葬儀事前相談のすゝめ

ディスカッションに集まる人々
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家族葬と直葬の本音

◯家族葬を選択される故人の意思としては

  1. 無用の弔問者・会葬者を望まず、近親者およびごく親しい人だけで葬儀を行ってほしい
  2. 残された家族に負担をかけたくない
  3. 会社を退職し、現役ではないため家族葬を選択した
  4. そして、最後に…
    大きく知らせても参列してくれるかわからない、思ったほど来ない場合を考えてしまう

◯家族葬を選択する喪家側の理由としては

  1. 生前、故人からそのように葬儀を行うように言われていた
  2. 故人の付き合いなど、生前の関係がわからないため連絡不行き届きが起きる事より
    身内で行うという定義の方が負担が少ない
  3. 金銭的な負担を少なくするため
  4. 最後に…
    葬儀自体にいったいいくら必要なのかわからない
    そのための自衛本能から世間的によく聞くワード「家族葬」を選択した

といったところがおおまかな感じでしょうか。

もっと様々な理由もあると思いますが、私が現場で感じるニュアンスとしては故人側、喪家側どちらも費用に関する不安があると思っていました。

逆から読み解くと、他の項目に関しても根底にある費用への関心と不安が大きいことから連想されるワードでしょうし、繋がっていると感じています。

さて、本音は?

それと、家族葬を選択される喪家側の奥底にひっそりと潜む本音として、「そんなに来ないから」という言葉の裏にある「恥をかきたくない」との気持ちがあります。そんなに来ないから家族だけで葬儀をしたいとのワードはある意味、謙遜とも取れるのですが、体裁を気にされている方が発する言葉でもあるのです。

大きな事を言って、大きな式場を利用して、万一、思ったほど来なかったら… 「イヤ」だし、「恥ずかしい」との気持ちです。だから初めから来る事がわかっている親族だけに限定し、来るかも?でも来なかったとなるリスクを省く。

未確定の人数の変動として減少が多ければ多いほど、人は恥ずかしいとも考えるのです。そして、この表に出さない気持ちが、用意しなければいけない商品数の見込み違いを発生させる要因なのです。

故人の生前の人間関係の付き合い加減が伴侶にはわからない、故人の生前の人気度合いといいますか、そのバロメーターが計り知れない訳です。

あいさつ礼状等は、印刷してしまえば引き取りが無く、費用がかかるので喪家側は見積もり時から「いや50枚もあれば…」と、極端に少なく切り出す方もあります。この数字は、伴侶が知っている故人の付き合い加減であって、故人は、もっと意外なところで、意外な付き合いがあるかもしれないのです。

あなたの知らない世界

一人に伝えた訃報が連絡網に乗り思わぬ人が参列する。ま、葬儀の現場で担当している者なら分かる話ですし、よくある事ですが、これが喪家側は理解できない。売りつけと取られる事もある訳です。

担当者は、念には念をとの老婆心からアドバイスするのですが、オーバーすれば「あの方も、意外な方も来てくれて…」とこちらのアドバイスに感謝してくれますが、少ないと、「もったいない。無駄な費用がかかった」となる訳です。

例えば、式場のキャパは供養数(参列予定数)に合わせて用意します。当然、イスもその数を目安に用意します。(固定式でない場合)通夜に至るまでの問い合わせの件数や、供花の注文加減などからおおよその参列者数を見込みます。

問い合わせが多い場合、見込み数より増える可能性が高くなりますし、意外と問い合わせが少ない場合、「来ないよ」との雰囲気を察して段取りする訳です。バカ正直に供養数が150だから、初めから150席用意して全て並べる訳ではなく、最初は8割方で用意するのか、6割方で用意するのか、大体の目安を雰囲気から予測する訳です。

恥をかかさない配慮

開式までには150の予定が200になろうとも、事前に段取りしているのでこちらとしては問題ないのですが、参列数が少ない時でも「寂しい感じ」を出さず、喪家に恥をかかせない様に式場の大きさとイスの配置バランスを考えないといけません。

後から増やすのは喪家にとってもいいことですが、来ないからイスを減らす。ガタガタとしまい込む何て事をすると恥をかかされたと感じるものです。

この見積もり時から始まる「数」の絞り出しのやり取りの中で、いくら念仏の様に「費用をかけたくない」、「家族葬で」と唱えても、その言葉の意図は「恥をかきたくない」との本音が根底にある方も多いのです。

それを表現する言葉として、故人の生前の気持ちとして「大きく知らせても参列してくれるかわからない、思ったほど来ない場合を考えてしまう」と、喪家側の「葬儀自体にいったいいくら必要なのかわからない。そのための自衛本能から世間的によく聞くワード「家族葬」を選択した」が繋がるポイントだと思います。

突然の死に対しての心構え

費用的な部分に関しては、よほどの突発的な死でない限り精神的にも、金銭的な目安にしても準備と言いますか、死に至るまでの時間が考える時でもあり、心の準備もできますが、予算的な準備がない場合、さてどうしたものかとなります。

もし、預貯金が無く、毎日の生活に追われる中で死を迎えた場合、私たちはどのように考えるでしょうか。

まず、費用支払いに関する不安が一番です。

通常に葬儀を依頼した場合、少なくとも葬儀社に支払う費用、火葬料金や乗り物などの交通費を含む現金で出費が必要なもの、集まった方が飲食する費用、他、宗教者への謝礼などを含めて考えた場合、どれくらい必要なのでしょう。

  • 葬儀社の支払いを最低価格ラインの20万円から30万円と仮定します。
  • 火葬料金は市町村によってかなり幅はありますので一概には言えませんが、この施設への移動や葬儀を行う場所への移動などを、公共交通機関、タクシーなどを含めて考えても併せて10万円の予算をみます。
  • 飲食は、通夜の時、葬儀の時に最低限の物を用意したとしても一人2、3千円はかかるでしょう。20人で6万円、その他を含めるとこれも10万円予算をみます。
  • 宗教者への謝礼として考えても、最低金額でも5、6万円くらいでしょうか。
    (これは、ちまたの紹介専門のお寺さんレベルの金額です)

これでみても、形を整えて葬儀を行う場合、最低でも5、60万円は必要となります。
あくまでも参考価格で、大雑把な金額ですが、通常の施行、私が勤務していた葬儀社の全体的な平均値でも一件の施行単価は、親族も含めた供養品を100〜150前後用意する規模で150万円から200万円近くかかっていましたのでかなり低い目の金額でみています。

葬儀社から見る一件の施行

葬儀社としては、2、30万円での葬儀では利益が足りない、もっと欲しいと思っています。

一件の施行を行うため受注にかかる経費は、施行件数に対して均等に分散されコストに跳ね返ります。費用が低くても、高くても基本的にはする事は同じ、労力もそれほど変わらない、かかる人員の費用も稼働スタッフ、待機スタッフを含めてほぼ同じです。

競争相手が多い上、施行件数がどんどん伸びる訳ではないので、一件の施行に対する売上を望むのは致し方ないとろでしょうか。そうなると、せっかく受注した葬儀ですから何とか売上を伸ばしたいところで、家族葬であっても、祭壇を、花を、棺を、佛衣を高額な物に変更したいところです。

そこで、担当者が無理をしなければいいのですが、無理、無茶をした場合、不信感だけが残っていきます。そうなると喪家が希望する金額との差が広がり、それと共に不満が蓄積されていきます。

想いを形にする葬儀とは

私が見積もりを担当していた時、喪家がしてあげたい内容と葬儀社が提案する費用のバランスが一番のポイントと感じていました。喪家の経済的事情、故人に対する思い、家族の意向、そして他人には言えない何らかの事情や問題、それら空気感を感じ取り、本音はどこにあるのかが難しいところと思っていました。

器に例えると、喪家ごとに用意できる器には違いがあります。大きな器でも小さな器でも葬儀の内容や担当者への感情的な評価、全てを盛り込んでも溢れ出せば不満が出てきますし、少なくてもこれまた不満に繋がります。

大きな、立派な器でも小さな穴が空いているかもしれない。
小さな器でも気品に満ちた輝きを放っている物もあります。
その器に、丁度の思いを詰め込まなかったら感動は生まれません。
水が表面張力で溢れるところをこらえる様がベストであり、こぼれた瞬間に不満に変わります。安全策を取ってのすり切り一杯では感動は生まれないと思います。

十分な説明とビジョンの見える葬儀の内容が必須であり、なぜ、葬儀は必要なのか。なぜ、これが必要なのか。懇切丁寧に時間をかけて納得、同意、調和を生まないといけません。

葬儀屋さんの都合ばっかりですやん

安易な見積もりを行い、喪家の望むもの以上に売りつけたり、また商品について説明せず、納得させずに葬儀社主導でどんどん進めていくと、それは担当者が描く葬儀であり、葬儀社の時間的、経済的都合による葬儀スタイルになってしまいます。

この究極が、現在行われている直葬と言われる火葬のみを行う事であり、葬儀社の背景にある様々な理由をひた隠し、隙間を狙った施行誘致と効率だけを求める姿勢に疑問を感じます。

上記で述べた、故人の家族に対する想い、喪家の故人に対する気持ちと本音を垣間見た時、遺族は本当に望んで直葬を選択しているのでしょうか。葬儀社からは、何か違う方法、選択肢の提案は無いのでしょうか。

お葬式という儀式の中で、何を大切に、何を端折ってもいいのか。そういった事は、一般の皆さんではわからない事だと思いますが、わからない事をいい事に、低価格だけを道標にして誘導する葬儀社には、遺族、家族の本当の気持ちを理解しようとの思いはあるのでしょうか。

消費者も勉強が必要です

担当者、喪家、それぞれが費用に関する駆け引きを行ってしまう。そんな雰囲気では、それはもう葬儀では無く、遺体処理の費用を交渉する場になってしまいます。かといって、葬儀社の言われるがままにお金を出したからとしても満足のいくものが出来上がるとも言えません。

ネット上に溢れる現状の葬儀社の、葬儀に関する思いや考え方を見る限り、一部の業者、すなわち遺体処理と捉えているような業者を選んでしまったら、業者が提案する直葬に乗せられてしまうだけですし、お金がある。お金が出る。との匂いを感じ取られてしまったら、ただ、対価に見合う商品をダダァーと並べて折り合いを付けたような葬儀になる事でしょう。

葬儀に思いを持ち、喪家を尊重しながらも丁寧に説明と理解を求める担当者。自己都合、自社都合でプランを進めてくる担当者。どちらも、喪家に対する言葉は丁寧に、そして決まって「私どもは気持ちを込めて」なんて言うのです。突然の訃報の中、喪家にその方々を見極めるスキルも方法もありません。

ひとつ提案ですが

直葬を推し進め、当たり前のようにお棺と前机(ローソク・線香をあげる台)だけの写真をホームページにアップし、事前に申込み、相談があれば1万円、2万円お安くなります。なんて業者は避ける方が無難と思います。

私が葬儀に携わった30年以上前から火葬のみを行う事はありましたが、ただ、それを推し進める事もなく、複雑なご事情があり、お金をかけれない方のために行う形であって、わざわざ商品としてプランニングする事は無かったです。

そういった形でもお葬儀として省いてはいけないものがある。分け隔てをしないとの考えがありましたから、会館が空いていれば祭壇の前に安置し、その部屋を使っていただき、空いてなければ小さくても祭壇を組み、宗教者に無理を言って予算内でお経を上げていただく。
その橋渡しに誠意努力した記憶があります。

基本、葬儀は面倒な事です。業者にしても、送る側にとっても面倒な事なんです。
でも、それを簡素化する事によって生まれる結果は、何もいいことを含んでいません。
手間がかかる分が供養に繋がると考えていただきたいと思います。

究極に手間を省いた直葬を選択するしかない状況ならば、自分の周りの方に事情を説明し、もし協力を得られるならば不必要な金額をかけるのではなく、必要とする金額だけ用意して形だけ整える、必要なものを揃えて火葬からお葬式へと内容を変えてあげていただきたいのです。

自分一人で抱え込まず、プライドで物事を考えず、全てをさらけ出して相談できる方に、相談していただきたいと願っています。

それは、業者ではなくお身内で解決できる事だと信じていますし、お身内がいない場合、結局は自分が頑張らないといけない。いずれ人は死ぬ事を思えば葬儀貯金をする意識を持つべきだと思います。

人生、何年生きるかわかりませんが、自分が葬儀に不安や関心を持ったその時からでも毎月、少しづつでも、生活費以外に残していく意識を持つには死を真剣に考える機会が必要です。
そのための葬儀社への事前相談であり、葬儀見学、またはエンディングノート勉強会など無料で行っている場へ足を運び、空気を感じていただきたいのです。

葬儀会館見学は、臨場見学みたいなもんですけど

あなたが見学しているその会館は、つい先ほどまで「死」を迎えた方の葬送儀礼を行い、多くの皆さんが悲しみに打ち拉がれていたところです。

あなたが見ているその立派な祭壇は、幾多の死を送り出し、そこに鎮座している物です。

あなたが葬儀社から用意された昼食弁当を召し上がっているその控え室は、昨日まで死を悲しむ遺族が休憩していた部屋で、様々な想いが残っているところです。ひょっとすると、その部屋で式場が空くまで故人と一緒に一夜を明かしていたかもしれません。

「わぁ〜キレイな会館」なんてところに釣られるのではなく、そんな、現実の「死」を感じ取ってください。そして、葬儀の費用について納得いくまで聞いて、具体的な金額が見えたなら後は努力するしかないのです。

保険なのか、預貯金なのか、何百万円を急に貯金してくださいとは言いません。一ヶ月、3千円でも5千円でも、できるなら1万円でも積み上げていく事ができれば10年で30万円〜100万円以上の葬儀に回せるお金が残る事になります。

葬儀社友の会・互助会会員の勧誘トークも同じ事です。結局は、日常で死を考える事がないから、加入後、意識が薄れ、知ら無いうちに満期になっている。こちらでそこのところはやっときますわぁ〜、な発想です。

死を実感する環境のない昨今の生活スタイルですが、自分が、自分のところには不幸はやってこないというか、考える事のない当たり前の日々と捉える生活に一石を投じる事が、直葬をなくす事につながります。

一度も相談された事のない方、お葬儀に参列された事がない方、どうか真剣に葬儀社と話してみてください。そして、相手のトークからその方のお葬式に対する考えを読み取ってください。質問をしてはダメです。聞いても教科書のような、葬儀概論に出てきそうな模範的な事しか返ってきません。

葬儀社に質問するなら「あなたにとってお葬式ってなんですか」だけです。

どうか、ご自身の葬儀を、ご自身が生きているうちに実感してください。

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