人が亡くなった事を伏せないでほしいと思う

赤い十字架を背負った白い人形
赤い十字架を背負った白い人形

死についての環境を考える

人は死にます。私も皆さんもいずれ死はやってきます。ごく当たり前なことですが、普段の生活では考える機会がほとんどありません。

車を運転していて、バイクに乗っていて、ヒヤッとした時に若干感じることもあるかもしれませんが、事故を起こして病院にでも運ばれない限り、私たちは自分の死を実感しません。だからこそ、いざ肉親や友人の死に直面した時には慌ててしまうものです。

病気になり、症状が悪化していく中で死を実感することもあるでしょう。そのような時には、まだ心の準備もできる時間的な余裕はあるかもしれませんが、気持ちとして現実を受け入れる事が可能かと言われれば、個人差の問題にもなりますが恐らく難しいところがあると、これまでの現場を見ていて感じます。

命はいつ終わりを告げるのか誰にもわかりません

葬儀の担当を長らくしていると、本当に様々な状況に遭遇します。小さなお子さんの葬儀も担当しますし、葬儀中に喪主が亡くなってしまった事にも遭遇しました。事故で亡くなられた喪家を担当した時には本当に辛い状況に遭遇します。

辛い経験をされた遺族は、強く心に残り、自らの死を考える機会を得るかもしれませんが、気持ちとしては誰もが経験したくない出来事でもあります。

できる事なら寿命を終えて、静かに死ぬ事ができればそれがいいかもしれませんが、死に方といいますか、命の終わり方についても様々な考え、価値観がありますので何が一番なのかは人それぞれの思いがあると思います。

その時、心に強く感じた事であっても、人は時間の経過とともに少しずつ記憶が薄れていくものです。私自身、母の死に際を看取った記憶は今も強く残っていますが、それでも私の不肖でしょうか、自分が死ぬ事を常々考えている訳でもありません。正直、忘れて、テレビのお笑い番組を見ながら笑っている自分も確実に存在しています。

そんな自分が申し上げるのも失礼な話かもしれませんが、一度は自分の死についてじっくり考える機会を得る事は、有難い事だと思っています。

死を実感する機会に遭遇していただきたい

葬儀の担当者は、日々、死を目の当たりにして、そしてそれを仕事として携わる中で命を考える機会がありますが、その担当者自身に死を身近に感じた経験がない場合、実感としては薄いかもしれません。それでも一般の方よりは死を身近に感じる環境にいます。

職業的に死が身近にある方、例えば、警察関係、医療関係、鉄道関係の方も一部身近に接する方もいますが、消費者の多くの皆さんは日常生活の中で死を考える機会は全くと言っていいほどありませんので、葬儀の相談会で棺に入る機会があれば、それも実感するきっかけになるかもしれません。

興味本位だけでなく、静かに目をつむってみれば日常生活では考えない事も頭に浮かんでくるかもしれません。

法事などを自宅で行う事も少なくなりましたし、お寺さんと普段から話す機会もほとんどなくなってきました。菩提寺、檀家という関係も希少なものになってきていますし、宗教を通じて死を感じる機会は格段に減っています。

生きる事が大切なのは、多くの方が言葉にして表現しますが、命の繋がりによって今の自分が存在する事を表現するなんて青臭く言われてしまいます。でも、死の空間を共有しなければ生きる事、命の有り難みを実感する事はなく、結果、自分の繋がりなんて考えない自己中な意識が芽生えるのではないかと感じます。

本当に現代は死の時間を共有する事が難しくなってきていますので、少しでもいいですから葬儀の場でも、事前相談でも、見学会などでも「葬儀場」へ足を運ぶ事が最初の一歩かもしれません。

立場によっても死の感じ方は違う

喪主の立場と参列するだけの親族の立場では葬儀を感じる度合いが違います。親子、兄弟、伴侶、親族、友人、知人、ご近所さん、これらの立場で葬儀の見方や、その雰囲気は大きく変わります。

身近な人が亡くなった時間をできるだけ長く共有する事が、死を感じる、考える一番の機会だと思います。しかし、昨今はその場に会葬する事も失われていき、葬儀が低俗化する事によって大切な時間を共有する機会も奪われています。

1日葬、直葬。これらを費用的な観点から選択しなければいけない事情もあるでしょう。老々相続が問題になるほど、高齢社会へ向けての葬儀のあり方が懸念されますが、このような環境の中、故人も喪主も親族も高齢である。そんな環境を配慮して葬儀を知らせないで身内だけで葬儀を行う事もわかります。

でも、命を感じる、死を考える機会でもある事を理解して、大切にして欲しいと思っています。費用はともかく、時間が許すならば死の時間と空間を共有していただきたいのです。

これは業者にも言える事で、費用なりの内容設定は理解しますが、やはり葬育の時間をお金で端折らないでいただきたいのです。

直葬だから会館安置では、翌日まで会えない。その理由は自社(葬儀屋)都合だと思うのです。会館で安置する場所が狭く、便利が悪い事がそれを推し進めているなら、喪家の事情もわかりますが、それなら共有する時間を大切にしていただくためにも自宅安置を勧めて、その自宅でゆっくりとお別れをしていただく事の方が大切ではないでしょうか。

直葬そのものを反対している訳ではないのです。直葬というワードを利用して、手間を省き、内容を簡素にし、そして儀式を端折る事を当たり前にしている業者の姿勢に反対しているのが三日坊主ですから。

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