アートフラワー祭壇って、造花やんけ

不思議な空間
不思議な空間

ここまできたか! って感じです

最近、「アートフラワー祭壇」なる名称で家族葬を行う業者があります。金額は、一式含めて40万円とか、50万円ぐらいの設定からもっと高額なものまで様々です。これ、造花ですよ。造花。

中には、「ご希望により生花祭壇に変更できます」なんて、造花使用を堂々とうたってます。考えようによっては、正直に「造花ですよ。それでもよければご利用ください」と宣言していますから、騙しではないですね。正直な親切な業者さんかもしれません。

が、再三申し上げておりますが、葬儀社が葬送儀礼を掘り投げてはいかんと思うのです。コストパフォーマンスからアートフラワー祭壇を使用するのでしょうが、やはり生花を使う意味はあるから昔から使用してきた歴史があると思うのです。

造花の品質が上がってますからね

古くは品質の悪い造花の時代でも使おうとした業者もおりましたが、それらを使うとバレバレで、喪家や町会・自治会などの葬儀役員から「お前のとこ、造花使っとるんか」と、大きく評価を下げる事になります。ですが、造花の品質が上がり、ちょっと離れた距離で見ると生花と見間違うほど分からない商品になってきたら足元に入れてみたり、前面に使ってみたりとやりたい放題です。

最近では使う事も減りましたが、式場入口の両側立てかけた「大樒(門樒とも言いましたが)」と、祭壇の後方両側に二天樒と言われた小さな樒。当時、これらも三分の二は造花でしたが、白い生地で覆ってしまう部分であり、それ以外のところは樒をたくさん挿してました。
これは、樒に水が行き渡らないため枯れやすく、見えないところを挿してもあまり意味が無かったからかもしれません。

これらの樒は、四つをもって葬儀を行う式場を守る(汚れを払う)「結界」としている意味合いもあるのですが、確かに現代風には合わないかもしれません。ならば、チョット洒落た花器にでも挿して飾る意味は、形は違えど供える意味はあると思うのです。

生花にしても、三具足、四華花など本来用いる葬具にしても、これから先も時代が変わっても必要性はあると信じていますので、葬儀社や葬儀関連業者に求められるのはそのデザインや飾り方ではないでしょうか。葬儀社が工夫をせず、最近の祭壇に合わないから外してしまうだけです。

もっと言えば、故人を送る式場の威厳を保つため、昔は「手水桶」を提灯の足元に置き、そこには手を洗った後に使う手ぬぐい代わりの半紙で作った手拭きを添え、竹ぼうきも飾りました。「清らかな式場に入る前に汚れを払ってくださいね」との意味で置いていたものです。

意味があるから使うのでしょう

これらは、現在ほとんどが使われていません。葬送儀礼的には必要であっても次第に外していった葬儀業界の考え方は「あっても、なくても一緒やろ」的なところと無くても支障がないなら「経費節減のため外しちゃえ」って考えでしょうか。(手桶は、現在ほとんど作れる方がいない)

その安易な考え方の極みが、家族葬や直葬におけるフラワー祭壇なるものでしょう。この葬儀低俗化の極みとも言えるアートフラワーですが、はっきりと「造花祭壇」と言えばまだしも、サイト上のどこにも造花という商品表示が無い葬儀社もあります。家族葬=安価=原価をかけない=造花ってことでしょう。

そもそも、花は仏教で重要視されてきましたし、切っても切れない物とされてきました。主に仏教で使う漢字は、「花」ではなく「華」の意味が大きいと思います。日本に残る仏教の風習として有名なのが、お釈迦様の誕生日とされる日本の暦上で4月8日に行われる灌仏会(俗名 花祭り)と言えばお分かりになりやすいでしょうか。

仏教の教えにある六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・知恵)の中にある「忍辱」の意味合いと花の姿が通じるとこから供えるとも言われています。

波羅蜜という言葉は、「完全であること」、「最高であること」、を意味する語で彼岸に至る事をさし、六波羅蜜とはそのための実践法をいう。

風雪に耐え、厳しい環境を乗り越えて花が育ち、きれいに咲き、悲しくも枯れていくその姿が仏道における解脱への修行の姿を現している事も要因とされています。宗派により捉え方、考え方も違いますので限定する言い方は避けておきますが、これ以外にも花(華)と仏教にまつわる話はたくさんあります。

自分で首を閉めてる業者、今がよければ消費者はどうでもいいって感じですか?

葬儀社が儀礼を大切にしない事は、結局、葬儀社自身に跳ね返り、より一層の簡素化を招くことにもなり、葬儀の低俗化にも拍車がかかります。

そんな中、どうやって葬儀受注金額を上げていくのですか?

受注単価が上がらないから、コストカットに進む。件数を確保できなければ経営的にも苦しくなり、究極には業界で働く方の意欲すら奪っていくことになります。

意欲がない者は必要ない。ならば、ガツガツしている外注先に発注してやれと、一番大きな経費である人件費は低価での外注化が進み、自社の利益を真っ先に確保するスタイルで顧客の満足を満たすことなんてできるわけがない。

現に、サービスを行う女性スタッフは外注化が進んでいますし、そこに一定の品質基準(マニュアル)を設けたとしても、外注先は人が集まらない事からアルバイトを使う。すると時間から時間で終了となる作業に見合った進行スケジュールが組まれる事になります。

見積もり担当者だけが社員に残り、実際の式進行には「お世話係」として外注になることも、そう遠いことではありません。現にそのようなスタイルを自社内で分業化、経営の分割を行っているのが現在の互助会です。

これも次のステップとしては、経営陣だけが社の人間であり、現場スタッフ、事務方も含めたそれ以外の人員は全て外注という事になります。

未だに実態は葬儀屋ですし

経営という観点から見れば効率的な事かもしれませんが、いっぱしの企業としての形態を持つ葬儀社にしても、その中身は未だ「葬儀屋」です。

そんな意識レベルしかないところが内実を伴わず、スタイルだけが先行する事に大きな危惧を覚えます。フラワー祭壇など、安易な事ばかりしているとその内に葬儀屋さんなんて必要なくなるかもしれませんね。

セルフ葬儀なる、「自分たちで葬儀を行ってしまおう」というものを推奨されている方もいますが、現実には一般の方がネット上のマニュアルだけで葬儀を行う事は、少々無理があると感じています。

そこには、実際に現場でアドバイスする人間がやはり必要でしょうし、その方に料金を払って、仕入れを代行してもらって、火葬場の手配や霊柩車なども手配してもらう。そうすると、結局は葬儀屋なんです。

葬儀にかかる備品、葬具は卸値に近い金額で揃える。セルフ葬コーディネーターに一件あたり10万円を支払っても、高級家族葬の値段に近いところで社葬なみの事ができる可能性も無きにもあらずです。

そんな可能性を推し進めているのが現状の葬儀業界ですよ。せめて、心(志)ある方の葬儀社だけは、誰もが真似できないスキルと意識で残っていただきたいですね。

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