直葬は反対です

反対する女性
反対する女性

いきなりですが、直葬は反対です

冒頭から直葬を売りにしている葬儀屋さんにぶつかる話で申し訳ないです。昨今、話題の安保法案に賛成、反対されている方々の意思表示の大切さを学んで、勇気を持って「直葬反対」の声をあげてみました。

私、このブログを始めるにあたって、葬儀に関する疑問や問題点をこれまでの経験からお伝えして、業界にまつわる実態といいますか、内情を消費者が知る事により皆さんが知恵を付けて、親切ではない葬儀社にあたってしまった時に喪家がしっかりと対応でき、希望とするお葬儀を適切な料金でできればと思い書き始めたのが最初です。

「費用をかけない」のではなく、納得のいく費用で、納得のいく葬儀を行える環境が業者側、消費者側に必要だと思っています。業者の中にも適切でない方もいますし、消費者側にもそのような方はいます。同じ人間ですから。

業界の足を引っ張るために世間話をするつもりもありませんし、方や葬儀業界が発展し、世間に認められる業種として成長していただきたい思いもあります。

一部の中間(仲介)業者のように、業者を「悪」消費者を「善」とし、その中間での利益を搾取する(言い方が悪くてすみません)つもりもありません。

私がこれを生業とするならば相談プランを設けて、時間あたりいくらとかってするんでしょうが、そんな気はなく少し離れたところから業界を見ながらつぶやいてますので、皆さんから葬儀に関する相談があれば、いくらでも乗ります。もちろん無料で。

ブログでお伝えし、少ない読者の方の中でたまたま問題を抱えている方がいて、その方にメッセージが届けばいいと思っていますが、根底にあるのは葬儀は生きる事を学ぶ場でもあり、死を考える場でもある「葬育」だと思っているからです。

宗教の問題、宗教と生活などの問題はまた別次元の意味もありますし、私自身は宗教家でもありませんので意見をいう立場ではないと考えていますが、葬儀は儀礼を学ぶ場であり、故人を取り巻く環境の中で自分の位置関係をはっきりと学び、人として人を送る意義や意味を間近に感じる事ができる時だと思っています。

人は死ぬんです

長い間、葬儀に携わりながら自分が死ぬ事なんて考えた事はありませんでした。少しわかったような事を言って、故人様がどうしたとか言ってましたが、今でも自分がいつか死ぬ事を実感し、今日を感謝の気持ちで生きる事なんてできてません。

でも、死ぬんです。死を実感したのは、私の場合母親でした。母子家庭であった私は、唯一の身内がなくなる時を看取って初めて死を実感しました。

生きていると感じたのは、大きくお腹を上下して苦しそうに息をしている時。それが、なんの前触れもなく止まります。「えっ、こんなもんなん?」と言うのが正直な感想でした。

あっけなさすぎるというか、さっきまで息をしていたのが、息をしなくなって横たわっている。寝ているのも、死んでいるのも姿は一緒。医者から「死亡です」と言われても実感は湧かない。悲しさもなかったです。実感がないから。私にとっての死とはそんなところから始まりました。

葬儀の選択肢

ありがたい事にたくさんの方のお気持ちによって、それなりに葬儀を行う事はできましたが、実際には今の葬儀のやり方に乗って進んだだけです。でも、満足に親孝行もできなかった私の唯一の罪滅ぼしのようにも感じました。

もし、この時、周りの助けもなく火葬のみを選択したとしたら…それも仕方がないと思います。自分ができる事以上は無理ですし、立派な葬儀をしたからといって、何をもって立派というのかの意味がわかりません。

葬儀業界にいる私ですから、そのような状況に自分がいたら違う方法を模索していたでしょうし、直葬といわれる形式であっても費用が許せる範囲での工夫はできたと思います。でも、一般の方には無理です。そんなに詳しい方も見受けませんし、葬儀社も懇切丁寧に説明しないでしょう。

「あ〜 施行単価が下がる…」なんて思っている担当者もいるでしょう。
「件数は件数でありがたい」なんて思う責任者もいることでしょう。

そんな葬儀業界の背景をお伝えするとこで、精一杯の葬儀をできる手助けにならないかと感じたことが始まりです。

直葬を肯定する側

私は直葬は反対ですし、そんな環境を作り出す一部の葬儀社に問題定義したい思いがあります。(まぁ、そんな業者さんは気にしてないでしょうが)

確かに昨今の消費者が、家族葬であったり、直葬を選択する背景には、葬儀そのものに対する問題意識や費用に対しての疑問や不安、葬儀社に対する不信感など様々な要因がある事は理解します。

でも、直葬は葬儀社が努力して、宗教儀礼を重んじる立場からも絶対に推し進める葬儀ではないと考えています。

いや〜 そんな昭和な事言っていたら、現代の葬儀ビジネスの世界では生きていけないよ。なんて言われそうですが、いくら一部の葬儀社にお勤めの方がまっすぐ前を向いて葬儀業界の底上げに努力されても、この業界の構造自体が「葬儀屋」であり、主導権を握っている業界の面々は施行件数の維持と売上アップが第一前提です。

もちろん、企業ですし、社会的な意義からして発展こそあれ衰退は罪です。ただ、株式を上場して社会的な監視のもと経営にいそしむ会社は皆無であり、そのほとんどはお父さんと家族から始まった葬儀屋さんが葬儀社に変わっただけで、根本は何も変わっていません。

コストの問題や経営的線戦略の一つとして直葬を堂々と押し出してる。また、直葬しか取り扱わない。そんな葬儀社もあります。

世間の要望? 葬儀費用の低下とともに、直葬プランも受けていかないと他社に施行を取られるから? 売上げも大切だが、施行件数も維持したいが為? 直葬というものを肯定しているのは葬儀社です。一般の方が初めに言った言葉ではありません。

葬儀を考える時

私も裕福ではないので、自身の葬儀について考える時、できるだけ家族に負担をかけたくないという思いはあります。

死して屍拾うものなしなんて言葉がありましたが、それに近いくらい身内もどんどん減り、従兄弟同士の付き合いもなく、仕事関係での付き合いも限定されてきます。数十人のお葬儀で何百万と使う事に意義があるのかは、個々の価値観によりますが、少なくとも、そこまでいかなくていいとの思いは強くあります。

20万円くらいで一応の儀式事ができてお骨になれるなら負担も少なくありがたいとも考えます。いくら人数が減ったとはいえ、身内、親族が集まる葬儀なら許される金額も見えてくると思うのです。

ただ、私の叔父が叔母を送る時に言っていた「できる範囲での費用ならいくらかかってもいい。それが長年連れ添ってきて最後にしてやれる唯一のことだから」と、叔父の心の整理、けじめのためには金銭ではなく、「してあげれた」事の方が大きなポイントであり、それが故に出てきた言葉だと思うのです。

このように、葬儀に関する価値観は人それぞれであり、何を持って納得するかはその方の自由です。ただ、やみくもに世間一般がそうだからと、香典を辞退する。果ては、身内からの香典も辞退する。結果、すべての費用を自分がまかなう事になる為に万一直葬を選択するなら、少し考えていただきたいのです。

理想の葬儀ってなんでしょう

直葬を売りにされる業者さん。また、直葬を相談された葬儀屋さん。そんなに喪家さんが出せる費用がないといっているなら、福祉での葬儀をできるように手続きしてあげればどうですか。(大抵、福祉課からは断られますが)もしくは、福祉並みの金額でまっとうなお葬式を提供されてはいかがですか。

直葬を肯定する。または、大手業者の隙間を狙ってそのような事業展開をされるところに、葬儀の文化であるとか、儀礼や尊厳などを言っても無駄でしょうから、そこに付加価値を設けた仕事を、葬儀を、提供してくださる体力のある業者さんが増え、ドンドン直葬をお葬式に変えていただけることを願っています。

消費者の方が同じ金額ならより内容のしっかりした、充実した方を選んでいただいて、直葬という風習を日本の葬儀文化にしていただきたくないのです。

「私どもでは一部の直葬と言われる内容の金額でも、企業努力によりちきんと葬儀を行います。儀式を大切にした葬儀を提供するために、祭壇もお部屋もご用意いたしております」なんて業者さんがいっぱい出てこないですかね。

お葬式という言葉を使う以上、やはり「儀式」ですし、直葬専門の方でもお葬式という言葉は使いますよね。大きいところも小さいところも、皆さん「お葬式屋さん」なんですから、きちんとお葬式をしていただければなぁと思っています。

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