終活事業って、消費者目線とかなりズレてきているように思うんだが…

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終活事業者の組織構成は、古くから問題になっては消えていく、あのピラミッド型の事業スタイルと同じだと思うのです。独自の私的な資格を発行し、そのための手数料を継続的に徴収する。子が子を産み、それぞれが宣伝マンになって人を集め続ける。ここにも、死をテーマに利益を得ようとする熱意を感じるのですが…

人を集め続けなければ生き続ける事ができない終活事業

これまで一般社団法人などをベースに、士業の方をコーディネーターに参加させて、そこそこ体裁を整えた終活事業をたくさん見てきたが、この終活のワード自体、どうも最近は勢いがないというか、流行が下火になったというか、事業者主体の終活事業に無理があるというか、とにかく、活動自体が見えてこないし、マスコミもあまり取り上げなくなってきた。

初めて終結という言葉を聞いて、おもむろにネットで検索してみたら終活セミナーなるものを見つけてくる。「エンディングノート? ほうほう、最近よく聞くな。」、「遺言? 作成しておいたほうがいいのか?」、「介護に関する問題? そうだな、そろそろ考えないといけないね。」、「遺産? そんなにないけど、葬儀も考えておこうか、なぁ、母さん。」

サイトから団体に申し込もうと見たら、どの勉強会も講習も「満員御礼」なんて書いてある。「やっぱり、今は終活なんだよ、母さん」と言いつつ、キャンセル待ちの勉強会に申し込み、無事に勉強会の席をゲット! 筆記用具とノートを手に夫婦で終活勉強会に参加してみたら、いろいろと悩みを聞かれる。

まずは、自身の問題解決のために、せっせと勉強会に参加をするが、周りの皆さんは初級終活カウンセラーの資格試験の話題で盛り上がっている。やはり、資格所得を考えたほうがいいのだろうか。そんな事を考えながら通いつめるうちにだんだんとその気になってくる。

あなたもすぐなれます! 終活コーディネーターに

「資格を持っている方がいいですよ〜」なん言われて、そうこうする内に、初級終活セミナーを強く勧められる。「自分の終活だけ理解できればいいんだけど… そこまで必要なのかな…」なんて、小さな疑問を持ちつつ、より良い終活ができるならばと申し込んでしまう。

セミナー終了後、試験があるのだが、講習を聞いていればほぼ間違いなく、また、手元の資料を見ても、ほぼ鉄板で合格するような試験で得た資格を授与される。もちろん有料で。ざっとここまでで2万円前後の金額はかかってしまう。そして、社会的に何の評価もしようがない私的な資格なのに、一年に一回更新をしないといけなかったりする。もち、有料!。

もっと終活に対する自分の知識を高めましょうと、上級終活カウンセラーなる資格を勧められる。講習と検定を受けて、もちろん鉄板で見事に合格。団体の理事長らと合格した事を記念に写真におさまったりする。で、サイトにも自分の写真がアップされる。団体からは、講習の講師で出て欲しいなんて依頼され、こうなりゃ、いっぱしの終活カウンセラーだ!

終活資格にかかる費用で、士業の先生に2時間は相談できるな

資格を取らないと自分の終わりを考える事はできないと勘違いしているのか、一般の方でもやたら資格を取ろうとする(取らされる?)が、別に資格がなくても終活はできますよ。言葉自体は新しくとも、やっている事、確認する事項は、真剣に自分が死ぬんだという事を強く意識できる人なら、これまでやってきた事となんら変わらない。

弁護士や行政書士に相談に行けば、ちきんとアドバイスをしてくれますし、終活事業団体を経由しても、しなくても、専門性のある相談や活動は、終活資格だけではできないので結局一緒です。そこまでのアドバイスをもらうために、わざわざお金を払って、意味のない資格を取ってと、団体の事業活動に貢献しなくていいんですよ。

終活相談窓口が、葬儀社以外ではそのような団体・法人になってしまうので致し方ないかもしれないのですが、多くの皆さんは、終活セミナーを開催している団体・法人だけが終活を取り仕切っていると思っている。NPO法人からの流れもあるが、一般社団法人、いわゆる「非営利活動法人」という言葉にも惑わされているとも感じる。

非営利活動法人はボランティア団体ではありません。れっきとした利益を追求する団体です。これこそが終活事業者の狙いところで、あくどい葬儀社のイメージを感じさせながらも、それとは一線を画した、いかにも非営利な団体法人と思わせるようなギリギリの宣伝活動を行っているため、多くの方は実態をご存じないのではとも思うのです。

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終活の目的は? 本来の意義は?

終活における一番の不安要素は、死ぬ事ではないのでしょうか。誰も行ったことがない(幽体離脱なんてのは別です)死後の世界への恐怖もありますし、痛いかもしれない。苦しいかもしれない。病気で死ぬのか、事故で亡くなるのか。そして、いつ死ぬのかでしょう。

見えない世界に対する不安を煽っても仕方がないのですが、明るく、元気に、儲けのネタにされながら死ぬ事を考える、私には、終活事業がそのようにも見えるのです。いい死に方は有史以来、ずっと願ってきた事です。誰もが浄土へ行きたい。成仏したい。そこへ、最近は安心して死にたいが加わっても、そんな思いはいつの時代も変わりません。

正直なところ、自分も死を受け入れる事に自信はありません。が、いつかは死ぬのです。お世話になったお寺さんがよく言ってましたが、「人間、死ぬまでが寿命」はっ?と、普通ですやんとも思いましたが、確かに寿命までは生きている。いつ命が終わるかは誰もわからない。そんな事に一喜一憂するよりも、今日という日を感謝せい!とよく怒られました。

こんな教科書のような生き方、お釈迦様のような生き方を、過ごすという事ができないだけに、やはり心の隙間、弱さを突かれてしまうのかもしれない。終活という言葉だけでは納まりきれないのが、それぞれの人生だとも思いますので、もっと、違った角度から自分の死を見つめ直していただければと願います。

死を畏怖と感じている時間

葬儀を担当してきて思いますが、身近な方の死を受け入れるとき、その許容量は人それぞれです。本当に辛い思いを受け入れきれず、自分を責めたり殺めたりする方もいます。人それぞれに違いはありますが、いつしか時間の経過とともにその思いは自分と融合し、受け入れれる時がやってくるのかもしれませんし、いつかは乗り越えなければならない事でもあります。

一部には、喉元過ぎればではないですが、数ヶ月もすれば死を意識することもなく、日常の生活に溶け込んでいる方もいます。葬儀の時にはあれほど死について畏怖の念を持ち、故人と自分を置き換え、そのいたたまれない気持ちを自分の中に取り込みながら涙を流していても、人は死ぬという事を意識しなくなるのです。

終活も同様ではないかと思うのです。いや、もっと現実性がない分、ある期間中は死を強く意識するでしょうが、その時期を過ぎてしまうと意識も薄れてゆく。おそらく、終活ブームの初期に感化された方は、自分の終活に一応の目処をつけ、安心感によってその終活活動を停滞させている。だから最近の終活事業団体の動きが鈍いんだと思うのです。

押し付けの終活は負担になるだけ

人間は十人十色と言いますが、むしろ千差万別というぐらい、考え方も、思いも違うので、終活自体も千差万別のパターンが必要なはずです。しかし、団体が提供する終活のテーマは、どうしても統一化しないと事業として収集がつきにくい、専門性が強すぎると、寄り付きにくい世界になってしまうのです。誰でも簡単にできるものでないとウケないのです。

で、この終活事業に目をつけてやたらと一般社団法人なるものが乱立している。それまで団体に専門家として所属していた士業の先生方も、「自分でやったほうが儲かるんじゃねぇ?」という事に気付きまして、どんどんと専門性を発揮して団体を作ってらっしゃいます。

遺品整理事業者もちょっと下火なので、終活事業に参画をしてきている。ブラック企業も参画してきてと、もう、終活業者は大にぎわいな雰囲気なのですが、個人ユーザーが追いついてこない。むしろ、ニーズとズレが生じているようにも思え、興味が薄れつつあるのではと思う。

昨今、マスコミもあまり取り上げない雰囲気もあるし、そうなると終活事業者は、私のところが老舗だとか、ネームバリューが違いますとか、上級終活カウンセラーの活動の有利さを訴えていたりするが、それって、元の終活と趣旨が変わっているように思うのです。個人の死に方を考える事が、今を生きる事につながるというのが終活ではなかったのかな?

死をビジネスにする嗅覚は、あの動物並みかそれ以上だな

要は、一人でも多くの終活カウンセラーなる資格を有する人間を排出し、その人間が次の資格希望者を集める。上級までの資格を有すると、独自で勉強会、セミナーを開催する事ができる(いわばのれん分けね)システムを継続していかないと、終活事業者は継続できないのです。

上級資格を有し、活動で得る利益はあなたのもの。でも、資格試験は団体が行うので試験費用、資格発行費用、資格更新費用などについては団体がその権利を持ってますよと。あと、団体の名称を使う事も権利は団体にあり、のぼりや旗、名刺なども使用には許可や費用がいる。

安心安全な日本を創造する事を目的として、社会貢献活動に協力し、団体の発展に寄与してねと終活資格の取得を勧めてくる。鵜匠のごとく、「終活」というテーマで、鵜飼のごとくお仲間を集めて、ピラミド組織を構築してねと。この仕組みって、これまでよく聞いたあのやり方と同じじゃねぇ? 教祖化したり、変な「終活の歌」なんて作らんといてくださいよぉ〜。

マスコミも馬鹿じゃないので、そろそろ「?」と感じているところと、自社も終活ビジネスに乗っちゃえというところに分かれるので、資格発行ビジネスがちょっと世に出かかったけど、そろそろポシャりそうな空気を感じる。その傾向を強く感じている事業者は、今や個人の集客力には期待できないので、企業単位で終活資格を発行して巻き込もうとしている。

もっと、自分の仕事に自信を持てばいいんじゃないの?

葬儀関係者の中にも自身のプロフィールのところに「上級終活アドバイザー」なんてのを書いている人もいるが、消費者だましみたいな資格を表記する事に抵抗はないのかな。世間が有資格者を求めるからなのか、そのような名称がなければ信用を得る事ができないからなのか。

終活カウンセラーも然り、葬儀紹介事業にしても同様だが、これらが出てきた時、葬儀業者の連中は、「大した事ないやろ」と簡単に見ていたフシがある。対岸の火事と思って眺めていたら、何やら世間では人気が出ているではないか。慌てて押さえにかかるが、時既に遅し。模造商売を始める者、いつしかそれら事業者の下請けになってしまう者まで出る醜態ぶりである。

こんな環境で終活なぞできるのだろうか。要は、終活を求める者に対して、このネタはビジネスチャンスだと、いち早く嗅ぎ取った者が勝ちであり、自分を頂点とした組織をいち早く構築した事業者だけが生き残る。だが、そこには本来の意味での終活なぞ存在しない。金儲けのアイテムでしかないと、私は烏合の衆を眺めてそう思う。

自然に教えられてきたのが終活であり、宗教ではないのかな

終活は特別な事ではなく、古くから「観じて」きたものです。自分の周りにある、自然の中にある様々な命の存在が教えのはずなのですが、それが「観えなく」なくなっている生活のスピードが問題なんです。まず、自分の終着駅を徹底的に考えれば、先の見えない生活時間の中で、おぼろげながらも「終わり」を感じる事ができると思うのです。

そこでようやく、命には終わりがあるという事を再確認したのなら、不安や悩みを多少解決したのなら、あとは、今をいかに生き切るかの問題ではないかと思うのです。なんとなく、死を先送りしている現実の生活を考え直すなら、終活事業者に目を向けなくとも、もっと自然に目を向けてみるべきではないでしょうか。そこに答えがあると思うのです。

これまで、このような事は、ゆっくりと流れる時間の中で、四季折々の時間の流れの中で、私達は木々や生き物の中から「観じて」きたり、教えられきたはずなのですが、いつしか忙しく生きる事に追われて忘れてしまっているだけです。忘れているものを、思い出すきっかけを作ってくれるのが、本当の意味での終活だと私は思いますし、宗教の存在も同様ではないかと。

終活業者にお金を使わなくても、葬儀社が行っている、無料の終活セミナーに一度足を運べば、終活のやり方だけは理解できます。士業の専門家に依頼しないといけない事案がわかれば、残された時間とお金を、自然の中に出かけるために使った方が有意義だと思います。

もう一度、自然の中から、生きる意味と、死ぬ意味を「観じる」方が、摂理にあっていると思うのは私だけかな。

ま、消費者の皆さん、ご心配なく。終活ブームが去ってもまた新しい商品が出てきますって。この業界、ビジネスになるなら何でやる世界ですから、安心して待っていてください。

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