食育があるように、葬儀にも葬育はあると思う

食べる事から命を繋ぐ意味を知る食育。生きとし生けるものの命をいただきながら、生かされる感謝の気持ちを学ぶ。なら、葬儀も同じではないかと。自分が存在するのはご先祖様があってこそ。そんな気持ちはぶっ飛んでますね。最近は…

葬儀・供養から何を感じて、何を大切にするべきだろう

ブログであまり宗教的な事、霊的な事を話しても裏付けもありませんし、それぞれの信仰や価値観がありますから押し付けるつもりはありません。あくまでも皆さんのご判断にお任せしますが、あるお寺様の話をひとつ。

1時間ほど歩いて登る山の頂にあるこのお寺なんですが、そこでは古くからいくつかの某有名企業の役員、社員の供養を依頼されて行っていました。

私はそこへよくお参りに行ってまして、初めてその供養をされている日に当たった時の事。
「お参りが終わったら食べていけ」と言われましたが、私はきっと余ってしまって勿体無い、だから食べる事を勧められていると薄っぺらく考えまして、遠慮しようと思いました。

その時、お寺様から見透かしたように言われたのが、これは、死者へのお供えとして用意する物だが、お供えしても体の無い故人が食事を直接口にする事は無いため、集まった人たちが飲食する事によって、亡くなった方達が食べ物の気をいただくんだよと。

だから、一人でも多くの方に食べてもらって色々な味わいを感じて、その人々の持つ気の彩りが大切なんだとおっしゃってました。

その供養されている方々とはご縁が有ろうとも無くとも関係ない。沢山の方が口にする事で仏さんはその気を頂いて満足される。

また、お茶をたくさんお供えしている事については、仏の世界では喉が乾くからお茶も大切で、客人をもてなすように丁寧に淹れたお茶を用意する事。たくさんある方がいいので、お供えするには丼でも構わないほどだよと話されました。

要は、人をもてなす事となんら変わりはないという事。お酒が好きな方もいれば、甘い物が好きな方もいる。仏さんが求めている物を供えるから、その時々でお供え物も変わるとういう事をおっしゃっていました。

供養する方に合わせた味付け

実際、そのお寺での供養の時は、保存が効く間に合わせのような食べ物(乾物類)ではなく、本格的な材料で、かなりの量と種類を「仏さんから求められるだけの分」を朝から作り、残さずに全て食べてしまいます。

味付けも毎回違うのです。卵焼きにしても砂糖が入ったり、塩味だけだったり、だし入りだったりと、そんな具合で自然と供養する方の好みの味付けになるそうです。

「こんなに沢山?」と思う量を、母屋からお不動さんを祀っている不動堂へせっせと運ぶのです。終わればまた下げてきます。

何度かその供養事に遭遇するうちに、お参りの際に供養があった時には私も運ぶのをお手伝いさせていただきました。

なにせ山の中、頼れるのは全て人力しかありません。この料理の素材も麓から山頂近くの駅へ行き特別のリフトを使って下ろし、そこからは人力で運ぶしかありませんので。

そういった慣わしを見ていると、なるほどなぁと感じる事も多々ありまして、葬儀の仕事についての考え方を改めるきっかけにもなりました。

供養って言葉はどこに行ったの?

葬儀社や葬儀担当者が供養って言葉をよく口にするけど、一つ一つ意味のある葬具や形式を、バッサリ切り捨てて行う葬儀で供養なんてできるんでしょうか。気は心とは言うけど、人には形も必要です。供養の大切さや仏様を感じさせる空間を作るのが葬儀屋ではなかったのかな。

それが今や、安易な発想による葬儀の提供で、葬儀は単なる金儲けの道具に成り下がってしまい、何でもありになってしまいました。ホテル葬・自由葬・生前葬・密葬専門・散骨・宇宙葬など目新しさを狙い、自社の都合で生み出してきました。その極みが直葬と一日葬。

これらを消費者が求める葬儀だから仕方がない、なんていうのはおかしい。あなた方、特に資本を持たない葬儀屋・ブロカー的な存在が、仕事欲しさに、施行誘致のために隙間を狙って考えた商品であり、それが単にマスコミに受けただけです。

おこぼれの葬儀を拾いたい。遊ばしているなら安くても仕事があればいい。そんな気持ちが、ただ人を火葬すれば全て終わりみたいな発想を生むのでしょう。きちんとすると「お金がかかりますよ」って事で、儀式を簡素化する定義は、葬儀社のおごりではないでしょうか。

そんな葬儀社や葬儀担当者が供養という言葉を安易に使うべきでもないと思います。

葬儀って、煩わしいものですが、その手間が供養だと思います

百歩譲って、葬儀が単なるビジネスというなら、置きっぱなしの祭壇を部屋の装飾と考えて、集会所のように、その部屋を自由に安く提供してみたらと言いたい。花も知り合いがあるなら自由に飾ってもらい、料理も持ち込んでもらってもいいじゃないですか。

金儲けのためのコテージ形式での葬儀提供はあるけど。そうじゃなく、皆さんが自由に葬儀に関われる空間を「安く」提供する。皆さんが直接関わり供養する葬儀、そういうプランを直葬というのならわかりますが、あまりにも意味が違いすぎます。

何もわからない消費者が選択するのは「金額が安い」とか「煩わしさからの解放」などのキーワードと、それを葬儀を専門とする葬儀社が販売しているから、「それでもいいんだ」と判断してしまうのです。ひっかける商売は詐欺と同じですよ。

お葬式って基本的に「煩わしい」ものなのです。その人の様々な関係を、最後に一つにまとめるのには手間がかかって当然です。だから人は寄り添い、心と身体を寄せ合って見送る事で区切りをつけてきたはずですし、それをお手伝いするのが葬儀屋さんだったんですけどね。

お葬式には意味があります

やはりお通夜にはお通夜の意味がありますし、お葬式にはお葬式の意味があります。最低価格であっても必要な物を揃えて提供する責務が葬儀社には存在すると考えます。

だから、お葬式の料理にも大切な意味がある事を思えば、きちんと用意していただきたいのです。手間をどちらが負担するかによって金額が変わるだけで、かかる費用はかかるものです。

人は一生の内に一度か二度くらいしかお葬式を送り出す立場を経験することはありません。
でも、その時に「何をしたか」は残り、次へと受け継がれていきます。

大きな事をしたから沢山お金がかかったではなく、きちんと儀式は行った、自分の両親も含めてのご先祖へ恥ずかしくない事を「お金をかけて」ではなく、「手間をかけて」行った事を次の世代に伝えていただきたいのです。

お通夜の料理、お葬式の料理に箸をつけながら、そんな事を考えてみていただけたらありがたいと思います。その時間が葬育のきっかけになるかもしれませんので。

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