『葬儀という仕事はバカでもできる』のまとめ | 直葬は、間違ってます by 三日坊主

『葬儀という仕事はバカでもできる』のまとめ

こんがらかっている紐を持つ人形
こんがらかっている紐を持つ人形

私は、サイトの普及がこれほどまでに葬儀の形態を変化(劣化)させてしまうとは想像できませんでした。安易な情報の発信と利用は、弔う行為への畏怖すら端折ってしまい、ネット・SNSの二次元的なアプローチの軽さが故に、儀礼そのものも軽薄化しているのはこれまでの経緯を見ても明らかです。

情報の速さについて行けないおバカな葬儀屋さん

事の始まりは2010年、日本製の高機能スマートフォンが次々と発売され、アップルからはiPhone4が登場した頃からでしょうか。携帯電話の機能が向上すると共に通信インフラも進み、通信費が徐々に下がり始めた事で一般への普及も急速に広がりました。

この頃でも葬儀は自宅や集会所で行われていて、施行には専門スキルも必要だったし、その後、急速にネットが普及するまではノウハウも外には出ず、葬儀業界に飛び込まないと何も分からない独立国家のような世界でした。

よそ者が葬儀屋なんてできる訳が無い。そんな慢心が変化を許してしまった一つの要因でもあります。がっちりとつかんでいると自分だけが思っているテリトリーを侵略されるとも思っていなかったし、裸の王様と同じ世界観は変化して行く事に対応できず、また誰も声を上げれなかった。

ここが葬儀屋のバカなところで、ちっぽけな世界の中でお山の大将として君臨していたから足元が見えない。

互助会が圧倒的な資金力を元にして葬儀会館を各地に建設して行くのを見ると、自分のところもと焦り、融資を受け、身の丈以上の事を始める事になる。挙句、互助会が資金を投資(加入者のお金だから運用でしょうが)して獲得した会員を買い取って自社の施行にするという暴挙に出ながら、その相手互助会を批判する始末。

いやいや、人様のものを奪い取ってなんてせず、いつのタイミングでもいいから互助会を始めればよかったんですよ。でも、町の葬儀屋は頑なにスタイルを変えなかった。なぜ? 仕事があったからですよ。未来永劫にその仕事が入ってくると、その時には思っていたのが葬儀屋。これもバカな故の先見性の無さ。

そのおバカな葬儀屋さんの親方は、呑気にまた仕事は入って来ると信じてやまない。子方も同様に次が有ると思っている。だから危機感なんて全くない。しかし、徐々に環境が変化し始め、それまでやった事のない営業なんてやらないといけない状況に世間は変わっていく。

病院・自治会・警察などへの営業、企業関係との提携を模索、そんな事どこの葬儀屋でもやるのでバッティングする。すると金が飛び交う世界になって、不正も生まれやすい土壌となる。そんなベタベタの営業しか発想できない人々は、新たな受注のアプローチを構築できないまま無駄に時を過ごしていく。

で、ハッと気付いたら周りは潤沢な資金を持つ互助会の会館だらけ。ネット上では葬儀ブローカーが主導権を握り、自社で働いていた人間が同じテリトリーを狙って独立してくる。設備投資なんて個人なら限度が低い、なのに互助会と戦おうとする。ムリ、ムリ。結局、葬儀の形を変えて売価で勝負するしか無くなってしまう。

そして生まれたのが直葬という話って、自分の首を自分で締めているようなものですよ。互助会は賢いとは思わないけど、互助会の仕組みを作った人はすごいと思う。後は早い者勝ちで、ちょっと賢いやつがでかくなった世界。でもご安心ください、後継者には同様にバカと言わせていただく方もきちんと存在しています。

葬儀と弔いの違い

宗教と政治に関する歴史上の問題はあるけど、現在までの風習として残る「葬儀 ≒ 宗教」。特に仏教が存在しているのなら、その中心は故人と教えであって葬儀屋さんではないのです。そして、そこには「やり方」というものが存在し、それを尊重するべきであり、それを葬送儀礼、いわゆる葬儀と呼ぶものだと私は思います。

教えが存在しない葬儀の場合は「弔い」であって、その形式は自由です。現在でいうところの直葬形式がそれに該当し、葬儀屋が中心に存在しようが、商売道具にしようが、仏教側が危惧する立場にはありません。

昔からこの二つは存在し、それを様々な事情で使い分けてきたのですが、今は混在しています。いや、混在しているというより葬儀が単なる弔いとなり、僧侶も葬具の一つに成り下がっているのです。

宗教者は自らを律し、バカな葬儀屋さんに葬儀と弔いは違うよと教えてやらないといけないけど、夜な夜な酒池肉林にまみれ、葬儀屋に「仕事(読経の依頼)を融通」してもらうなんておバカな事をやっているから、教えから葬儀が離れ、それと共に本質である教えそのものが葬儀からはじき出されようとしているのです。

葬儀というビジネスは儀礼ではなく、仕事がある奴が勝ちで、ない奴が負けなんです。これは、葬儀という仕事が確立した昔も今も変わりません。だから葬儀屋も宗教者も含めて、儀礼を大切にする気持ちよりも仕事を上手く拾える奴がトップに立つ世界。葬儀に関わる全ての人間の中にそんなおバカさんが多いのです。

それが「葬儀という仕事はバカでもできる」という根拠です。

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