何度も言うけど、葬儀は司会者じゃないって

カッコつけて喋るサングラス男
カッコつけて喋るサングラス男

葬儀の司会者をやっています。そんな事を言う人がいる。あなたがメイン? 勘違いも甚だしい。確かに、私もそう思ってやってきました。もっと上手くなろうと努力もしました。でも、経験を積んだら、自分の立ち位置に悩むのが普通だと思うんですけど…

すいません、司会者と名乗る方があまりにも多いので一言

葬儀屋さんってそんなに前面に出る仕事ではないと思うのですが、その中でも、自らを「司会者」と名乗る方々は本当に面倒くさい。しかも、司会の指導やマニュアル販売なんて、「おまんは、なんぼのもんなん!」と、突っ込みたくなる。

自分の宣伝のために、◯◯議員◯◯様の通夜告別式をサポートとか、俳優◯◯様の司会を担当とか、そんな事をブログやサイトに書いていいの? 

三日坊主も、それなりに著名な方を担当した事がありますが、それを自身の経歴に添えるのって、過去の栄光にいつまでもしがみついている様でちょっと恥ずかしい。

そう思うから、今を、まさに思い立った今から生きようと考えるのです。そこから創意工夫をしなきゃ進歩がないと思うのです。

もう一言

「えっ、あの方の葬儀を?」そんなお声は、周りからかけられるものであって自分で言う事でもないと思うし、亡くなった方を利用する場面でもないと思うのです。

たとえ故人が、芸能人や著名な方でも、亡くなった方を踏み台にして宣伝する仕事ではないと思うので。

消費者の方や、まだ葬儀の仕事を始めて間がない方にはウケるかもしれませんが、自分が持っている話し方や原稿の情報って、自信を持って無料開放できないのかな。

あなたにしかその世界は表現できないのだったら、原稿は同じでも違いは出ると思うのです。いわば、プロの歌手が歌うのと素人の「上手いねぇ〜」と言われる方の違いみたいなもので、「やっぱりプロは違いまんなぁ」となるでしょう。

さらに一言

以前から、葬儀の司会者について書いていますが、葬儀の主役はあくまでも故人(御霊)です。

その方を葬送する時間と空間に、ご縁のある方々の様々な思いと力を結びつけて、生きとし意味を教えられる存在である、もっと大きなエネルギー(宗教)に触れる機会と、私は思っています。

その儀礼の主は主宰者であり、その儀式における宗教的な部分は宗教者が担当します。これらが交わる空間に、司会者なんて前面に出る存在は必要ないと思うのです。

はい、お寺さんが入場しますよ〜、お静かに願いますね。はい、喪主さん、そろそろ焼香してくださいね。次は、親族皆さんですよ〜。

故人のお知り合いの皆さん、喪主さんの会社関係の皆さん、そして、親族の皆さん、わざわざ参列いただきありがとうございますと、喪主さんが言ってましたし、おそらく、そう感じていると思うのですが、本人はおしゃべりが苦手なんで葬儀屋が代弁しますね。

そんな事を、つらつらカッコつけて話しているのを司会者って自分で言う? 葬儀の仕事に携わった当初は仕方がないとは思います。業界全体がそう位置付けているから。でも、経験を積んで自分の仕事に疑問を持ったら、立ち位置に悩むのが本義だと思うのです。

ついでに一言

なのに、いつまでもその位置にしがみつくのは、正直、恥ずかしい。その経験を商品にする自信はどこから出てくるんだろう。

業界を案ずるなら、資料は無料。出張講習費としてアゴ足代で十分じゃない。それが、お世話になった業界への恩返し。今の自分があるのも先逹がいたからで、歴史と慣例に感謝するべきじゃないかな。

確かにセレモニーとは言うけど、この意味の使い分けが葬儀屋は基本的に間違っていると思う。典礼でもないし、儀式の一部が葬儀告別式であって、単なる式では表現できないものと思う。なので、お披露目でもないので司会者なんて必要ない存在です。

万に一つ、お披露目としての社葬の定義があるとしても、カッコつけて喋る必要はない。淡々と進行に徹すればいい。間違わない進行こそが葬儀屋の仕事と思うので。

なので、葬送儀礼と表現するなら、そこに葬儀屋の居場所はありません。あくまでもサポートでしかないと思うし、まして、主役でもなんでもない。つい最近まで葬具貸出業だったし、人夫出しの受け口でしかなかったんですよ、葬儀屋って。

最後に一言

お金を取るために演出が派手になり、その脇役としてナレーションや飾り言葉を並べるようになった。そんな司会者って、見栄えを良くするために添えられている、スーパーの刺身の造花の菊程度です。あってもなくても、どうでもいい。

言っときますけど、あなたの喋りを誰も気にしていませんよ。酔いしれているのは司会者と称する人間と、葬儀業界の人間だけです。

BGMみたいな存在でしかない。だから、噛んだり、抑揚がおかしかったりすると、ノイズとして耳に残るだけで、淡々と進行していれば気にもならない。て言うか、聞いてない。

あなたが作成したナレーションとか言うモノも、故人の存在があるから皆さんの心に響くだけであって、言葉に涙している訳でもない。その葬儀の場を離れたら、あなたの創作したモノは何の価値もない。

一人一人、人生は違うし、遺族や参列者の思いも違う。だとすれば、ナレーションとか言うモノも本来、一回きりのものだし、マニュアルとして雛形にはなり得ない。まさしく、仏作って魂入れずの商品を金儲けの手段にするんじゃないよ。それじゃ、霊感商法ですよ。

お金を出してまで勉強しようとする、葬儀社の若い方の気持ちは応援します。なら、三日坊主に相談してください。知りうる限りの事は無料で提供しますので。

シェアする

トップへ戻る