葬儀がおかしくなった原因は、葬儀屋49% 宗教者51%

一日葬や直葬に始まり、ウケるならばとドライブスルー葬儀場やPepper導師が登場する事態になった葬儀業界。この先、どのような方向へ進んでいくのだろうか。その歯止めは宗教者しかいないと思うんですけど、何とかなりませんかね。

なんだか葬儀は、何でもありの世界になっています

このもっともの原因は葬儀社なり、葬儀を生業にする者たちの儲かるならなんでもいいという姿勢が一番悪いという事を大前提にしてあえて申し上げるなら、そういう業界に抜け道を許した宗教界、特に仏教界の堕落がもっと大きな原因ではないかと最近思っています。そして葬儀をイベント化させた原因も同罪だと感じています。

死者を弔い、供養を行う。その儀礼を通じて命の存在を感じ、生きる意義を認識させられる場が葬儀だと私は思います。でも現在は故人を偲ぶことばかりが優先され、ビデオを流したり、花に囲まれた大きな遺影写真から微笑むお姿はイベントの中心的シンボル。(だって、昔は遺影写真なんかなかったんですから…)

命とは、人生とは、その苦悩の道をどのように歩み、人々は死を迎えるのか。死んだ後はどうなる? 魂というのは存在するのか? 死者の意識はどこにいくのか? 阿弥陀様に救われるというけど、死後、阿弥陀様を見る事はできるのか? 悪い事をいっぱいやってきた、親孝行なんて糞食らえ、ご先祖の墓にも行ったことなんてねえ、こんな私が行く地獄ってどんなところなんですか?

こんな事に答えてくれる僧侶に出会うなんて奇跡的な確率かもしれない。いや、そんな事は自分の人生だから、全て自分の責任の範疇。悩むも、悟るも自分次第。宗教者に頼っていないで自分で道を切り開け。とでも言うのだろうか。僧侶だけが己の疑問に応えるために修行を積み、悟りを求めるのが宗教なのだろうか。

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