
からこの問題までの経緯を考え、併せて葬儀にまつわる職業に対する差別意識は存在するの
かを考えてみたいと思います。

寸志を渡した事で、業者は利益を得るのか?

一部の葬儀社からの飲食や旅行の接待を受け取る事で、その業者に便利を図る事があるのか?
火葬時間を取るのに不公平があったのか?

現場でその時期を見てきた私の意見はNoです。

寸志を渡したところで入場する火葬炉が、駐車場や休憩所から近いところになる事もない。火葬時間を押さえるのに、特定の業者が優遇される事もなかったと記憶しています。予約を受けるのは事務方ですし、その方に窓口では寸志を渡したことはない。しかもオフレコですから、恐らく寸志仲間からは外されていた可能性が高い。

後述しますが、この便宜を受け取れたのは寸志ではなく、葬儀社と火葬場、そして大阪市も含めた歴史的な馴れ合いを慣例としていた一部の業者であり、その組合に属さない業者はいくら寸志を積んだところで何も変わりませんし、斎場係員はそんな事考えていません。

組合の業者が休憩所から近いところに入る事が多かったのは、古くからの関係とそれまでの慣例からだと他の業者はやっかみも含めて行っていましたが、私の感覚では、なかったとは言えない黒に近いグレーですね。

私が勤務していた葬儀社は組合には入っていなかったのですが、時折、めちゃくちゃ近いところに入れてくれたり、果てしなく遠いところに入る事もありましたが、混雑具合で左右される要因も多かったと思いますが、組合業社が入っていない時にたまたまって感じですね。

当時の火葬場運営の背景

大阪市の場合、昼間は、電話で火葬炉への入場時間を押え、その日の内に火葬埋葬許可証を届けます。火葬場の業務が終了してからの夜間に火葬場を押える場合、当時の霊柩業務が公益社独占であった事から同社の霊柩部門が代理で受けていましたが、これもあまりも自社を優遇する事をしてしまうと、他の葬儀社からブーイングが起きますので、公平性には気を使っていたと思います。

普通なら朝から電話で取らないと火葬時間を決めれないのですが、夜中でも決定できるので、葬儀の時間を設定する事ができて見積りが進むので、一応、公益社霊柩部門が受けている事実に対して業者からのツッコミはなかったですね。お互いに、持ちつ持たれつの関係でやっていましたから。

霊柩車が埋まっていると火葬場も空いてない。霊柩車は当時、公益社しか運行できなかったので運行状況を照らし合わせると仮予約はできたのです。(電話口の担当は口すっぱく、仮予約ですよ、朝、斎場に連絡入れてくださいねと言ってました)一部、寝台車で入る業者もありましたが、その際には「寝台で入場しますので」と伝えますから、ほぼ把握していました。

当時、火葬場入場時間のゴールデンタイムと言われた11時、12時、13時の入場時間をがっつり抑えていたのは、福祉施行をたくさん抱え、その方の名前で先に炉を押え、後で故人を変更をするという荒技を公然と行っていた業者以外にはなかったですし、業者の意向で左右されるのはなかったです。

葬儀屋という職業

私が葬儀社に勤務しだした30年ほど前は、まだまだ忌み嫌われる職業でもありました。私の場合、たまたま求人が載っていて応募した状況でしたが、友人からは「わざわざそんなヤクザな仕事せんでもええやんけ…」と言われたほどですから。

就職するにはその葬儀社の紹介とか、直接応募するぐらいしかなかった時代でした。しかし、この時点でも経験豊かな方も在籍していましたし、今と何ら変わらないシステムで業務を行っていました。

という事は、それ以前からこの職業に従事する方も少なからずいた訳で、その方達も公に求人があった訳ではなく、知人から通じてなどの方法で流れてきたのです。まさに秘伝の就職状態で、流れ者という表現がふさわしい雰囲気でした。

私が勤務したところには、大手互助会を退職した方が数名いて、その方々がメインで仕事を
こなしていました。互助会自体は、昭和40年前後から始まっていましたので、そこを経験
した方々が決まりのある職場を嫌い、飛び出した感じです。

ゴルフ、競馬、麻雀、パチンコはもちろんの事、いわゆる飲み打つ買うの三拍子を兼ね備えた方々で、当直の日には徹夜で麻雀をし、病院から搬送依頼が入ると中断、その間、皆んな寝て帰ってくるのを待つとういうパターンで、毎日、毎日やってましたね。

私も誘われて流れに巻き込まれていく中で、ゴルフも上達しましたし、学生時代の麻雀とは違う雰囲気の中で強くもなりました。(自慢にはならない話ですみません)

寸志は給料?

これらの原資になっていたのは、余禄で入ってくる寸志でした。寸志をおもむろに請求するわけではないですが、病院から自宅へ搬送する際に喪家から当然のごとく出されましたし、会社も固定給以外に寸志を従業員の手当てと考えてもいましたので普通に存在していました。

おもむろに請求していた寸志は、施行に関する時で見積書に記載されていました。納棺・出棺、司会、火葬場における入場・骨上げ・お茶場、霊柩車、バスなどが主な項目で、総額で3万円〜は請求していました。

現在のように、霊柩車を葬儀社が自由に持つ事ができなかった大阪では、霊柩事業を公益社が
独占事業として行っていましたし、バスも民間バス会社が少なかった事から関西バスを利用する事が多く、これらの方の分も喪家に請求し、葬儀社から渡していました。

霊柩車の場合、等級によって寸志の額も違い、B級、C級で3千円、A級や特A級などでは5千円というところが基準でした。バスは等級はなく一運行3千円で、骨上げもあればもう3千円って感じです。

火葬場の寸志問題前後に就業された方は「寸志は、受け取ってはいけない」との注意を受けて、会社としても廃止しているところ、請求して受け取った場合、厳罰な処罰を科すとの規定を設けているところも多いと思います。

そんな時代から就業した方は、とても行儀良い感じがするのですが、そのお勤めの会社も古くは容認していたところも多いと思うのです。先の公益社にしても、施行時の寸志の請求や授受は存じませんが、少なくとも別会社である霊柩・バスの事業では当たり前でしたし、それ以外の当時の関西の葬儀社は寸志を当然のように扱っていたことは事実です。

寸志が差別意識を生む原因か?

今、あなたに寸志を受け取るなと注意する部署の責任者の方も、その昔、現場で活躍していた頃は甘んじて受け取っていたのではないですか?私もたくさん受け取ってきましたし、当時は慣習として渡す方も、もらう方も遠慮なくという感じでした。

現在、ほとんどのところでは寸志について授受を禁止していると思いますが、火葬場へ渡す事もごく当たり前が通常な時代です。葬儀社も火葬場に勤務する方も、中止した時期は違えど受け取ってきたのは事実です。

大阪市の火葬場問題では、ここに職業的な差別意識があり、その業務を遂行するために寸志を受け取って何が悪いんだ的な考えを持っていたのではないか、との批判をマスコミが題材に書いていましたが、少なくとも過渡期の時代を知る私としては、職員にそのような意識は少なかったと思います。

ではなぜ寸志がこの問題の時代まで慣例化していたのか? 大阪市の火葬場運営には市内の規格葬儀組合が深く関わってきた背景があります。葬連屋の時代から続く慣習でもありました。仲間意識と言いますか、負の作業とのイメージは村の時代からあった事は事実です。

もらう方が差別意識を持って「こんな忌み嫌う仕事をしているんだから寸志をもらっても当たり前だ」と思っているのではなく、背景としては、葬儀を行う喪家側にこそ、「申し訳ない、そのような事をさせてしまって」的な差別意識が強かった、古くからの背景が根底にあると私は思います。

そんな背景を感じさせる事として振り返ってみます

大阪府近隣で、古くからの慣習を残す地区での葬儀も担当した事が多々ありますが、このような地域では「炊き出し」を行い、遺族・親族だけでなく、帳場(隣保の葬儀委員)、葬儀社、葬儀役割の方などが食事をします。

食事の順番は、葬儀役割が一番で、ついで帳場、葬儀社も親族より優遇されます。これらが先に食べる中で、遺族・親族はその炊き出しの費用を出しているにもかかわらず、冷遇されます。最後に炊き出しを行っている婦人部の方々が食べます。

葬儀役割の担当は、

  • 土葬の場合、墓を掘りに行く人
  • 火葬の場合、村の火葬場の準備と火葬を行う人
    (私の頃は葬儀社に委託していたが、古くは村人が火葬を行っていた背景がある)
  • 他所で火葬を行う場合、霊柩車の準備をする人(当時は台車で運んでいた)
  • 霊柩車(台車)を用いない場合、竹などをサラシで巻いて棺を担ぐための竹の切りだし係
  • 葬儀役割の道具(天蓋、四本旗など)を準備する人
  • 帳場係、そのトップが葬儀委員長の役を担う

当時、台車が霊柩車に変わる時代の遍歴を見ましたが、昔から伝わる方法で葬儀を行う村での習わしです。これで見る限り、遺体に近い作業をする方が一番に優遇されるのですが、喪家としては、やはり隣保の事であっても墓を掘り返す、火葬をしてもらう事に申し訳ないという
気持ちがあり、その作業を担当する方がもてなしという部分では一番にされます。

この葬儀を出した家でも、次に村で葬儀があれば、今度は自分が墓を掘る係になる事もありますが、ほぼこの係は決まっていて、帳場をする方は毎回帳場だし、墓掘りをする方は毎回、
墓掘りです。基本的には若手が大変な事をする風習でした。

火葬を行う場所が法律で規制され、市町村の火葬事業に移行してもこの慣習は変わらず続いたのが根底にあると思っています。村の墓や火葬場から市町村の火葬場へ移っても、喪家側の意識としては「申し訳ない」という気持ちもありますし、その労いとして金品が渡され、いわゆる寸志の風習として長く残ったのが要因だと考えます。

葬儀屋も火葬場の職員も昔からの知り合いで

葬具貸し出し業から、葬儀社へ変化し、そのうち同業者での組合が派生し、市の要望を受けて市民のための安価で行える葬儀を制定した規格葬儀が生まれ、その規格葬儀を受ける事ができる認定葬儀社として、お互いに縄張りを守りながら来たのです。

冒頭で申し上げた団体はこの規格葬儀組合であって、火葬場運営にも深く関わってきた経緯があります。大阪市もその事を把握していながらも黙認してきた背景があるのです。火葬場内の休憩所における接待業務。この職員は大阪市の環境局の者ではありませんでした。組合から派遣された方々です。当然、この方達も寸志をもらってました。

古くからの葬儀屋と付き合いのある方が、村の墓掘り、火葬の作業から市町村の火葬場へ移り
勤務するようになって、火葬場へ勤務し出した方からその子孫、関係者と勤務する方が変わっても、元の始まりの方との付き合いもありますから、古くから続く忌み嫌う作業をさせてしまう方への労いが寸志となったのが事の始まりではないでしょうか。

そのうち、旧来の方が亡くなり、新しい職員も入ってきて関係がなくともこの慣習は続いたのです。で、葬儀屋はずるいですから、火葬場に寸志を渡すなら、俺たちも大変な、人に忌み嫌われる仕事をしているんだよ。だから、同じように寸志をくださいよ〜。くれないなら、作業料として請求しちゃえってのが、本音ではないでしょうか。

古くからある慣習に、自社も乗せたのが葬儀社であり、葬儀業界です。最終的に大阪市の職員である事から大きな問題になりましたが、この問題における責任の一端は、お咎めを受けなかった葬儀社にもありますし、その事について発言できる立場にもないという事です。

うがった見方かもしれませんが

若手の社員に、寸志をお断りする教義を教えないといけない業界の意図は何なんでしょうか。常々貰うと当たり前になり、それが強いては不正の温床になるから? デリケートな問題なんで、世間では受け取らないから風潮が当たり前だから当社も右に習えって感じですか。

葬儀においては、元々、相手側から自発的に出されていたもの。その意味は、人が嫌がる作業をしてもらって申し訳ないという仕事なんですよ。亡骸を処理するのは、遺族の務めであって他人がすることではなかった。村人などの他人に頼まないといけない行為に対して、申し訳ない、嫌な作業をさせてしまってとの気持ちから自発的に生まれたものです。

同じ死を迎える現場の医療は、命を救うための行為であるからそこで亡くなったとしても寸志は渡さない。渡したとしても、命を助けるためにご尽力下さってありがとうございますとの意味でのお礼です。

これらの趣旨を履き違え、風習から慣例になってしまい、欲する行動がエスカレートした。自分たちは、忌み嫌われる仕事をしているのだから寸志を貰って当然なんて考えが根底にあるのは、自らを差別される側に身を置いての言動だと。それが当たり前と思って増長した結果が寸志問題だと思います。その意味を教えずに、ただ辞退しているだけでは問題は変わらない。

根っこにある思想は変わってないと思う

今、受け取っていないから発言できるというものでもなく、そんな背景を持つ葬儀業界の意識は昔と全く変わらないところが多いのも現実ですし、私が危惧する、葬送儀礼をもお金のためならぶっ飛ばしてしまう直葬を、平気に販売する業界の意識が問題ではないかと思うのです。

金額が低くとも儀礼は必要です。そこをおざなりにする原因は、「安い葬儀で内容をあんまりよくすると、そればっかりになっちゃって、高額な葬儀が出なくなるやんけ」が本音でしょ?

葬儀に関する寸志については、現在、存在意義もなくなり、請求しない、受け取らない事は大切な事だと思います。ちきんと行ったサービス、商品に対して正当な対価を求める事も当然です。

これからの葬儀社の将来を考えた時、そこにお金を出していただける付加価値を作り出す努力もしないで、対岸の火事を批判する事は自分たちの足元が燃えている事に気づいていないのと
同じではないでしょうか?

大阪市の火葬場寸志問題において、職業における差別意識により、授受を容認する考えはおかしいと唱える葬儀社さんも、過去は寸志を堂々ともらっていたんですよ。

自分達は公正明大だと発言する前に、自らの業界の過去を振り返り、現状をよく見て、今後の若い世代には働く意義を持っていただけるような業界に変える努力を、そこに発言するエネルギーがあるなら打ち込んでいただきたいと願います。

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コメント

  1. prof より:

    職員は帽子を目深かに被り大きなサングラス、大きなマスク、名札は「源氏名」。
    現業職員とは言え公務員であり、「地方公務員法」の適応下。
    大阪市以外の自治体では、199%が「懲戒免職処分」が間違いがないが?
    どんな背景や理由があろうと、”アウトはアウト”。
    不思議の大阪。
    PFIは止む無しです。

    • 三日坊主 より:

      ご意見ありがとうございます。

      自分たちがそういう立場なんだと、現業職員が自己弁護をする事、
      また集団で仲間意識で擁護する事を容認してきた大阪市政に問題があります。
      (源氏名の使用を認めていた。寸志問題発覚あたりから修正をかけようとしたが遅い)
      怖いところに手を突っ込まなかった歴史がこのような風習を残してきました。

      職員のタトゥーも正直言って刺青ですし、覚せい剤の事件もありました。
      古くは、道頓堀川などでの河川清掃で引き上げた金品を山分けしたりと、
      世間の感覚と大きくずれたまま、火葬場の職員も葬儀社も流れていき、
      そして誰も止めれなかった。

      おっしゃるように、いかなる理由があろうとも、
      時代背景があろうともアウトはアウトです。

      火葬場の責任者(場長、施設長)が、時代の変革に合わせて
      自主的に修正をかけるべきだし、その立場にいる者も、
      受け取っていてもいなくても同罪です。
      場内での出来事を聞いていない訳がない。
      知っていて知らんぷりは、もっと罪が重いと思います。

      最後は、集団で自分たちを擁護した。
      職業的差別という意識で。
      これも、過去の良くない修正方法とこれまでの市の歴史を見ていて感じます。

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