葬儀屋は、いつまでたっても本物の「会社」になれない理由

あくまでも、葬儀屋です

タイトル通り、葬儀屋は葬儀社になれないんですよ。何億、何十億円、数百億円と売上げるけど、それは企業ではない。日本のお家(いえ)とはまた違う体質がそこにはあります。丁稚奉公を経てのれん分けがある訳でもない。弟子と師匠のような関係もない。そこにあるのは主従関係に縛られたものしかありません。

その売上を得るためのスキルとして必要なものは何もありません。仕事があればいいだけ。国家資格を必要とする訳でもないし、あるのは業界として制定した葬祭ディレクター資格のみ。これ以外にも資格認定基準根拠が正体不明の終活コンサルタントやアドバイザーなるものや、他にも響きのいい言葉を並べて創作するのはお得意技です。

体裁的には法人として一応やる事はやっている程はありますけど、そこに企業理念が存在する事も少ないのです。あったとしてもそれは創業者の「おごり」と「自負」の塊のような言葉であって、それに感服して追従する「生きざま」ではないですね。多くの葬儀社を見てきて思いますが、ただの連絡・報告の会レベルの朝礼なのに、それらを唱和する姿は滑稽に見えます。

葬祭業の販売葬具として祭壇であるとか、棺であるとか色々と売る「モノ」はありますが、あくまでも主になる販売材料は社員・社員風の個人請負者の「人力」だけです。そして労働時間の長さ、休みを取りにくい環境などにより、会社として人員を管理する事が難しいため、その判断スキルや対応における言動は全て個人に委ねられる事になります。

そうなるとバラツキがすごいのですが、個人のスキルを管理する仕組みがない。最低限、会社として求めるラインがあったとしても、その評価項目の一つ一つがなんとも言えない基準になってしまうのです。

君は、ジャイアンか?

基本的に葬儀屋ってそんなに大した仕事をしている訳ではないのです。気の利いたスーツを着て、マナー講習なども受けて、サービス業だ!なんて息巻いても、式中そこにいなくても進行する程度の存在です。

そして、それを無理やりたいそうな事をやっているように錯覚するからややこしい。特に二代目、三代目あたりがビジネスかぶれしていると、余計に面倒臭いのです。

人件費削減の意図で、一人の人間に当直・寝台搬送・設営と撤収・運営進行・資金回収・アフターフォローの「業務」という事をさせながら、できない人々に対しても「マネジメント」を意識させ、会社としての見てくれだけでこれを併せてやろうとするから無理が出るんです。

たとえ分業して子会社を設立しても、裁量の範囲が狭すぎるのです。ただのお飾り責任者であって決裁権もなければ、その苦労に見合うだけの報酬も出さない。

見栄えはどんどんよくなるけど、この思想回路は昭和のままで止まったままなのが葬儀業界なのです。なので法人として社会に貢献し、そこで働く人々を幸せにし、投資家に利益を還元するなんて考えはありません。

お前のものは俺のもの、俺のものも俺のもの。そう、ジャイアンのような社長が多いので、例えやる気がある、生きのいいのが入ってきても枯れてしまう可能性が高い世界では、会社や売上はあくまでもジャイアンのものだから「」にはなれないんですよ。

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コメント

  1. moumou より:

    葬儀屋に勤務するものです。会社は大きいですが、北朝鮮と何らかわらないバカな会社です。《施行がないから》という理由で、勝手にパートの時間を削ります。挙げ句に、会社都合のはずなのにパート都合にした休みにします。離職率100%の酷い会社です。すごい勢いでみんな居なくなります。事故れば、免責なく全額支払いを命じられます。誰か、この会社を潰してください。

    • 三日坊主 より:

      あるんですよね、こんなところが。辞めても次の会社も似たようなもの。総じて言えば、葬儀業界は変わらないですね。

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