佐々木悦子氏について、もうひとつ思い出した件

強く吠える丸刈りの男性
強く吠える丸刈りの男性

前回、「エンディングコンサルタント 佐々木悦子氏についてひとこと」という記事を書きましたが、ひとつ言い忘れていた事を思い出したので追加の記事です。

佐々木悦子氏について追加意見です

もうひとつ気になるとういうか、言い忘れていた事が一件。それは、番組のチェックの最後で、焼香の後に渡される「粗供養」を受け取る時に「ありがとうございます」と言うとマナーとしてなっていないとの指摘がありました。

相変わらず、「はぁ?」って感じなんですが、なぜ粗供養を渡される時にありがとうというのがダメなんでしょうか?

そもそも、粗供養を渡す意味ってなんでしょうか?

まず第一に、わざわざ来てくださった事へのお礼の意味で渡す「供養」の品です。全国的に統一した見解は難しいと思いますが、私の知る限りでは、一般的に通夜に渡す粗供養は飲食に関わる物が多く、当日の粗供養には繊維製品が多いと思います。

これらは、「せっかくお通夜に参列してくださったのですが、供養のためのお食事も用意できず申し訳ない」という意味合いもあり、その方便として、飲食に関する物で持ち運びがしやすいお茶とかお砂糖等が商品に多いようです。

お葬式の粗供養は、故人の形見分けの意味もあり、「生前召していた着物を紡ぎ直して仕立てました。どうぞ、故人を忘れないようにしてやって下さい」との意味からこれも持ち運びがしやすいタオル、バスタタオル、ハンカチなどが多いのでしょう。満中陰の返礼品で使う陶器類も、「死して土に帰る、その土から作った陶器を」との意味合いが強いと考えます。

究極はどちらも「供養」という事です。供養は、仏様(故人ではないですよ)に供えた物(物質のない気持ちも含めてです)を、お下がりとして頂戴するという事です。その行為に対して感謝の言葉を申し上げる事にどこが失礼なんですか。

葬儀をビジネスと見るから間違うんですよ

で、佐々木悦子氏ですが、この粗供養を渡される時に「ありがとうございます」と言うのはマナー違反だと言うのです。悔やみごとで感謝の言葉を申し上げるのは失礼にあたるというのです。これは、葬儀をビジネスと見ている考え方です。距離を置き、上から見ているからそんな言葉が出るんでしょう。

あなたの狭い考えによる世界観であって、ご自身の立ち位置が間違っているのです。葬儀社も葬儀を仕切っているのではないのです。お手伝いです。メインではありません。でも、佐々木女史は仕切ろうとするからそんな発想になるんでしょう。

そもそも、この時に粗供養を渡す役目の方は、そのほとんどが葬儀社のスタッフでしょう。
いわば、全くの赤の他人です。身内が渡しているのは、私が知る限りでは、密葬か地方の手伝いの方が下がった後であって、基本的に他人が参列されるケースでは、葬儀社のスタッフ、もしくは地区の葬儀の手伝いに出ている方以外、渡しているのを見た事もありません。

スタッフが渡すケースでは、その葬儀社のサービスに対する労いであって、サービスに対する謝辞であり、普通の人間なら言って当たり前だと思うのです。地域のお手伝いさんであったとしても。その方々は、無償でお手伝いを申し出た方々です。その労に報いるのに、「ありがとうございます」と言ったところで、それの何が失礼であり、マナー違反なんでしょうか?

いたわる気持ち

人として、された行為に対してお礼を言うのは普通の事であり、それが葬儀の場であってもなんら問題はないと思います。

佐々木悦子氏は、このような方々の労をねぎらう事を良しとしないのでしょうか?

この方の言ってる事は、全く意味不明です。その考え方は、あなたの考えであって、マスメディアを通じて一般社会に発言する内容ではないと思います。恥ずかしくないのですか? 

葬儀や、終活のアドバイザイーとして、堂々と発言するなら、もっと葬儀に参加し、現場の空気を吸うべきでしょうし、固定観念に囚われたたった一つの意見を、さも万人が認める意見のように言うのは、社会的なポジションを得て話す方として大きな問題であり、本人の資質の問題ではないでしょうか。

このような方の発言が、葬儀業界を代表する意見と取られる事は大きな間違いと思っていますので、一般消費者の皆さん、もっと視野を広げて、様々な意見を取り入れ、ご自身の考え方を構築してください。

最後に

葬儀には「絶対」はありません。宗派、宗教による作法やしきたり、やり方はあります。教義として「こうした方が、より効果的だからこうしなさい。習わしだから」というのはあると思いますが、基本的に「これでないと絶対ダメ」というのはありえないと、私は思っています。

阿弥陀様や菩薩様、いわゆる仏様と言われる方々が、そんな度量の狭い事を言うでしょうか。
仏様の世界観でいう無限という言葉で表現されるように、私たち人間の有限な物差しとはきっと違うと思いますし、その世界を表す為に申し上げる言葉は、有限な範囲でしか物事を考えられない私たちの言葉なのです。

葬儀を単にビジネスと捉えるか、葬儀に関連する仕事を、自分の徳分を積ませていただく生業と捉えるかはその方の自由ですが、少なくとも私は、自分の徳分を積ませていただける仕事だと思っています。

そんな大切な仕事と思っているからこそ、適当な発言には心底迷惑と考える次第です。
佐々木悦子さん。そろそろ暴走をやめていただけませんでしょうか。
ご一考をお願いいたします。

シェアする

トップへ戻る