お盆を前に 南無阿弥陀仏

長柄を持つ若い僧侶
長柄を持つ若い僧侶

死について考える時

人はいつか死を迎えます。

これは間違いないことなんですが、普段の生活の中ではそんな事考えません。
私もそうですが、自分には「関係ない」と思っている方が大半というか、「今日亡くなるかも」なんて意識をしませんよね。

病気を患ってらっしゃる方とか、お身内に具合の悪い方がいらっしゃる場合には「死=非現実」な事ではありませんので、この話でお辛い思いをさせてしまったらお許しください。
私も含めて元気で、いつもと変わらず生活をなさっている方が話の対象です。

私が葬儀の担当をしていた時、よく喪主様に「お辛い気持ちはよくわかります」みたいな事を言っていました。でも、本質は「理解できていない」という事に長らく気づく事はなかったのです。

自分が経験した事

母が亡くなる時に、初めて「人が亡くなる」事について衝撃を受けました。それまで様々な死因、様々な状態での故人を見てきて「人は亡くなると動かない」という至極当たり前な事を感じていました。

動かないから、動く自分たちと「何か違う人」とか「あまり関係ない人」と感じている部分もあったかもしれません。

それは、動かない状態からしか接していないからそう感じる訳で、本当に大切な事は「生きている事から死に至る瞬間」に人は何を感じるかだと気付かされました。

母は、死を迎える時には意識がほとんどなく、会話もできない状態でした。
人工呼吸器をつけても苦しそうに息をしながら、呼吸のたびに胸が大きく上下するのはわかりました。

そんな時間が数時間過ぎた時、その時は突然でした。苦しそうに数回大きく呼吸をした後、突然呼吸をしない。息が止まる。たった、それだけです。なんの前触れもなく。

「えっ。人って、これで亡くなってしまうの」

「終わり」というのが、こんなものなのかとショックを受けました。動から静は一瞬で過ぎましたし、その瞬間の動と静の狭間を理解できませんでした。

命が終わる時

誰しもがそうでしょうが、私も「死」を経験した事はないので、本当にこれで人は「生きる事ができないのか」と、「この時点で、人は死を迎えたのか」と、辛い気持ちと共にどうしていいのか不安な気持ち、これまでの生きてきた事の思い出など、様々な事が「終わった」感じで、喪失感にも包まれました。
ただ、葬儀業界が長すぎて死に対する感覚がマヒしているのか、悲しいかな私が冷たいのか、どこか冷静に死を見つめている自分がいます。涙も出なかったのです。
 
母は、体が弱い割に病気には強かった人でした。慢性の胃潰瘍。胃潰瘍からの吐血と劇症肝炎を併発しての入院。脳静脈瘤からの出血による生命の危機。その際に併せて劇症肝炎を再発するなど、かなり難しい状況を何度も乗り越えた人です。
 
最初に「ダメか」と思ったのは、初めての劇症肝炎での入院時です。医者から「60代以上の方の生存率10%」と言われ、しかも治療方法がない。ただ「効くであろう薬」を静脈から点滴注入するしかなく、肝臓自身が細胞分裂を繰り返して元に近い大きさに戻らないと、人は生きていけないらしいです。
 
母が亡くなった時より、その時の方が辛く、涙も出てきたのを覚えています。「まだ、何も親孝行出来ていないのに…」なんて思いましたが、結局、母にが元気になればまた喧嘩はしましたし、勝手な事ばかり言っていた自分がいます。偉そうに言いながら最後まで親孝行できずのままでした。

経験した事しか理解し得ない

愚息であった私が、さもわかったように「喪主様の…」なんてい言う事自体、失礼なヤツなのですが、それでも根っからのサービス精神で、お客様に喜ばれる事が仕事のやりがいと感じていまして、わかったような事ばかり言いながら担当していました。
 
母が亡くなる瞬間を経験してからは、経験した事しか分かり得ない、自分に責任を持てる事だけを時にはさりげなく、時には目一杯伝えるようにしました。
 
いわば、「推測」やただの「そうだろう」という発言は言わなくなりましたし、喪主様と自分を照らし合わせて自分にできなかった事を、担当しながら悔やんだり、反省させられたりの日々でした。
 
人はいつか死にます。私もいつか死にます。でも、毎日そんな事ばかり考えていては前に進む事もできません。ただ、生きている事が奇跡的な事であるのは間違いないと思いますし、時折、その事に感謝や畏怖を感じる事が大切なのかなと、母の死を見て感じた事です。(本当は毎日でも感謝できればすばらしいのでしょうが、私にはそこまでの境地は残念ながらないので)
 
これから親を葬送する役目を担う方とか、お葬式を担当する葬儀社の方が、お葬式を通じてのその場面、場面で一瞬でも「死の実感」を感じる事ができれば、きっと「いいお葬式」ができるのではないかと感じまして書きました。
 
皆さんにはご迷惑な話かもしれませんが、お盆の供養に記してみました。

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