『人が死ぬとどうなる』という事実をスマホは教えてくれないんだよ | 直葬は、間違ってます by 三日坊主

『人が死ぬとどうなる』という事実をスマホは教えてくれないんだよ

自動車でながらスマホをする女性
自動車でながらスマホをする女性

歩き、自転車はもちろんの事、自動車を運転中でも止めようとしない「ながらスマホ」。時折、事故が起きた時に「そらぁ危ないで」なんて思うけど、そのニュースを知るのもながらスマホ。このブログもスマホのおかげでアクセスも増えるので偉そうに言える立場では無いかもしれないけど、そんなに今見ないとダメなもんなんだろうか。

毎日、平和なのがいけないんだろうか

命の終わりを迎えると私たちは死にます。当たり前の話なのですが、多くの人々は意識することもなく日々を過ごしています。ほとんど考えることはありません。人が死ぬとどうなるのか。これを実際に経験するのはよほどやんちゃな生活を送っている方を除いて、多くの方は人生の中で数度経験するだけです。

どんなにキレイな女性でも、カッコいい男性でも、可愛い我が子でも、最愛の人でも死んでしまえばその肉体は腐敗へと進行し、やがて見るも絶えない姿に変わります。ウジもわくし腐敗臭も相当なものです。そんな変わり果てた姿を見るのは肉親であっても相当辛い事であり、触れる事も難しいと思います。

死に方は色々とあり、悲観的なものから惜しまれてなくなるケースまで様々ですが、多くの方が胸を痛めるのはその人の亡くなり方であって、その後、その遺体がどのように変化し、最終的にはどうなるのかなんてところまでは意識しません。だって、自分はまだ生きているので実感する事はないのです。

対極に存在する自分が、死を迎えた人と数日過ごした経験はとても尊い経験になるのですが、これとて時間の経過と共にその意識は薄れて生きます。実感が無くなっていくのです。

ところが葬儀屋さんは、次から次へと様々な事情を抱えた、様々な状態の遺体を迎え、その遺族の思いと共に時間と空間を共有します。身内ではない分、程よい距離感を保ちながら冷静に変化する遺体に対応し、「人が亡くなればどうなるのか」という事を痛感するのです。

なので一般の方に比べて多少は死を意識するとは思うのですが、これとて個人の資質の問題。その死が単に金儲けの存在なのか、それとも人が死ぬという現場を何度も経験するうちに命の不思議さを思い、生きる意義を模索し、いつしか手を合わすという行為を自然と行い、自分の生き様を考えるきっかけになる事もあります。ま、希少な存在ですがね。

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