お葬式の現場で起きている事、学べき事

お寺の内陣、ご本尊の前の写真
お寺の内陣、ご本尊の前の写真

お葬式って、結局なに?

お葬式にはわからないこと多くないですか

  • 家族葬ってどうすればいいの。
  • エンディングノートってどんな風に書いて使うの。
  • お寺さんは呼ばないといけないのかなぁ。
  • お葬式の費用ってどれぐらいが普通なの。
  • 互助会に入っているけど安心なの。
  • 互助会って高いの、安いの。
  • 葬儀屋さんってどうやって選べばいいのか。

などなど、入口からつまずきそうな事ばかりです。
このブログを始めたきっかけは、皆さんがわかりにくいお葬儀の情報の中から必要な物を取捨選択していただく事のお役に立てればと考えてです。

一般の皆さんがお葬式を行った時の経験も、親族の中では中々活かされる機会がありません。
なぜなら、ひとつの葬儀を経験されても、次の葬儀までには長い時間を必要とするのが一般的です。運悪く、お葬儀が続く事も無きにしもですが、できるだけそのような事態は起こってほしくない状況です。

時間を経て、その方の意見を伺っても経験された気持ちや価値観は活かされると考えますが、葬儀に関わる商品や料金は変化しているでしょう。

子供は見ています

お葬式の場というのは、命を考え、死を考える機会だと考えています。喪主が故人をどのような気持ちで送るのかを次の世代の方は見ています。

親が子を送り、孫がこの姿を見ています。

どこの家庭にも、そこの家なりの「風習」や「慣習」があります。
朝は必ず「ごはんだ」という方もあれば、「いやいや、パンでしょ」という事です。
お風呂の入り方や、歯の磨き方、言葉使いから物の考え方。
それらは、毎日の積み重ねの中で受け継がれていくものですし、子は親を見て学ぶ事も多いと思います。

お葬儀の場でも、喪主が「命」をどのように祀るのかを見て、次は家族が喪主を送る番になります。

命を祀る時

最近の「家族葬」にしても「直葬」にしても、それを求められる社会的なニーズもある事は分かりますが、かかる経費と売価の兼ね合いで内容を端折ってしまい、儀式をおざなりにする葬儀社にも大きな問題はあると感じています。

お葬式を行うためにどうしても必要な物は沢山あります。しかし、直葬などでは葬具も宗教者をも削り、そして「手間」をも削り「ただ、火葬するだけ」の低価格の葬儀を消化するだけの「作業」になってしまっています。

宗教者の問題は、宗教界にも問題があります。この事について言及するつもりはありませんが、葬儀を儀式から遠のけているひとつの要因でもあると思います。

私は、長く葬儀の世界で沢山の「死」と関わってきました。喪家にも様々な事情があり、予算の都合もあります。したくてもできない事情がある方にも、せめて形式だけは儀式を保っていただきたいと願っています。

そのためには、葬儀社の「勇気」が必要です

利益はもちろん必要です。事業として社会で認められている以上、また、そこに勤務する方の生活もあります。

ただ、長年葬儀業界で見てきた中では、儀式を重んじる事よりも、不必要なぐらいの利益を追求している部分と、不明朗な商品売価設定により必要な物を削る方向へと進み、必要なら「お金を出してください」となるのでは、出せない方の儀式はおざなりでも良いのかと思ってしまいます。

消費者としては、いくらかかるのかわからない状況の中で、支出を抑える第一歩として「家族葬」というフレーズを切り出したがために、結果、納得のいくお葬式ができなかった事もあります。

不必要にお金を出す必要は、まったくありませんが、必要な物にも必要以上にお金を出す事もないと思います。大切なのは喪家側の「してあげたい葬儀」を伝える知識と、葬儀社側の儀式を重んじた上で「それを理解し、形にできる」システムが必要なのではないでしょうか。

安い事だけを売りにして儀式を儀礼をおざなりにする事なく、必要な事は行える環境が求められる時代に変わってほしいと願っています。

よくあるサイト上で「葬儀社がすべて悪い」なんて事をいう気もありませんし、消費者の皆さんもすべてが「いい方」ばかりとも思いません。

ただ、死に対する尊厳と儀式の威厳は守るべきものと思いますし、その中でこそお葬式の現場で学ぶ「葬育」が育つと信じております。

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