互助会サンレーさんのヒント 冠婚葬祭の意義を考える

熊のウエディング
熊のウエディング

子供たちの儀式に触れさせる機会を作る事は大切だと思う。冠婚の場合は、模擬形式でも「憧れ」が生まれると次につながる可能性が高い。葬儀には、もともとそんな現場があるのに、簡素化して時間を端折るから経験できないのです。もっと将来を見据えて商売しないと…

冠婚葬祭って?

結婚式も、葬儀も、大切な儀式であることは間違いないのですが、これがともに簡素化しているのが現状です。それが、これからの冠婚葬祭にどのような影響を与えるのか、そんな中、キッズを巻き込んだ「親子でウェディング体験会」を開催されている、株式会社サンレーさんの話題に絡めて考えてみました。

サンレーの社長さんは、佐久間庸和(つねかず)氏。福岡県北九州市の老舗互助会です。この方の情報発信量は半端ないですね。葬儀関係者のブログをあれこれ拝見しますが、公務も自社の仕事も多忙な中、毎日、更新されるというのは感服します。三日坊主のような愚生では、こんなに書けないデス。

親子で結婚式を体験する - 佐久間庸和の天下布礼日記

冠婚葬祭と言えば互助会のキャッチフレーズのように感じますが、この文字一つ、一つに人生の節目を表し、死後のあり方を指しているとの説もあり、このいずれをも滞りなく行う事に重きを置いていたとの考え、意味もあると言われています。

「冠」は、かつての元服に由来するとも言われ、社会的な地位を得る事を世間から認められるとの意味を持つ言葉であり、男子として一人前であるという意味、象徴でもあると考えます。いわば、大人になったんですね。だから自身の言動に責任を持たなければいけない。生活にも責任を持たなければいけない。世の中の事にも責任を持たないといけないという事です。

「婚」は、ストレートに言えば結婚の意味ですが、女と昏の漢字が組み合わさっています。昏の字の氏は古くは刀の意味で、また、日は肉を象徴しているとも言われますが、そんな古くに肉を食すと言えば、マンモスのようなものしか想像できませんので、命をつなぐ食物を切る生活を表しているのではと考えると、日々、その役割を担うお母さんのようなイメージです。

結婚って大変なことなんですね

大人になった男女が、結ばれることによって新たな家が始まるのが冠婚であって、結ばれた以上、その責を真摯に務め、互いを敬い、互いを尊重し、命をつなぎ、繁栄に努力しなければいけない。

冠婚をちょっと荒っぽい言い方で表現すると、冠を得た、一家を構える事ができるようになった男性が、人と人が結ばれるその責任を果たし、家族を養う務めができる人だと認められる儀式であると思うのです。それぞれの立場で命をつなぎ、その家を子孫がつないでいく。それが家の繁栄でもあり、国の繁栄でもあったと。それだけ責任の重い儀式だったと。

結婚を選択しない人も増えていますし、結婚しても挙式をしない方も多いと聞きます。現在は、性別、出産などによる差別をなくす、男女雇用均等法によって、女性が働く機会が守られ、尊重される時代でもありますが、男女共、時間に追われる生活の中ではきっかけがないのかもしれませんし、他に自分が大切にできる価値観が増えたのも一因かもしれません。

結婚しても、子供を育てる社会的な整備が十分とは言えない日本では、仕事と育児の両立も難しいですね。育児にかかる費用、教育費、そこへ住宅ローンなんかがきたら大変です。命をつなごうと思えば、互いの仕事の時間に追われる。このような環境では、少子化も、儀式が簡素化していくのもやむをえない状況かもしれません。

自分たちで首を絞めている現状

葬儀も簡素化が進み、儀式を大切にしない風潮が生まれています。直葬や1日葬が当たり前のように選択される現代では、儀礼もおざなりにされていきます。葬儀社も、葬儀紹介業者もアカンのですが、こういった流れを止める努力をせず、消費者が求めるから致し方ないと、そんな商品をラインアップして、他社に取られるぐらいなら自社で施行したいとの思惑が。

親の背中を見て子は育つといいますが、冠婚葬祭、特に葬儀の場合はこれを実践できる絶好の機会でもあるのに、これが無くなっていく。祖父が亡くなった。祖父の兄弟も、親戚も高齢だから、葬儀社に相談したらそこを配慮して1日葬を選択するようアドバイスされた。こんな声も聞きます。宗教者は通夜・告別式をしなさいというが、その大切さの意味を説明しない。

私は、冠婚は動の儀式、葬儀は静の儀式だと思っています。動も静も表裏一体です。どちらも繋ぐという意味で言えば同様の尊さがあると思っています。葬儀では静の時間を大切にするべきだと思うのです。故人と一緒に過ごす時間こそが命を感じる時間であり、たとえ1日葬を選択したとしても、自宅や霊安室で一緒に過ごす時間までもを端折るのはどうかと思うのです。

常々、文句を言っている(失礼)直葬屋さんは、霊安室に預かると遺族に会わせないところもあります。自社に故人と遺族がゆっくりと過ごすスペースがないからと、火葬場に安置する事を勧めるところも多いのです。これは、あくまでも葬儀屋の都合です。葬儀屋の都合で葬儀を葬儀でないものにしているのです。

子供を育てるのは社会の責任です

今回、サンレーさんは「親子でウェディング体験会」を通じて、子供に儀式を体験させる機会を作りました。結婚式とはなんだろうと小さな心に刻み、儀式の意味はわからずとも、大人はこうして結婚していくんだ。パパとママもこうして結婚して私が生まれたんだ。だから、私もこうしたい。そんなきっかけを作る意味では大切だと思います。

結婚式は魂の躍動が必要な儀式だと思っています。喜びと感動がなければいけないと思うのですが、これに憧れが加わると魂に刻み込まれるのではないかと思うのです。そういった意味では模擬結婚式でも印象に強く残るのではと分析しますが、葬儀は静の儀式なのでライブ感がない場合、魂に積み上げる想いが薄いので模擬形式はどうかなとは思います。

何より葬儀では静の時間を大切にするべきだと思うのです。葬儀社が葬送儀礼を大切にしなければいけないと思うのならば、老いも若きも含めた遺族・親族をその空間に同席させないといけないのです。積極的に安易な葬儀を販売するのはダメだと思うのです。安いから端折る? そんなことしか価値観を設定できないななら、商売しない方がいいと思う。

遺族・親族が寄り集う時間を端折ってしまうよりも、高齢の方でも参列できる施設にお金をかければいい。大きな豪華な式場の横に、お体の不自由な方や高齢者の方が安心して利用出来る専門のバリアフリー式場をポツンと作れば済む話です。そこに子供も集まって、葬儀を一緒に体験する機会を維持しなければ、冠婚葬祭は商売にならなくなっていきますよ。

費用に対して施設を使い分ければどうか

互助会もそうですが、相互扶助の精神で大切な儀式を行えるように助け合おうと始まったというならば、時代は変わりました。近隣、隣保、同業は出てこない時代です。ご近所で相互扶助はできない時代です。

お金がなくてもキチンとした儀式を挙げさせてあげたいのが相互扶助の当初の理念なら、直葬や、1日葬を費用の点でやむなく選択する方々へ互助会が相互扶助してあげるのが、現在の役目ではないでしょうか。その意味で言えば、最低限の費用でも葬送儀礼を崩さず葬儀を行うべきだと思います。もともと、互助会は安いのが売りだったようにも思うんですけどね。

一般の葬儀社も互助会も同じですが、20万円でも100万円でも表面上同じように葬儀ができるなら、他の商品が売れないと危惧するのでしょう。コストがかかるから無理なんでしょう。100万円の葬儀でも、福祉葬や直葬でも葬儀に必要な葬具は同じです。大きく豪華な葬儀会館の部屋を使い分けても無理があります。専門の式場で別対応するべきではないでしょうか。

これまで葬儀会館はドーンと建てて、高級化を目指していたところも多かったのです。しかし、これからは家族葬会館だけでなく、施行ニーズに合わせた施設を細かく活用するべきではないでしょうか。費用をかけれない方への葬儀でも最低限の施設は提供するべきだと思いますし、逆にお金をかけたい方にはフルサービスの人員を揃えて、満足を追求していけばと。

このアリさんは、もともと大きいのです

以前、申し上げましたが、今は紹介だけに徹しているイオンさんが、大きな駐車場を持つスーパーの端に「イオン会館」なんて作り出したら、あっという間に施行を持っていきますよ。安くはないけど、既に安そうな、親切そうなイメージが付いているところへ、スーパーで購入したものならなんでも持ち込みOKってなったら、これだけでもかなり費用負担が減るのです。そこをアピールされたら勝てますか?

喪服を貸し出しできる業者も、貸し布団を用意できる業者も既にテナントに入っています。香典袋を忘れたらすぐに買えます。茶菓子も1階で売ってます。ドリンクも定価より安い。そして、既に全国に店舗を持っている。しかも、資金は潤沢にある。そんな武器をいっぱい持っている業者に恐怖を感じるのは私だけでしょうか。

イオンさんはジワジワと足場を固めているように私は思っています。老舗の葬儀社も、上場している葬儀社も、互助会も勝てないですよ。しっかりと儀式の重みを考えた葬儀をやらないと、いつまでも、既存のままの意識で消費者受けだけを狙っているとねダメじゃないかと思うのです。

そういう意味では、サンレーさんのように、子供たちが儀式に触れ合うライブな機会をもっと作って欲しいですね。あっ、葬儀は本番ですよ。念のため。

ゾウを倒すアリもいますから、どうぞ、ご用心を。

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