寸志の実情

志の熨斗袋とふくさの写真
志の熨斗袋とふくさの写真

寸志について考えてみた

私が葬儀の仕事に初めて携わった昭和60年前後は、どこもかしこも寸志上等!ってぐらい当たり前のように存在していました。冠婚葬祭に関する書籍でも、寸志の表書きや渡し方なんてのを書いてましたしね、常識として存在していたんです。会社としても容認でしたし、給料の一部でもありました。

チップみたいな存在なんですが、チップにしてはちょっと高い。もともとそんな風習が日本にないので目安がわかりにくかったんでしょうね。いわば小僧に渡す小遣い的なところが目安になるんですけど、相手が小僧じゃないので、お年玉と同じ感覚でそこそこ包まないと失礼かな?との意識でしょうか。

入社して初日に病院まで同行し、「仏さん持てるか?」と聞かれ、大丈夫ですと答えて足を持ち、ストレッチャーに乗せて、見よう見まねで寝台車へ搬入して自社の葬儀会館まで搬送して安置した後、その担当者から「はい」と渡されたのが初めての寸志でした。

へ〜、こんなのもらえるんだ、この仕事は。と率直に思いましたね。その後、仕事にも慣れて一人で寝台搬送するようにもなり、遠く、和歌山県や兵庫県などに搬送するようになって、時には1万円もの寸志をいただく事もあると、だんだんと「頂いてあたりまえ、頂けるなら多い方が嬉しいな」のような感覚になってきます。

寸志の項目と、その行方

当時の葬儀見積書にも寸志の欄もあり、火葬場関係でも3〜4項目ありました。一例ですが、当時の瓜破斎場では、待合所にいる遺族へお茶を出すための女性スタッフが常駐していたのです。大阪市規格葬儀組合が雇用(給料はなし、在籍権利のみ)している人で、組合葬儀社の遺族の接待をするために、市の施設を使っていわば同居していたんです。

その女性に3千円(組合は2千円も有)の寸志を二つ渡してました。組合の葬儀のためにいる人ですから、他の遺族にはお茶は出さなくてもいいのですが、他の遺族から市役所へクレームが入ると彼女たちは、とても、とても困るので、どこの葬儀社が担当した遺族でもお茶だけに、シブシブと出してくれます。で、その手間賃みたいなもんです。

これ以外にも火葬場職員へ入場と骨上げとして、これも3千円が二つ。遺族がいない場合でも葬儀社が負担して渡していました。社葬などちょっと金額のはる葬儀だとこの最低の金額が5千円になります。

あとは葬儀社側の「飾り付けと撤収の人員・納棺・司会者・霊柩車・バス・タクシー・その他」など、何かと項目をつけて請求していました。その他なんてのは「何に使うの」って感じなのですが、これは見積りとその葬儀を担当する人間のお小遣いです。

この当時より少し後になるのですが2008年の大阪市環境局の火葬事業の統計資料が出ていて、瓜破斎場で年間11,000件以上の火葬があり、単純計算で入場と骨揚げの寸志6,000円をかけると66,000,000円の寸志金額。

これを4人の接待係で割ると… そう、普通のおばさまが年収1650万円となります。ま、全てじゃなく、他の件数の少ない火葬場の組合接待係の収入補填や、組合にも色々あると思うけどね。

そして火葬炉の職員も別に渡していましたから、こちらは分子が多いから15人で割って440万円。20人で割っても330万円とこれまた高副収入ですわ。これに市役所の給料ね。ええ車乗ってはる噂がすごかったもんね。

ちなみに、この年の大阪市内5カ所の火葬件数合計が27,220件。これで計算すると職員1億6,300万円以上、接待係1億6,300万円以上、合計で3億円以上が寸志として飛び交っていたんですよーっと。

寸志が消えた瞬間

葬儀の規模や費用が少し小さくなって、家族葬という言葉が流行り出した平成15年前後。この頃になると、まだ喪家から「寸志はどうしたらいいですか?」という質問は残っていましたが、葬儀社の中には「社員に対する心付けは不要です」と打ち出し、他との差別化を図ろう。クリーンなイメージを作ろうなんて動きが出てきました。

毎日新聞のネガティブキャンペーンで、大手互助会が思いっきり叩かれたのもこの頃です。他の葬儀社もやっていて、みんなで渡れば怖くない状態でしたが、一社が叩かれると他はシーンと収まるのを待ちます。そして、これを機に寸志は悪というイメージが浸透し、火葬場への寸志も出さず、葬儀社から一旦寸志は姿を消しました。

しかし、この火種はなかなか消えない。寸志が無くなった事で火葬場の対応は一変します。それまで入場時間前でも受け入れてくれていたのが、定刻を過ぎないと受けなくなる。数秒の誤差も許さないという、まるで役所の始業前と同じ状態。

最後のお別れの際に、火葬炉の棺台が高いので踏み台を置いて顔を見るのですが、これを職員が出さなくなった。極端に仕事をしなくなったのです。そうなると葬儀社側でも困るところも出てくる。人員が少ない一人葬儀屋なんかは、入場時の料金支払い、遺族の案内、職員への対応など不便が出てくるので、影で寸志を渡しだします。

他の葬儀社も同様で、これまでと違う対応に「仕事がやりにくい」となり、これまた追従します。渡される職員も「寸志がないなら必要以上の仕事はしない」に徹底していたのが、少しだけ親切な人に戻ります。そして、これが再度、市民の声により表面化し、調査の上関わった職員は処罰となり、その後、民間への業務委託とつながります。

こんなケースでの相談

先日、葬儀の相談がありましてこんなやり取りをしました。

Q「どれぐらいが妥当なお葬式の金額かな」
A「会社、業者によって違いますからねぇ」

Q「互助会の○○○やねん」
A「なら、見積り担当者へ最初に寸志渡すのもひとつですわ」

Q「?」
A「そこ、見積り担当者が歩合なんですよ。1%~2%ぐらいだと思いますけど、売上100万円で1〜2万円が歩合になるので、最初に1~2万円でも渡してあげたら見積りを無理しないと思いますよ」

Point

この葬儀社のシステムが歩合給と知っていたので、それ以上、歩合のために無理をさせないために1~2万円渡している方が担当者にもメリットが多く、親切にお世話してくれる人もいるのではと思いアドバイスをしたのです。

ただ、渡したからといって全てが思うように行かない場合も十分あります。会社からの最低販売価格を設定されていてこれを下回る予算でお願いした時、上司に「お伺いと決済」を求めることができない人間には全く意味がない。5万、10万円の商品を売りつけられないように投げ銭しているのにムダ金になっちゃう。

そこを期待しての方法ですから、まず1万円を渡して様子をみて、その人が期待通りの動きをしたら葬儀終了後にもう1万円渡すってのもアリだと思います。

お互いに気持ちよくいきましょう

豊富な知識と経験を生かして見積り担当者と真剣勝負できる方ならまだしも、そんな経験なんてほとんどの方が持ち合わせてませんから、空威張りというか勢いだけで挑んでも勝てません。担当者の気持ち一つで数万円、時には数十万円金額に差が出る世界です。なら、うまくあしらう方が賢いって事です。

だからと言って、お金だけで動く気持ちではいい葬儀はできません。さっきまで無愛想だったのに寸志を渡したら愛想が良くなった。そんな担当者って嫌でしょ。逆もまた然りで、喪家側も葬儀屋を穿って見ていると担当者もいやになってきます。

お互い人間なんで上から言われたりすると気分も乗らないし、葬儀社も遺族(消費者)側としての資質を相当見ていますので、お互いに気持ちよく関わり合いを持てる努力も、喪家側にも必要だと思います。

それには無知なだけでもだめだし、知ったかぶりもすぐばれますから、ある程度、内情を素直に言っていただく方がうまくいくと思うのです。最初にいきなり寸志を渡したところで意味はないし、絶妙のタイミングで使えば効果があるという事です。

現在の私の寸志の考え方

葬儀屋さんの中には「なんとかしてあげよう」というスイッチを持っている人がいます。それを発動する機会は、みなさんの事情を知った時です。自分の家族や親族、これまでの経験に当てはめて自分の事のように思った瞬間、発動です。この言動に対する「ありがとう。よろしくね」という気持ちを表したものでないとお互いに意味がないという事です。

スイッチを持っている葬儀屋さんは寸志がなくともぶれません。頑なに断る人も正しいとは思いますが、思いを真摯に伝えようとする方の寸志なら、一旦受け取って気持ちを頂戴し、葬儀が終わってからでも、そのお金でお供物やお花を購入して届けてさし上げれば、今度はこちらから気持ちをお返しする事もできるんじゃないかなと思いますね。

その時、そんな方ならまた寸志を渡そうとしますけど、本当に断るのはこの時だと私は思います。その方の最初の気持ちを無下にしないのも方便だと思うからです。これは、香典辞退と同じじゃないでしょうか。辞退するということは、付き合いをしませんよって取る方もいるという事ですから。要は見極めのレベルがどこにあるかじゃないかなと。

寸志が悪いみたいな風潮も当然ですけど、昔からある日本の良き文化というか風習の中で、気持ちのやり取りをできない物欲だけのやり取りがダメなんだと、私は思います。

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