お寺さんの紹介料について思う事

お寺さんを紹介してリベートを得る。個人でこっそりやっていたヤツもいたし、会社が堂々と「別収入」と認め、いざ問題が起きると、そのリベートがなければ成り立たない仕組みを強要しながら関わっていない立場ですよなんて言う。なんじゃそらの世界の話です。

お寺さんを紹介すると紹介料が飛び交います

お寺さんを紹介してほしいと言われるケースって以外に多いんです。その背景は、都市部に移住して安住の地となり、子供は宗教に関心が薄くとも伴侶はそうは思わない。そんな方が亡くなった時に多いのです。やはり最後はきちんと送ってあげたいとの気持ちがあるからです。

田舎の本家は、先代からの付き合いがあるお寺さんもあるのですが、自分のところは分家だし、そんな遠いところのお寺さんとは付き合いができない。ならば自分たちでとなると、お寺さんを紹介してほしいと言われるのです。

初めてこの会社で見積り担当をした時にはびっくりしましたが、給料の一部としてシステムが出来上がっているので仕方がない。この紹介か檀家かが大きなポイントで、紹介となれば担当者として「紹介料」が入ります。

で、実際に紹介した場合、どれだけ担当者に入るかというとお布施等の10%ほどが紹介料として入ってきます。仮に、お布施が20万円、初七日が3万円、院号が20万円なら、合計43万円の10%の4万3千円が「紹介手数料」として入ってきます。

見積り担当者を管理する責任者の親方には、43万円のお布施合計の50%、21万5千円が手数料として入ってきます。そこから担当者に支払う手数料4万3千円を差し引いた17万2千円が責任者の取り分となり、これ以外に脇導師なり役僧なりのお布施だったり、院号が付いた場合も手数料の対象となります。

お寺さんも院号を売り込んできますから

お布施に相場があるのもおかしいのですが、院号には相場がないのです。紹介寺といえど、伴侶に院号がついている、喪家から申し出がある以外、無理には院号を勧めませんが、中には本山院号ではなく自前の院号を授けたり、日蓮聖人の日だけで10万円なんてやるのです。

お寺さんは葬儀社への紹介料を支払わないといけないので、少しでも取り分を増やしたい、また担当者も同じく、貰えるものは少しでも増やしたい思惑が合致して、時には不要とも思える院号が付いていたりするのです。お寺さん、担当者が売り込んでくるからです。

紹介寺も普通に檀家もいますが、そのお布施の相場とも違う。ご縁を頂いても葬儀の後、檀家として付き合いが続くかどうかはわからない。だから、一見さんとして無茶をする気持ちにもなるのでしょうか、プッシュする訳です。もちろんリベートとして半分取られますが…

あぶく銭とはいえ、ルールが存在します

このような紹介が月に10件でもあれば、親方には最低100万円以上の手数料が転がり込んでくるわけです。院号がつけばもっと増えます。元々、あぶく銭みたいなものですから、これを元手に派手に飲み歩く親方もいました。

なら、紹介のお布施を下げろよ!と言われそうですが、会社として流れが決まっているので、いくら心を傷めても、違う方法で紹介すると不正を行っているとなり、クビになります。変でしょ。隠密な事をやっていると不思議なルールができるんです。

入社当初は、紹介基準のお布施の額を伝えても、まだ葬儀をきちんとしなければいけない雰囲気があり、問題にはならなかったのですが、葬儀そのものの金額が下がってくるとそうはいきません。できるだけ負担が少なくなるよう、紹介時には基準以下の金額で連絡してました。

「すみません。紹介お願いしたいのですが、できるだけ費用を抑えたいとの喪主様の意向で…」など言って、全てコミコミで10万円ぐらいから15万円ぐらいを伝えてました。この頃の意識は、そんなお金に執着してもと感じていましたので、「10万円で初七日までいけませんか〜」なんて言ってました。もちろん、紹介手数料は無しです。

欲望の暴走は止まらない

ただ、見積り担当者の中にはどうしてもここを譲れないヤツもいまして、お葬式は会社の最低価格でオプション無し40万円くらいなのに、お寺さんは3人も入る、院号が50万円とか言うし、 で、お寺さん関係だけで100万円を超えるような事をやっちゃう訳です。

10%~と書いた意味、ワカリマス? 欲望は止まらないのです。親方によって担当者との配分が違うので、お布施の金額だけを上げる事にギラギラする担当者もいましたし、中には直接、取引をやって親方と同じ金額を手にするやつもいましたので、そこに燃える訳です。

そりゃそうでしょう、一件の葬儀を担当して50万円ほどが手数料として入る方法があるなら、そこ、狙いますよね。でも、こんな事が頻繁に起きると必ず問題が起きます。いつまでも調子に乗ってやっているとクレームが出ますので、闇のルールで禁止令が発動されました。

半分でも結構いけるんですね

葬儀紹介サイトでは低額で紹介しています。登録するお寺さんからすれば、敷居を下げても仏教を大切にしてほしい気持ちもあり、仏様の供養の為、ご仏縁としてお勤め下さり、その気持ちから、少額のお布施を良しと考えて紹介を受けて下さる方もいらっしゃると思います。

ただ、お葬式の現場で見てきたお寺さんは、B◯Wやア◯ディなどで葬儀式場へ乗りつけてくる方もいまして、半額を葬儀社に持って行かれても、結構派手にやれるんですな、これが。

これで乗りつけてくるお寺さんの数人は昔から知ってます。一応、関西圏で幅広く仕事をしてきましたし、他の葬儀社で仕事をしていた時にも導師で来てましたから、「あれっ、昔は国産車やったのに、紹介寺になったら違うねぇ」と思いますよね。

お布施の意味とは? それが問題になる風潮は、このようなお寺さんの姿勢にもあると思います。他に正当な収入があったとしても、軽自動車で来るとか普通は目立たないように気を遣いますよね。派手な車を先頭にして火葬場までの葬列を進めたら、いやでも目立ちますよ。

無関心がもたらすもの

この頃の葬儀の現場を見てきて感じたのは、同席はするが共同行為として葬儀を行わない。自分たちも協力してとかの意識も薄い。親子間、親族間でも物事の順序なりの行動ができない人が多いのではと思いました。

親が子に気を遣い、葬儀の決め事を相談する。高齢な親御さんなら仕方がないし、当然です。しかし、現場で見てきたのは10代の子供が「それいらん、これでええ」なんて口を挟むし、親が相談する。口うるさい親戚のおばさんが登場するのはよくある話ですが、なんか、おかしくないですか。身近なご先祖、長老である親を軽く見ているから、葬儀も軽い。

多くの人が集まる葬儀の場では、自己を犠牲にまでとは言いませんが、否応無しに他を尊重する、順序を意識する環境に置かれてこそ、その中で人間関係を学ぶ事もあったでしょうし、死を目の当たりにし、生きる意義を実感できた場でもあると思うのです。

葬儀に対する皆さんの気持ちを見ていると、やはり無関心の方が多いのです。葬儀にも、故人にも、死に対しても基本的に無関心なのがよくわかります。紹介ビジネスが成り立つのは、そんな気持ちの隙間を狙った行為かもしれません。

無関心は欲望の肥やしにはなれど、交わる事がないので、結局、問題にならない程度にやれば、お寺さんの紹介というのはいつまでも続くのでしょうね。私はそう思います。

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