無責任にポンポンと話題をぶち上げるのが葬儀業界というものです

1970年大阪万博
1970年大阪万博

ま〜、葬儀業界というものはですね、ペッパーだのドライブスルーだの何かと話題を作りたがるもんなんですよ。主流となる業者があれば、そこから施行を奪いたいと考えるヤツもいる訳で、その時の金銭事情も絡まって策を練る訳です。そんな業界事情に社会情勢がマッチングしてしまうと、時にはモンスター級の流行りモノが生まれてしまいます。

少し昔を振り返ってみます(夢見る大阪編の始まり、始まり)

1970年に大阪で初めての万博が開かれた頃、私たちの生活水準はとても低かったのを覚えています。豊かな日本を築くため、各地で核となる施設を建設し、イベントを開催し、その周辺に住宅を作り、街を作りながら日本の経済成長を促す。こんなやり方の渦に巻き込まれながら生活スタイルが大きく様変わりする事になります。

万博の開催に合わせて、周辺には文化的な生活を営める千里ニュータウンという「団地」が次々と建設され、そこには多くの人が集まってきました。大阪の中心まで電車も新たに開通し、ベッドタウンとして人気を博したのです。

子供の成長を見届けながらせっせと父は働き、母は家を守りながら子供と共にその帰りを待つ。テレビ・洗濯機・冷蔵庫・アイロンなど、当時のお母さんには夢のような家電を購入できる分割払いの誕生など、多くの国民が豊かな生活を夢見ていた時代です。

日々の生活のことで精一杯だった時代から初めて将来を考える事ができる環境は、生活様式に大きな変化を起こしました。誰もがこの豊かな生活を未来永劫に守るために、明日の事を考えるのが当たり前になったのです。

そこへ政策としてご丁寧に税控除までして加入を促進した生命保険なんてのは、公共事業と両輪の経済力という柱を成長させるためのものであって、死んだらお金がもらえる保険から「将来って不安なんだ」という事を学び、そのために少額の月額金の支払いで大きなリターンを得れる魔法に庶民は慣れてしまったのです。

これが後々、互助会という仕組みを受け入れやすくなった素地であり、冠婚葬祭に関しての将来への不安を解消するアイテムとして成長させるきっかけになりました。

トップへ戻る