寺侍(てらざむらい)って、ご存知ですか?

土俵入り
土俵入り

寺侍(てらざむらい)ってご存知ですかね。私が葬儀に携わった頃、お寺様を先導するためにその役割がありました。現在では導師が一人で葬儀を務める事が多い中、このような風習がなくなっていく、知られなくなっていく事に寂しさを感じます。存在意義があるからこそ継承される。その本質を考えてみました。

古き良き歴史の名残り

先日、ある著名な先生とお話しさせていただいた時のこと、「昔は、寺侍なんかもやってましたねぇ…」なんて話したところ、「寺侍!?」と共感いただける反応にとても懐かしさと、嬉しさを感じ、この気持ちをお伝えしたいと思い記事にしてみました。

歴史上には、はっきりとしたものが残ってはいないのですが、寺侍とは江戸時代に格上の寺院に仕えた武士のことです。お寺の警護、特に住職の警護についていたのではないかとも言われております。この名残が葬儀の現場にもあったのです。

現在の葬儀ではこの寺侍なんてのは登場しませんが、私が葬儀に初めて携わった頃、導師・脇導師・役僧・楽僧など、いわばフルメンバーで葬儀を行う場合などで時折登場しておりまして、そのお寺様たちを先導するのが役目です。

装束と役割は?

装束は、寺紋を入れた羽織袴が正式とされていました。ところが、急場の事では寺紋入の羽織袴は用意できないので、普通に一般的に男紋とされる、丸に剣片喰(けんかたばみ)の紋で代用しておりました。楽僧が入らないケース(当時はテープで雅楽を流していました)では、式服として着用していた略礼服で先導する事もありました。

古くは、露払いも参加しておりまして、その名のごとく、これから歩くべき道の露を払うために竹の棒を持ち、行く道の安全確認の役目として寺侍よりも前を進みます。その名残は、現在では大相撲の横綱土俵入りの際に、露払いと太刀持ちが先導し土俵上で両脇に構えていますが、あの形式に込められた、露払い、太刀持ちの意味は同じと考えます。

形式的には、露払いは道先導をする役目で、この先の道が安全かどうかを先方で確認するのが務めであり、太刀持ちは、現代の相撲界で刀を持つこと自体は不自然なことから、当時、帯刀を許された武士の名残ではないかと考えられるのです。

そういう意味では、太刀持ちは寺侍と同じ役割でないかと思われますし、どちらも、神社仏閣に深く縁のある背景を思っていますので共通する部分があるのだろうと思います。ここにも歴史の名残があると、私は感じております。

おたぁぁ〜ちぃぃ〜

入場する順序は、(露払い)・寺侍・役僧・役僧・脇導師・導師(長柄傘持ち)で行います。始めに楽僧の奏楽が始まると、お寺様の先頭で片膝を地面につけて座っている寺侍が「おたぁぁ〜ちぃぃ〜」と発声しておもむろに立ち上がります。右手に扇子を持ち、もう片方の手は、寺の紋がはっきりと見えるようにと、袖を引っ張りながらズイズイと歩きます。

この役割をする人は、ちょっと体格のいいというか、お腹が出てるくらいの方が羽織袴も似合います。私が司会進行の役目で、程なくお寺様が入場しますよとアナウンスし、その後、寺侍の立ち上がる時の声が聞こえると、何か凄い事が始まっている感じがしました。悠久の歴史といいますか、日本の文化を肌で感じるような感じがしまして、毎回、感動していました。

最近では、脇導師はもちろん、役僧すら入らないケースが多く、導師一人で勤める事が多い事から、これから先に見る事はないかもしれませんね。寂しい限りです。このような葬列に似た風習は、大阪では毎年6月に行われる住吉大社の「御田植神事」が有名ですね。露払いの役目としては供奴が担当している様子です。

最近では、家紋すら使用しないケースが増えていますし、このような寺侍なんてのを聞いた事もない葬儀屋さんも多いのではないかと思います。各地でも同様の祭りで、これと似た行列を行っているところもありますので、一度、見ていただければ感動モノだと感じます。

現在も行われている儀式

住吉大社で毎年6月に行われる「御田植神事」は、御神事なので仏事の形式とは若干の違いはありますが、おおよその雰囲気は掴んで頂けると思います。露払いの供奴や、お稚児さんなど様々な役割の方が出てきまして、時代絵巻のような雰囲気が味わえる行事です。

葬儀の場で寺侍が残っていた頃と同時期に、この供奴に参加させていただいた事もありまして、今回、これら各地で行われている行事を写真に収めている「とくいさとし(せんべぇ)さん」からお写真をお借りしました。法被を着ているのが供奴です。この写真の左に写っている羽織袴のスタイルが、ちょうど寺侍の装束と同じなので雰囲気が分かりやすいと思います。

住吉大社のお田植神事での奴
住吉大社のお田植神事での奴

こちらに写っている赤い傘が長柄傘です。引用の写真では花街のメインの方に使用していますが、寺入場ではこれを導師にさします。

住吉大社お田植神事新町行列
住吉大社お田植神事新町行列

お寺にまつわる話をもう一つ

これと似た風習としては、お寺に嫁ぐ方も同じく行列を組んで駕籠に乗ってやってきたとの話を聞いたことがありまして、実際にその駕籠を見せてもらいました。

大阪府八尾市にある浄土真宗本願寺派の久宝寺御坊 顕証寺さんでは、現住職のお母様の時代でも駕籠に乗ってやってきたそうです。ま、このお寺は、古くから殿様のような存在でしたから当然だったかもしれません。

顕証寺 (八尾市) - Wikipedia

本当に古い歴史を持つお寺で、戦国時代には久宝寺御坊を中心として寺内町が形成され、堀と土塀などを作り、その寺内町へ入るところにも関所を作ってあったとも言われており、そこだけで小さな国が存在すると言ってもいいほど、権力も財力も備えていたと言われておりましたが、現在ではこのような別院を維持するのも大変な時代です。

本物に触れていただきたいと願います

このような文化に触れていただくと、せわしなく過ぎゆくネット上での葬儀の世界は薄っぺらいものと感じれると思うのです。人が作り出し、伝え行く文化の大切さは本物に触れないと感じる事も出来ないのではないかと思いますし、それを残さなければいけないという気持ちが湧いてくるのではないでしょうか。

寺侍もそうですが、葬儀の中には使われなくなった葬具もたくさんあります。式場に入る前に身を清めるため、桶に水を入れ、手酌を置いていたのもご存じない方も多いでしょう。一部の地方の式場では、入り口にまだ水が出る設備を残しているところもありますが、これも時間の問題です。また、道灯りとして使用していた家紋入り六長提灯なども見なくなりました。

また、四華花なども祭壇には飾っていましたし、四天樒を表に飾り、二天樒を祭壇の横に飾り、これをもって結界としていた風習もありません。自宅での葬儀から会館葬へ移ると幕を張ることも少なくなり、このような技術もなくなっていくのでしょう。

なんか、今風じゃないからって端折るんじゃねぇよ

これらは本来、存在する意味があったからこそ使用していたのですが、業者の都合でおざなりにされる事はどうかなとも感じます。他と差別化をするために、売価と原価の都合で構成した意味のわからない葬儀を提供したりって、努力する順序を間違っていると思うのです。

その極みは、直葬なんでしょうけど、葬送儀礼を安価な葬儀であっても提供する義務は、葬儀社には存在すると思うのです。そのモノに存在意義がない、アイデンティティの存在しない葬儀を生み出すのではなく、根っこのある、意味のある葬儀を提供するから葬儀屋さんなんじゃないのかなって思うのです。

葬儀文化が薄れていく事は、長らく携わった者としては寂しい限りですが、形は違えど、その本質は残していける葬儀を、意味のある葬具を開発し使用する姿勢を、葬儀業界に身を置く皆さんには大切にしていただければと願っております。やはり、葬儀に必要な儀式はアレンジしてでも残すべきだと思うのです。

こういった儀式があったからこそ、現代の葬儀があり、それによって事業を営むことができているのです。ならば、文化の継承という部分にも気持ちを置いていただければ、心を忘れない葬送儀礼を提供できるのではないかと思っています。

葬儀紹介事業者さんも、目先の商品ばかりに目を向けず、このような葬儀の歴史を紹介していただければありがたいのですが…

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