葬儀って何だろうと、改めて思う今日この頃 | 直葬は、間違ってます by 三日坊主

葬儀って何だろうと、改めて思う今日この頃

葬儀式場の写真
葬儀式場の写真

長年にわたって葬儀に関わって、昭和の時代もバブル前後も見てきたし実際にその場にもいた。そのころは確かに、葬儀景気が良かっただけに面白いやつもたくさんいた。嘘みたいな常識もそこには存在していた。今や簡素化が主流になっているけど、大切なものを置き忘れてきたようにも思っています。

葬儀という職業を選択してみた

葬儀という、当時は非現実的な仕事に従事する事になったきっかけはお金でした。給料がよく、毎日出勤するのにシャツとネクタイとパンツがあればいいので衣装代もかからない。そんな風に思って飛び込みました。どうしても葬儀の仕事がしたいわけでなく、いくつかある仕事の中から最小リスクの物を選んだって感じです。

いざ勤めてみると、葬儀屋さんは仕事がない事が多く暇を持て余してしまうのです。まず取引関係のある病院からの寝台搬送があって、それが仕事に繋がらないと始まらない。他にいくつかの地区と専属取引関係にはあるけど、これも毎日葬儀があるわけでもない。

というのも、この頃は自治会単位で受注するところが大半で、一つの自治会との付き合いでは数ヶ月仕事がないという事も起きます。複数の付き合いがあり、かつお寺や病院関係者などからの紹介など、幅広い付き合いがなければまずコンスタントに仕事ができる状態にはないという事です。

この古くからの仕組みに乗らず、葬儀受注をしやすい寝台搬送の権利をと病院を攻めまくった葬儀社は急成長していたのですが、受注はできても施行は集会所だったり自宅だったりの時代なので、そこでは自治会の協力を得れないため「葬儀ができない」事態が発生していました。

自治会の協力拒否とは、①特定の葬儀社以外の集会所使用を拒否する。②自宅・集会所での葬儀において専属葬儀社以外の場合、受付・帳場を担当しないので収拾がつかなくなる。③樒の道具(特に紙樒)を貸してもらえないので献上できなくなり、その収入が自治会と喪家に入らなくなる。

ま、今では考えられないでしょうけど、こんな事が普通に行われていたのです。

コメント

  1. ちだかよこ より:

    住む地域性により、私自身は、両親を古風にそれなりの費用負担をして、見送りました。身寄りにあまり縁のなかった伯母の葬儀で住職が言ったことが、今を現していると、感じました。「亡くなる枕元に居るのが、市役所の人だけとか、淋しいごとにならないようにしたいね、、この方はご縁がつながっていてよかった。、」縁者である従兄夫妻は、先立ってしまった伯母の息子の最後もみとり、伯母の世話も介護含めて最後まで世話してくれました。本当にありがとう、と思います。

    でも市役所の人と最後を迎える人は増えるのでしょうね。安く済ませたい、それは実感ですけど、せめて心は仏に寄り添う葬儀が良いです。

    • 三日坊主 より:

      コメントをいただきありがとうございます。

      葬儀≒費用と、そんな価値観を作り出したのはもちろん葬儀社も悪いと思いますが、
      宗教者、特に仏教者の方のこれまでの姿勢にもあると私は思っています。

      自宅で行われていた時代。近隣や町会・自治会が寄り添ってしたものですが、今はなくなりつつあります。
      そうならざるを得ない私たちの生活は、経済主義というこの国の姿勢に知らない間に流されている事も大きな要因と思うのです。

      そんな忙しい時代の問題を少し足を止めて考えるきっかけになればと願っております。

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