東京周辺の葬儀事情を教えていただきました

東京タワー
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東京が象徴する現在の葬儀事情

先日、アメブロでブログをされているLAWさんからのコメントで東京周辺の火葬場事情を教えていただきました。やはり、直葬形式がかなりの数を占めているとの言葉に少々、憂いを感じてしまいました。

http://ameblo.jp/keiolaw/entry-12132854082.html

関西でも同じような感じなのですが、やはり大阪と違って、人口は約5倍の東京。それだけにより直葬的なものが目立つのでしょうね。地方からの集まりも多い東京では、上京してから親族や身内と連絡を取れない、取らない故人も多いのかもしれませんね。

ある、東京の直葬屋はネット上で施行誘致を行い、寝台搬送は外注、搬送後ついでに納棺までさせて、火葬当日は、またその寝台搬送業者が迎えに行き、入場して終了。ネット上で請け負っている葬儀社は収骨時に立ち会い、集金のためだけにしか行かない。喪家とはその時しか会わない形態でバンバンやっていると聞いています。

この業者はネットでの施行誘致がうまくいっているらしく、施行依頼が入れば”チャリン”、いや”ドップリ”とお金が入るシステムになる、その一連の流れが出来上がっています。こうなると、もうやめれまへんなぁ。

これを夢見て独立系直葬屋は、皆、真似をしようとするんでしょうね。今さら、死の尊厳を大切に考え、儀式儀礼を重んじて葬儀を行う気持ちはないのでしょうけど、何故かホームページにはそのような言葉を表示し、いかにもしっかりした理念を持って、消費者の味方のごとく親切そうなメッセージを消費者に訴えかけているパターンが大半です。

確かに、古くから火葬のみは結構ありましたケド

大阪でも30年前くらいは、一度、入院したら、死ぬか、治るかまで病院に居ることが可能でしたから、西成区のあいりん地区の保護係に、連日、病院関係者がこぞって集まり体調を崩した方を取り合っていました。当時、医療福祉でも一体入院させれば月にワンベット100万円と言われておりましたので、病院経営の安定した固定収入源だった背景があります。

そういった病院の寝台搬送確保のために、葬儀社から病院へお金がビュンビュン飛び交ったのもこの時代です。福祉での葬儀、その病院で死亡する予定の方を葬儀屋みんなも狙っていました。現在と違い、病院搬送が葬儀施行誘致の大きなウェイトを占めていたのです。

医療福祉を受けていた方々が死亡すれば、出入りしている葬儀屋に連絡して終わり。基本、火葬のみの葬儀になります。このケースでは身寄りのない方も多く、また、身寄りがあっても駆けつけない。そちらでお願いしますとよく言われ、遺骨を、大阪では納骨寺として有名な一心寺や四天王寺へよく預けに行きました。

医療保護、生活保護を受給されている方の中には、年金と合わせて受給されていた方もおり、そのような方の場合、いくばかのお金が残っているケースもあります。

病院の事務局長から「40万円残っとんねん。うちではこのお金処理できひんから、これで葬儀やっといて。ただし、記録写真は撮っといてや、後で揉めたらかなんから」との依頼も時折あり、葬儀屋にとっては結構な売り上げにつながっていました。

私が勤務していた葬儀社は小さな会社でしたが、月に20~25のこういった病院からの福祉葬儀がありましたので、400500万円の固定売り上げを確保していたようなもんです。この売上をベースに、他の一般葬儀の売上を積み上げていくって感じでした。病院は、死亡するまで根こそぎ利益を得、葬儀社はその後のカスリをいただく、そんな絵面でしょうか。

死にまつわる関係者(経営者)が利益を取り合う中でも、故人を囲む方々には思いやりがありました

病院の霊安室から直接、火葬場へ向かうケースもたまにありましたが、ほとんどは会社の式場で預かり、火葬場へ向かいました。

会社で預かる場合は、空いている式場の祭壇の前に納棺して安置します。納棺は式場か、その控え室。椅子席ではない、座布団で座る会館も珍しくない時代でしたので、安置、納棺、お葬儀、控え室代わりと多様に利用していました。

病院以外で火葬のみの葬儀を申し込まれてきたのは、生活保護を受けていた方と、ワンルームマンションなどで孤独に生活されていた方ぐらいでしょうか。孤独死のケースでは事件性の高い案件が多くありましたね。いわば、人に言えない事情があるような死の時です。

それでも、市営、府営住宅などの高層住宅、借家などで孤独に生活されている方が亡くなった時は、その自治会の方やご近所さんが持ち寄り、住宅の集会所や故人の住居などで、供養、食事なしの祭壇付きで葬儀を行いました。

こちらも通常よりは祭壇金額を下げて対応していましたし、お寺さんは、ご近所の方が付き合いのある菩提寺に無理を言って寸志程度で来てもらう。通夜と当日の読経を基本とし、気のいいお寺さんは火葬場まで行ってくれてましたね。

その方の死に関わった皆さんが、”最低限の事はしてやらなあかんで”って気持ちでした

当時の社長は売上にうるさかったのですが、そのうるささは、”仕事を取って来い”に関してであり、祭壇や全体の売上げに関わる見積もりの内容について、口出しもしませんでした。

また、見積り時に親族の長老が立ち会ったり、自治会の葬儀委員長の内容チェックもありましたので、祭壇金額を無理に釣り上げるなんて無茶はできる状況にはありませんでした。
”あそこは高い”とか、”不親切やで”なんて、ご近所の”評判”をとても気にしていましたので。

だから、身寄りのない方の葬儀に祭壇を持って行こうが、何を付けようが担当者の裁量に任せてましたし、どうしても気になる施行の場合は、社長自ら見積もりに行ってました。

いい意味では思いやりがあったのかもしれませんが、基本、どんぶり勘定の葬儀社も多かったと思いますよ。この祭壇はこの値段!というルールを守らないと、うるさかったぐらいでしょうか。幕張りのきれいさ、祭壇が値打ちであり、それらが葬儀社の商品として一番のウリであったからだと思います。 

まず、仕事を取ってこれる。そして、幕張りと祭壇の扱い方と葬儀式場を仕上げる能力。そこが葬儀社として仕事をする上での基準になっていまいしたし、それができる、できないが社員のスキルのレベル判断でしたから。

ネットの普及とともに独立者も急増

そんな時代を見ていた者たちが「福祉だけでも儲かるやん」と考え、独立を模索する者も多くいました。

ただ、この時代はまだポケベルからようやく携帯電話(自衛隊の無線みたいなやつ)の頃で、ネットも普及していない状況では、コンスタントに葬儀の仕事を受注するには10年かかるでと言われてましたので、皆、二の足を踏んでいました。

平成10年前後から独立者も増え始め、ネットでの情報発信もどんどん加速するにつけ、中には時流に乗ってそこそこ成功し、小さいながらも数件の葬儀会館を持つ者も出てきて、それを見てまた独立しようと考える者も後を絶たない。

現在、大阪ではどれほの数で、自分、葬儀屋ですねんというのが存在するか検討がつきません。大阪でこれですから、東京を中心とした関東圏では、そらぁ、エライコッチャでしょうね。そんな者たちが仕事を取り合うのですから、一番に考えるのは値段を下げる事しかなく、現状の葬儀業界の体たらくを作り出しているのだと思います。

そんな彼らに理念とか温情とか儀礼なんて存在せず、ただ己の利益を得ることしか考えていない。遺体を使って金に変える、現代の錬金術師と感じます。

葬儀の仕事を始めた頃からそんなタイプやったっけ

こういった人達も、葬儀の仕事に初めて付いた時には、恐る恐る、故人の足ぐらいしか持たなかったはずでしょうし、自殺などの強烈な状況に遭遇した時には人はこんな風になってしまうんだと感じたはずです。

先輩に追いつけ、追い越せで葬送儀礼について、少しは勉強したでしょうし、葬祭ディレクター取得を考えたかもしれません。またそのために練習や勉強をしかかもしれない。その時に葬儀概論を読んだかもしれないのです。

私も、専門書としては宗教用語、作法などの辞典を読むとかしかなく、一般的に手に入るのは書店に並ぶ葬儀関係の安易な内容の本ぐらいしかなかったのですが、それらを買いあさり、読みあさり、なんとか知識を得ようと努力しましたがやはり情報が少ない環境でした。

それらで得た知識の疑問を、宗教施設へ足を運び、教えを請いに伺い、自分なりに資料としてまとめ、パソコンではなく当時の最先端ワープロ(古!)で作成していました。

現場での経験といいますか、幕を張る、早くきれいに飾り付ける、進行(司会)は誰にも負けない、売上げを上げる手法はどうすればいいのか、何て事に躍起になってましたから、葬儀に関する事を勉強する機会があまりにも少なかった環境で、葬儀概論を初めて読んで”あっ、もっと勉強せなあかんわ”と痛烈に感じました。

でも、直葬屋を営む方々は、楽な方を選択しちゃったのかな

なのに、楽して儲かる方法を選択してしまった。大阪もそうですが、そんなのがウジャウジャいる東京って、恐ろしいところですね。

今日の関東地方の天気は?に始まって、首相がどうしたとか、事件が起きただの、今、これがブームでなんて、日本は東京を中心に情報発信してますから、終活、直葬、孤独死、遺品整理、葬儀紹介業などなどあたかもそれが今の基本みたいに報道するマスメディアにも大きな問題があると思います。

その報道対象とする相手の選択基準も、”受けがいい”とかだけで選んでいるところも多いと思いますし、NPO法人や一般社団法人など組織形態としては国で認められているが、実際、設立運営している内容なんて精査せずに対象者を選んでいる。そんなマスメディアの姿勢も世の中をダメにしている一因です。

葬儀業界だけでなく、マスメディアも、企業も、個々の人間も、そして国民の事を考えているオーラを出しながら、自分達を一番に考えていらっしゃるような政治家も、もっと未来を考えて何かを伝えていかないとダメだと思うのです。

高齢化社会に移行し、若者が高齢者を支えきれない社会構造がより一層不満をためこみ、本当に日本沈没に向かうのではないかと、一時の金儲けに奔走する姿を見ていて感じます。

自戒も含めて申し上げますが、”もっと、勉強しましょうよ”と。

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