モノを売っているだけの葬儀社が多いのに、無理してお金を取ろうとするからダメなんですよ

背中に商品を背負って売る人
背中に商品を背負って売る人

葬儀の費用の基準ってなんだろう? なんとなく古くから設定されている葬儀金額だが、これって現代でも通用するのだろうか。葬儀の形態も移り変わり、本来、大切にしなければいけない葬送儀礼を葬儀社がおざなりにしているのに、そんな費用を取れるのですかね。そんな事を見直してみました。

葬儀の費用が高いと感じる要因

以前、葬儀費用の項目について細かく記載した記事を書きました。

お葬式の流れに沿ってポイントを説明する記事ガイドです
お葬式の費用を構成する項目別に、葬儀社側の思惑と皆さんが置かれる状況を説明するため「葬儀アドバイス」としてカテゴリーにまとめたものを再編しました。

上記のカテゴリーは、病院での死亡時から自宅や葬儀会館へ搬送し、見積りを行う各項目について説明をさせていただいた記事を一覧にしている分です。葬儀の際の担当者の視線から見たポイントなども書いておりますので、葬儀の際には参考になるかと思います。

確かに葬儀は高いです。なぜか?この価格設定には葬儀業界の歴史の流れの中で生まれてきた経緯があるからです。何を基準に葬儀内容や費用を業者は設定するのか。これは慣習としか言いようがない背景があり、消費者は未だにそれを受け入れるしかないのが現状です。

葬儀を行う消費者の立場から見た金銭価値と、葬儀担当者や葬儀社から見た場合はどうなのかと言うテーマで考えてみた時、現在、流通しているこの価値観が果たして正しいのだろうかと常に疑問に感じています。

一方的に押し付けられるその価格は、現代社会でのニーズと合致していない。それを必死に安く感じさせるやり方に困窮する業界任せではなく、実際に必要な葬送儀礼の形と、それにかかる適正な費用とは何かを消費者は考えるべき時代に来ていると考えています。

時代とともに変化する祭壇費用

葬儀費用を構成する項目はいろいろとあるのですが、葬儀社として売上が上がる一番のポイントとしては祭壇費用があります。これって、葬送儀礼においても必要とされる葬具なんで料金を取れる部分でもあるのです。

村で祭壇を持っているケースもありましたが、一般の人で購入する事もないし、非常に特殊なモノだったのです。それぞれの葬具に意味があり、そのために必要とされ、専門の業者から貸し出しをしてもらわないと葬儀ができない状況だったので、仕方がなくお願いするしかなかったのです。

本来、葬儀に必要とされる祭壇としては白木の葬具を用いたのですが、祭壇に花をあしらうようになってからは徐々に姿を消し、遺影写真と花が中心となってきました。祭壇の大きさや新しさが売りだったものが、花の量や種類によって金額が変わってくるようになってきます。

それらを含めた祭壇費用として、古くは棺や霊柩車なども含んで構成していました。特に決まりはないのですが、周りの業者がそうしているから同じようにしていただけで、時代とともに含んだり外したりと商品構成が変化してきますが、現状では、葬送儀礼に必要な物を用いないにもかかわらず、未だ葬儀費用のメインであることには変わりはありません。

生花装飾業者の立場が弱くなってきてます、ま、自業自得ですけど

葬儀プランは、使用する商品を含めて原価率を考慮して考えるのですが、高額な祭壇費用になってくると結構アバウトだったりします。金額が高い場合、生花装飾による祭壇が多いのですが、葬儀社から支払い金額を決めるケースが多いのです。

自社で生花部を持つ場合は、経理上、若干高めに支払いますが外部発注なら祭壇金額に反比例して金額が下がっていく事が多いですね。と言うことは、高額な祭壇になるほど原価をかけない、グロスでの発注というケースが出てきます。(忠実に原価率通りの発注金額なら、かなり豪華な祭壇になりますから)

一般の葬儀社の場合、喪家から受注した祭壇金額を教えない事も多いので、生花部への発注金額とデザイン・使用する花などの指定とデザインのガイドラインを伝えるくらいでしょうか。おおよその金額は、前回までの前例を踏まえて決定されることも多く、定額で決まっているケースは少ないと思います。

一昔前は、生花装飾の会社でサンプル写真とともに商品金額を決めていた事もあったのですが、この花屋さんの世界もドンドンと独立して開業する者も多く、既存の取引先に食い込んでいくには値段を下げる、他社より花の本数を使用して内容を良くするなどのアプローチをしていますので、相対的に金額が下がっている傾向にあります。

安い事はいいことなのですが、極端に安い場合、できないのにする訳です。当然、どこかに歪みは出てきますので長続きしない。適正な売価と利益を得る努力をしないと、その業界で働く人にも若手の育成にも影響が出る。目先の利益ばかりを追求し先を考えない、仕事があれば良しとする風潮は葬儀屋譲りなんでしょうね。

みなさんが思うほど安くはないですよ

葬儀社に限らず、どの業界でも適正な利益を得ないと事業としては成り立たなくなりますので大切なポイントなんですが、従来の葬儀業界の常識を変えるんだ!何て感じでやっている後発のちょびっと(方言)大きい葬儀社にしても、既存の葬儀社とそんなに大差ない事をやってます。

特に安いとは感じない。言ったもん勝ちか!と、言いたくなるほど業界人から見れば安いとは思いません。金額が低いプランは祭壇もショボいし、高さも幅もない。使用する花の本数にしてもそんなに使ってはないので、原価をかけてないだけやんけと思います。

以前にも申し上げていますが、ネット上で葬儀を紹介する業者にしてもそれほど安くはないのです。直葬や1日葬などでは安さを競っていますが、家族葬となると最低金額が逆に上がっています。50万円は最低かかる状況に変化しているのです。他に供養品であるとか料理とかもこれまでと同じようにかかるので、最低金額の底上げ現象が起きているのが現実です。

形に残らないモノなので余計に高く感じると思うのです

仏壇や墓石にしても購入するとなると、30万円前後から数百万円まで費用としてかかりますがこれらは形に残ります。墓地にしてもレンタルの場合もあれば購入するケースもありますが、何れにしても、その権利は使用している間は保証されます。

これらは、一旦、購入すればそうそう買い換えるものでもありませんし、形として残ります。そして、何十年も使用することができるものなので、数百万円かけようとも納得がいけば構わないと思うのです。

これと違い、葬儀はほとんど形に残りません。せいぜい通夜と葬儀の二日間は、祭壇も形には残りますが葬儀が終わればなくなります。地方では、四十九日まで自宅に祭壇を飾っておく地域もありますから、これは少し値打ちがあると感じます。強いて言えば、形に残るのは遺影写真と遺骨ぐらいでしょうか。

そう考えると、葬儀は根本的に高いと感じます。しかし、最近の葬儀業者は値段を下げた場合、必要なものでも外してショボい内容にするのが常道で葬送儀礼を大切にしようとは考えない。直葬が流行るのには様々な理由があると思いますが、こういった葬儀業者の思惑と、消費者の葬儀費用に対する違和感の間で生まれた形態なので根本的には間違っていると思います。

葬儀屋さんの価値観の問題デス

葬儀社にしても、これまでその価格設定がまかり通ってきたから当たり前と思っているのでしょうが、たった二日のために何百万とかける事がおかしいとは思わないのでしょう。

もともとアバウトな価格設定だったものが、経済発展とともになんとなく体系付けられてきたのが現実です。そこへ互助会が出てきた。その既存の価格設定を見習って始めたのです。だから、最近の会員証では見かけないけど、つい最近まで名木や表樒、提灯、紋入り六長なんてのも役務に入っていたのです。基本的に葬儀屋としては後発ですから、真似た訳です。

高度成長期の勢いに乗って、社葬だなんだと言って高額な葬儀が当たり前に出ていた時代ですから、多くの葬儀屋さんは勘違いしたまま突き進んできました。どこかで商品に対する価値観を修正をできればよかったのですが、モノを売って施行件数と施行単価の追求に躍起になってしまった。会社が大きくなる事を狙っていると商品価値を修正できないのです。

でも、モノを売っている限り、その価値観には限界があるという事です。古く葬儀に使われてきた白木の祭壇を思い返してください。新しい、大きい、彫刻が素晴らしいから高い。それで値段を取ってこれたのは、その商品に時代なりの価値観があったからです。でも、葬儀の本質はサービス業なんで満足度、感動がなければ高く感じてしまうのです。

値段に見合う価値観を売りにしないと

本来、葬儀に従事する人間を士業並みに国家資格として制定すればキチンとした料金設定ができるのではないかと思うのですが、誰でもできる商売のくせに料金取りすぎなんでしょうね。要は、専門業者としての値打ちがあれば支払わざるえないですし、公正な料金体系になるとも思うのです。

葬儀業界で働く人々が、社長の目ばかりを気にして仕事する環境は良くない。一人ひとりがプロフェッショナルとして、物体としては残らない葬儀の商品をどうやって納得のいく商品に変化させることができるのか。そこをおざなりにしてはいかんのではと思うのです。

互助会に比べて、一般の葬儀社に勤務する人は葬儀というモノを知っているというか、探求しようとする人間も多いと思うのです。そして、怖さと厳しさも知っています。しかし、残念ながら、日本一と言われる互助会に勤務する方々でも仕事を知らない。知らなさすぎる。長年勤務する人でも理解度が低い。そして、サービス業と思っていない。

いろいろと故人の思いや、遺族の思いを形にしよう、セレモニーとして表現しようとすれば、お金もかかります。でも、その対価が商品だけであったり、どこの葬儀屋さんでもやっているようなサービスだと支払う側には不満しか残りません。

モノを売るだけなら30万円でやればいい

それしかできないのだったら、30万円で消費者が納得のいく葬儀をドンドン販売するべきです。他社で50万円、70万円とかかる葬儀をどこまでも30万円で追求する。そんな姿勢ならいや〜安くていい葬儀してくれはったと評判になりますし、そこから他業者の施行を奪い取っていけばいいんじゃないですかね。

(言いたいことはご承知だと思いますが、現在のバカな葬儀屋さんのように30万円にしたら内容がショボくなる、葬送儀礼ではなくなる、そんな事ではありませんよ)

やはり、セレモニーでお金を頂戴しようと思ったら細やかなところに配慮できないといけないし、そこに付加価値があるのではと思うのです。こんな事、ずっと言われていますが葬儀というモノを知らなさすぎるから現場でできないのです。葬儀バカなくらい喪家に配慮をする、その空間に配慮する、そんな心配りをできないからただのモノ売り業になっちゃうんでしょう。

100万円だからこの祭壇、6千円の料理だからこの内容、これらを少しイベント化して提供したところでどこでもやっているものなんですよ。故人のためにと担当者があれこれ工夫をしたりではなく、ちょっとしたところに配慮できる事はいくらでもあるのです。

葬儀の怖さ、厳しさを根っこに持っていない担当者では到底お金はもらえません。いくら経費をかけて社員教育をしたところで、それが社長のためだけなら全く意味がない。社員皆さんが社長の目を気にしているのか、お客様の方を常に向いているのか、それすら見えない経営者が多いのかもしれないね。

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