はっきり申し上げよう、派遣登録する僧侶が悪い

晴れた中、ベンチに腰掛けてエベレストを見る僧侶
晴れた中、ベンチに腰掛けてエベレストを見る僧侶

先日、FBでお世話になっている方の、ご友人の新しい著書が出るとのタイムラインを拝見して、Amazonへ申し込みをしようかと飛んだところ、ページ下に出てくるスポンサーサイト(これは著者とは全く関係ありません)に掲載されている僧侶派遣会社の広告が目に飛び込んできた。

Amazonお寺さん便で話題になっていたので多くの方はご承知だと思いますが、あれから1年以上が過ぎても、まだ追従して同じような事をやっている奴らがウジャウジャいる。

このパーソナライズド広告という機能で、閲覧したユーザーが過去にチェックした書籍や関連する事業の広告が自動で配信される仕組みなのですが、結構迷惑な印象を受ける。当ブログでも広告のところで僧侶派遣など出てくるので、「わたしゃオススメしてるわけじゃないんですが」と意に反した内容が出るのです。

そのお節介な機能によって出てきた「お坊さん手配」だの、「公式和尚さん」だの、「大阪お坊さん派遣」だの、馬鹿げた商売をやっている連中のどうでもいいようなサイトを運営する会社の住所をググってみたところ、その所在地は普通の住宅地だった。

葬儀に関係するのか、それとも宗教に関係するのか、住宅地の風景からは推測されないが相変わらず二匹目のドジョウを狙うような輩はいてるんだとバカバカしくなってきた。中には住職自らが運営する僧侶派遣会社もある。

あえて申し上げます

確かに僧侶として独立した形で寺院を運営できない事情もわかります。副業・副職をもち、兼業しながらも寺院の維持管理に苦心するお気持ちもわかります。

公務員であったり、教職員であったりと、古くはそのようなおじゅっさんもたくさんいましたが、最近ではそれも減ってきました。「葬儀が入ったから休みます」が許されない環境が増え、そのために職を選ばざるを得ない。

本山にしても、その存在を維持するために年貢のごとく志納を強要してはくるけど、末寺が財政的に苦しもうが手を差し伸べることはない。お寺さん登録を禁止する事もない。

それぞれが独立した宗教法人だから口出しをしないとの大原則かもしれないけど、同じ宗派を名乗って、本山というなら家庭では本家であり親ですよね。分家や子にあたる末寺が恥ずかしいバイトに勤しんでいても、本山を維持するためには見て見ないふりですか? 

そんな本家の親父達が名を連ねる 全日本仏教会(以下、全仏)にしても、2016年3月に「Amazonのお坊さん便 僧侶手配サービスについての販売中止のお願い文書」を提出したっきりで何も動きがない。

危惧を持ちながらも全仏として声明を出し続ける事は、組織が生まれた歴史的背景や現在の活動趣旨からは少し離れてしまうのかもしれない。なら、最初の声明も出さない方が良かったようにも思える。

公的な場所では反対を表明し、一家の中では秘密のアルバイトは容認する。こんな矛盾が世間との距離を遠ざけていくんだと思うのです。

コメント

  1. チグリス より:

    僧侶です。

    私はお寺の子ではなく20代のころは東京でサラリーマンしてましたので三日坊主さんのご意見よくわかります。もっと辛辣なことを言えば法人として税制の優遇を受け(陰では葬式坊主と揶揄されながらも)表向きは敬意をもって遇されるいわばゲタをはかせてもらっている状態で甘えたこと言ってんじゃないよ、って。

    また現在は田舎寺の住職ですので、とまとさんの気持ちもわかります。伽藍維持大変です。僻地ならなおさらでしょう。カスミ食べて生きてくわけにもいきませんし。生き延びるための戦略として派遣僧侶に登録する人を批判したりバカにしたりする気はありません。

    ただそれでもビジネスの軍門に下り自らを商品としてしまえば宗教性という一番大事なものを放棄するに等しいのではないかという疑問は派遣僧侶肯定論の人たちに持ってもらいたいと思うのです。とまとさんご紹介のリンク先は実際に派遣サービスを利用したご遺族の声ではなく派遣僧侶の自己弁護のようなものです。もちろん派遣であれなんであれ素晴らしい関係性を築くことは可能でしょうしウソだとは言いません。

    けれど初見の人たちに感銘を与えるほどの宗教的力量があるのなら派遣僧侶にならずとも自坊の檀家は増えるはずでしょう。自力では増やすことができないからお布施の4割をピンハネされているのです。それでいいのかと三日坊主さんは問いかけてるのだと私は読みました。宗教性を失えば私たちは単なるコスプレイヤーです。

    • 三日坊主 より:

      チグリス様

      コメントを頂戴いたしましてありがとうございます。

      私が思うところは、宗教者だけでなく葬儀社も衆生も含めて、ネットワークの発展と進化に伴う生活スタイルの変化によって「どこへ持って行かれているかを自覚しているのか」というところです。

      この環境を作り出し、それを利用させる事をビジネスとしている方々の「価値観」や「思想」に簡単に乗せられ、利便性だけが先走りして、本当に伝えないといけないものがおざなりにされていませんかと感じるのです。

      宗教は言葉だと思いますし、空間・その場に行かなければ感じる事はできないと信じています。人のツボのように、全国にある聖地・神社・寺院はまさに地球の、日本のツボ。だからそこへ赴く事がなければ思いも、願いも、感謝も届かないかもしれないし、そういった行動やプロセスが成立してこその信教ではないかと思っています。

      「本山にエネルギーを向けろ」という言葉は、登録派遣でピンハネされた手数料を得る時間と労力を、本山が苦しい末寺にまで厳しい上納金を求める事を緩和して欲しいと働きかけを行う方向へ向けて、結果として改善され、少しでも自坊にお金が残るなら差し引き同じではないですかと言う事です。これは他の記事でも何度も言っています。疑問に思う根っこの一つだからです。

      しかし、この「お布施」という上納金の流れも「宗門の維持のため」と言う屁理屈に加護された。非常に人間臭い仕組みなんで、とても宗教のあるべき姿とは思えません。一門が世に教えを広め、一門を繁栄させ教えを絶やさない決意なら、逆に本山のネームバリューと観光寺としての立地条件でで得た「お布施」を全国の支店・営業先である末寺に配当しても当然じゃないですかね。

      全国の末寺が無償で当番制で本山に詰め、参拝者への対応、寺院の維持管理に努め、みんなで生きていけばいいのですが、そこにも人間臭い名誉と金が絡んでくる。こういった仕組みはヤクザの世界と同じですよ。

      しのぎが厳しく、上納金が工面できないから何でもかんでも手を出して金を稼ぐ。それが僧侶の場合は登録派遣って事です。そこまでしないと末寺が生きていけない組織の問題。そこはなぜ黙っているのでしょう。宗教界の重鎮が発言したのはアマゾンへ販売するなというのとお布施の意味だけ。しかも単発発言。カッコだけじゃないですか。なぜ末寺はこの好機に声をあげなかったんでしょうね。

      会計資料も宗門・宗派内では公明正大に公表し、これだけの収入があり、これだけの経費が必要だった。本山住職は役員報酬としてこれだけ。余剰金は各末寺へいくらずつ。残りはこれだけ。代表役員も各役員も持ち回りで行う。こんな簡単なことができないのも、溢れかえるほどの資金と名誉という人間臭い世界の仕組みを壊したくない既存勢力がいるからですよ。それを改革する事の方が先決ではないですかって事です。私はそう思います。

      三日坊主さん、そんな綺麗事では生きていけませんよ。寺を維持できませんよ。副業として教職者や農業を兼業し、その収入すらぶっこんでなんとかやっているんです。檀家制度の崩壊、若者の宗教離れ、そういった厳しい環境でも教えの場を維持するために「私はこれだけやっているんだ」というのは、ご自身のプライドとの戦いを聞かされているようにしか見えないのです。

      だって、その道で生きていこうと決めたのはご自身です。私たち衆生も同じで、自己責任の上で収入を得て生きています。収入が足らなければ節約するか、アルバイトをするか、奥さんに働いてもらうか、子供のバイト代から食費を徴収するかって事です。

      生きるのはみな必死なんですよ。その上で自らの生き様を求めるなら貧乏上等じゃないでしょうか。例えは悪いですが、売れない芸人が夢を見るのも、歌手として成功したいと願うのも、成就するまで頑張るのか途中で諦めるのかを決めるのは自分です。道を求め、結果を出すまでアルバイトをしながら、副収入をぶっ込みながらなんてよくある話です。それが宗教なら美談なんでしょうか。

      登録派遣の僧侶さんの中には中立的な意見を述べながら「やむなく感」を出している方もいます。しかし、その方のSNS上での気のおけない仲間内のやり取りでは好みの車の話題が盛り上がる。そして実際に購入されている。別に車を購入するのが悪いのではないですよ。購入して、維持できるだけの生活基盤があるって事は恵まれているって事を言いたいだけです。

      自坊の収入が減少し、その生活を維持する事ができず、それを補填するために派遣僧侶に登録し、収入を得るのはこれも何か違うと思うのです。先に車を売り飛ばすか、維持費の安い軽自動車にするか、もっと維持費の安いバイクにするか、自力エンジンの自転車で行動するかを選択するのが衆生の生活なんです。

      坊守や子供にもそれを強要しろというのかといっている方もいましたが、主人が頼りにならないならその家族も運命共同体ですよ。見切りをつけられたら離婚しかない。もしくは一緒に苦労を共にしてくれるか。それが一般人の在り方なんです。寺は特別な存在ですが、人間臭い事を言う住職は特別な存在ではありません。

      これらを総合的に見て、もっと他にする事があるんじゃないかなと思う次第なのです。

  2. とまと より:

    こんばんは。浄土真宗本願寺派の僧侶です。私は僧侶派遣サービスに登録していませんが、自坊が僻地で仕事がないので派遣サービスの利用を考えています。

    仰っていることがよく分からなかったので伺います。

    >生きていくために登録するぐらいなら、廃寺する勇気を持って本山とぶつかってでも、吸収されてでも、そこへエネルギーを向けるべきじゃないかって、今の時代ならそう思います。

    ・本山にエネルギーを向けるとは、具体的に何をするのですか?息まいているだけで具体性が感じられません。
    ・「廃寺する勇気」を坊守や子供たちにも共有させろということですか?
    というのも、廃寺になったら実際に家族全員が路頭に迷いますがそれを家族にも共用しろということですか?

    >僧侶斡旋紹介するページ自体も二次元の中で表現されるバーチャルなものって感じているかもしれない。その背景に「死」というものがあるけど、アマゾンやグーグルの広告に掲載される程度の軽さでしか捉え方られない。

    ・本当にそうでしょうか。入り口はどうあれ、実際に派遣サービスを利用したご遺族の声を聞いたことがありますか。
    こちらをご覧ください。
    https://ironna.jp/article/3107?p=2

    ”当初こういうサービスを選ぶ人というのは、坊さんなんか付き合いたくもないけど儀式上仕方なしに呼んでいるのだ、と思っていました。実際にこれらのサービスの中には「檀家になる必要がなく一回限りのご縁」ということを「売り」にしているものもあるのです
     しかしそれは勘違いでした。通夜や法事では通常法話をしますが、みなさん本当に関心を持って頷いて聞かれ、様々なことを相談して来られるし、少なくない方がその後の法事の依頼もされます。手紙を頂いたりもっと話を聞きたいと言われる方も少なくありませんでした”
    と書かれています。

    30年以上葬儀に携わってこられたそうですね。
    それでしたら、年齢的に、無条件にバーチャルなものへの拒否反応が出てしまうご年代なのでは?スマホを目の敵にしていらっしゃいますし。

    バーチャルなもの=軽い、悪い
    という固定観念でものを仰っているように感じてしまいます。
    サービスを利用する人は、僧侶に葬儀を依頼したいけどどこから依頼したらいいか分からない。
    いくら払えばいいか分からないし手続き方法も知らない。もしかして法外な料金を取られるのではないか。
    だから身近にあるAMAZONで、料金が決まっているので注文してみた。この程度のことではないですか。

    あなたのようなタイプの人は、現代人はバーチャルと現実の区別がより曖昧になっているとお考えでしょう。
    それなら一方で、バーチャルなものが、お遊びではなく、よりリアリティを持ったものとして捉えられる時代になっていると申し上げたいです。
    今、年寄りが思う以上にバーチャルは日常です。

    時代感覚に乗り遅れているのはあなたの方ではないですか。
    年寄りのボヤキにしか聞こえません。

    • 三日坊主 より:

      とまと様

      コメントを頂戴いたしましてありがとうございます。

      ところで何を言いたいのですか? 貴兄は何を目指しておられるのですか? 仰るように年寄りのボヤキ? 大いに結構です。私は、言いたい事を自分のお金でまかなっているのですからそれで良いと思っています。嫌なら読まないで下さい。訪問しないで下さい。私に文句をいう前に現状を招いている貴兄の業界? 宗門に文句を言えば良いじゃないですか。

      「自坊が僻地」なため仕事がない? 僧侶のされる事は「仕事」なんですか? それこそ職業坊主の極みではないのですか? 行きていく為に「お金」が必要な事は普通にわかりますが、私が言いたいのは、その寺を維持できないのは「経営者」としての住職(社長)の能力が不足しているという事です。破綻した会社の社長の身内は道連れになるのは世の常です。それは、その現状を招いたトップの資質の問題ではないのですか。それが宗教なら「守られるべき存在」とでも思っているののですか? それははっきり言って「エゴ」です。

      維持をする為に葬儀社に営業に回り、僧侶派遣で食いつなぐ。きれい事をかなぐり捨ててそれを実行している方々の方が、きれい事を言っているよりも人としては偉いと思いますが、それが宗教者の目指すべき道なのかという点においては大きな疑問があります。我々の世間では、一人の僧侶が、一つの寺が生き延びようが朽ち果てようが大きな問題ではありません。そんな「甘えた存在」よりも、私も含めて生きる事に「必死」だからです。

      我々庶民は年齢を重ねる毎に就職するという事が難しくなってきます。誰も助けてくれません。自分でなんとかしないと行きていけないのは今も昔も変わりませんが、貴兄は求人に応募された事はありますか? 貴兄が仕事と言われるその「住職」以外の仕事で、生活のために「働く」事をされた事はありますか? 今からでもやって、生き延びる気概はありますか?

      私が宗教家の皆さんに大いに疑問がわくのが、貴兄の宗派で言えば「なぜ、現代に親鸞聖人が生まれないのか」という事です。僻地? 当時の御聖人の時代なんてそこらじゅう「僻地」ですよ。歩くしか移動方法がない時代です。現在の宗教家・僧侶の皆さんは、なぜ人を惹きつけられないのでしょう? 現代では、僧侶派遣に頼ってしかそういうものは成立しないのでしょうか?

      その道を先に求めてから人に文句を言うのが道理では無いでしょうか。私に文句を言ったところで貴兄を取り巻く問題は何も解決しません。そんな活発なエネルギーをお持ちなら、本山に向けた方がいいのではないですかというのが、宗教界を取り巻く問題と、私が言いたいために書いた記事です。私に反応するよりも、現状を解決するために宗門で努力される事の方が現実的な事ではないでしょうか。

      「今、年寄りが思う以上にバーチャルは日常です。」とおっしゃってますが、年寄り?って、貴方は、貴方の魂はどの程度のものなのでしょう。今の自分の現生での年齢で物事を判断するなんて、どれだけ上から目線なんですか? そんな宗教家の方にとやかく文句を言われる筋合いはありません。足元を見なおされるべきではないでしょうかs。

トップへ戻る