”老婆心シリーズ”これから独立を目指そうって葬儀屋さんや関連事業者さん、それって本当にやりたい事なの?

小屋の中にいる一人の男に群がる無数の鳩
小屋の中にいる一人の男に群がる無数の鳩

ネットで開業できるようになって葬儀の独立を目指す人も増えましたが、それって本当にやりたい事なのかなっと老婆心から書いています。葬儀屋の体質ってあんまり変わらないので、よほど強い理念を持たないと迷走しますよ。

まあ、ウジャウジャいますわ

個人で独立して葬儀の仕事をしている方がいます。どういう志を持って開業されているのかはわかりませんが、店舗を持たず、ネットでの集客を狙い、公営の火葬場などに併設する式場などを利用して施行を受注します。大手葬儀社の隙間を狙って、チョコチョコと小さな葬儀を拾っていく仕事です。

当然、遺体を安置するところが無いので公営の施設に預けます。こういった自分たちの都合に合わせて生まれたのが、直葬や一日葬なんてプランです。葬儀を受注できるならなんでもいい。そんな思惑が見え隠れする。

歴代のR1チャンピオンのようにその業者の存在感は薄い。なので、一度依頼した施主は二度目は頼まないからテキトーな仕事もOK。そんな彼らの直葬なんてのが、一部の世間のニーズに合ってしまったのと、サイトで葬儀を紹介する事業者の 横暴 躍進によって、一つの葬儀の形として認知されてしまった。

大手葬儀社にしても費用は低くとも一件の施行。これをみすみす奪われていくのも腹立たしいとばかりに、プランを設定し売り出してくる。本当は扱いたくないくせに。

葬儀費用に困窮される方が費用で葬儀を選ぶのは当然です。それをサポートして、それなりに葬儀を行うためには葬儀社の柔軟な対応が必要なのですが、多くの葬儀社は費用で儀式を省いてししまい、結果、遺体を処理する作業になっている。これは絶対間違っていると思います。

クセは強かったけど気概はありましたよ

昭和の60年代前くらいまでは、独立して飯が食えるようになるのに10年かかると言われて、当時月に5件、年間で60件なければ葬儀屋はやっていけない時代。よ〜出てるな。と言われても年間で100件ちょいの施行が限界に近い数字でした。

そのほとんどが家族で仕事をする葬儀社で、施行場所も自宅か集会所。なので対応人員の問題や施行場所のキャパの問題、そして何より、それだけの死亡者を出す地域や病院などを、絶対的に抑えていないと件数は稼げない環境でした。

もちろんこの頃にも、密葬という言葉や火葬のみという形式での葬儀もありました。福祉での葬儀も少なくなく、どちらかと言えば、葬儀社はその施行を避けたい傾向にはあったのです。費用の問題ではなく、シンプルな形式であっても確実に一人の人員が取られるからです。(今は血眼になって奪い合ってますケド)

葬儀会館建設ラッシュが始まったのもこの頃です。会館を有する葬儀社はシンプルな葬儀であっても、それなりの場所に安置し、通常の葬儀となんら変わらない流れで行なっていました。仮に霊安室に安置していたとしても、当日は祭壇のある部屋に安置して、お別れをしていただき出棺するというのが多かったのです。

ま、葬儀社にしても霊安室を二日間使えないよりも、祭壇のある小部屋で行なった方が効率が良かった事も背景にありましたが、何より費用が低いからと言っても、葬儀社としては忍びない気持ちと気概がありましたので。

葬儀屋さんが世間についていけなくなった始まりの時代

昭和から平成に変わる頃、世間では徐々にネット環境も整いだし、通信費用も下がり、Windows95が発売された頃には葬儀社を取り巻く環境が一変します。簡単に独立後の仕事を得る事が可能になったのです。

これまで10年かかると言われていたのが、開業当月から施行が入る環境です。会館や事務所がなくとも、自宅を所在地として架空の店舗が出来上がるのです。自社サイトを作成するにも結構な費用がかかってましたが、開業費用をそこへぶち込めば可能だったのです。

祭壇や道具はレンタルもありますし、棺やちょっとした小物を置いておくスペースさえあれば、もういっぱしの葬儀屋です。これまで葬儀社の担当として、気概を持って施行を行なってきましたが、状況が変わればそんなモノはぶっ飛んでしまう。とにかく仕事が欲しいと、何でもかんでも手を出してくる。

そんな中で生まれてきたのが、家族葬であり、小さな独立者が増えて競争が激しくなってくると、今度は直葬なんて言葉で火葬のみの形式を正々堂々と葬儀と言ったりする。昔持っていた気概は消え去り、夜伽の場に遺族を同席させる事も省いてしまう。こんな連中とネットで葬儀を紹介する連中がタッグを組めば、そりゃ文化なんて言葉は必要ないですよ。

魑魅魍魎の繋がりは、スパイダーマンの糸以上に強い

でね、厄介な事にこんな連中は横のネットワークが薄くて強い。直葬をバンバンこなして、ちょっとプロモーションがうまい葬儀屋の社長をカリスマみたいに崇拝する奴もいる。バカじゃないのと思う。

その社長が、気概があった頃の葬儀屋時代を生きてきたのを三日坊主は知っています。一緒に仕事もした事もある。でも、あの頃とは違う価値観で仕事をしている。彼は葬送儀礼よりも自分の思惑で葬儀に関わっている。キレイな言葉を並べるけど、その狙いは隙間をうろついて彷徨っている葬儀難民の誘致しかない。

大手葬儀社・大手互助会 VS 独立系直葬主体業者ってのが現在の構図で、その間に老舗の葬儀社がブランドを維持しようと躍起になっている。その隙間を狙って、次から次へと新しいものを求め、消費者の目を引こうとする。終活然り、直葬然りです。宇宙に持って行こうが、海にバラ撒こうが、それは施主の自由だけど、そこへミスリードしているのは仕事欲しさに企画する連中ですよ。

老婆心から書いてます

昔と違い、今の葬儀屋は違いますよと言われそうですが、どの葬儀社のトップも変わっていないし、その会社の求める価値観なんてそうそう変わるもんじゃないので、おかしいけど、それに合わせて生きないとそこじゃ残れない。そんな世界で生きてきて独立を志したところで、やはりお里は知れてますよ。

そろそろ、こんな馬鹿げた競争じゃなく、もっと根っこに足をつけた葬儀屋さんが必要な時代かもしれません。ビジネスである以上、利益を得るのは原則ですがそのために形を文化をグチャグチャにしていい訳でもない。

多くの葬儀社がやっている事って特別目新しい事でもないし、葬儀において目新しい事をする必要はない。独立系の葬儀屋は大手があるから存在しているだけ。葬儀紹介業者にしても同じです。みんな昭和から平成にかけて互助会が作ってきた会員や、老舗葬儀社の地盤などの遺産を掠め取って生きているのが、今の葬儀業界。

これから独立を目指す、若きホープが目標とするものが金だけでない事を願いながら、そんな連中に惑わされてネットワークを繋ごうと思わないよう、一癖も二癖もある連中に取り込まれないよう、きちんとピントを合わせて物事を見ろよとの老婆心からの記事でした。

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