お布施公開の見性院、みんれびお寺さん便、それらに対する全仏の対応 Part3

熊四頭
熊四頭

お寺さん紹介に関する問題のPart3です。何度も書くねぇ〜と言れそうですが、どうも賛否両論の意見の矛先が違う方向へ行っているように思いまして、あっちじゃなく、こっちだよとの気持ちで再度、検証しました。

それぞれの問題への取り組み方

何度か取り上げている、お寺さん紹介・お布施定額に関する問題なんですが、これ、私のような衆生からすると、仏教会内の思惑(エゴ)のぶつかり合いのように見えるんです。維持することに心配はない寺院の中には、危惧はあっても本心はどこにあるのかわからないし、維持することができない寺院は死活問題。そして、親分(全仏・本山)は形だけの対応で終わり。

維持できる方は、自分たちまでお布施に対する不信感や、定額制による、お布施の減少という火が回ってきて欲しくないと思っているのでは、と感じるのです。全仏も同様で、対応もおかしな動きなのです。これまでサイト上でお寺さんを紹介する業者が出てきて、情報を掲示されると、「やめろ〜、載せるな〜」って、敏感に反応してました。

ところが、お寺さん便の場合、マスコミへ会長談話を送り、二度目の声明で何を血迷ったか、いきなりAmazonへ販売をやめるよう要請した。アメリカ人のビジネスに、日本の文化と風習を理解させようと試みた訳です。サイト上でも叩かれてましたが、なぜ、みんれびではなくAmazonなのかと。はなから意味がない行動って、誰が考えても分かりそうなもんですけど。

これまで、株式会社おぼうさんどっとこむ、小さなお葬式を運営する株式会社ユニクエスト・オンライン、イオンには直接言ってきたのですが、相次いで登場するお寺さん紹介業者への対応に嫌気がさしたのか? それとも、玉砕覚悟で、万一にでもAmazonが販売を中止してくれたらこれまでの事業者へのルール作りになるとでも考えたのか。

全仏側のメッセージはこちらからどうぞ

全仏からのお知らせ|全日本仏教会

全仏の意図するところを推察すると

私は、一連の行動は、宗門と消費者に対してのアピール、特に末寺へ対してではないかと思うのです。末寺からの突き上げを避ける為のアクションを起こすしかなかったのではと。加盟団体へは、仏教界としての姿勢を示し、衆生へは、お布施に対する意味、思想、意図、方便を表明し、これらを全て含め、マスメディアを利用して終わらそうと考えたのではないかと。

これまでの経験で、事業者へ要請しても聞き入れてくれない事は分かっている。でも、無視はできない。しかも今度はAmazonなんて、まぁ、有名処を使ってきやがった。その対応に、今回はどうせやるなら一発花火上げますか!って、初めから負けが確定している米国へ猫パンチを打っただけに見えるんです。

ところが、先を読めない全仏は、世間がこれほど騒ぐとは想像していなかった。末寺対策が世間に火をつけてしまった。何せ、これまで何度もお寺を紹介する不逞な奴らに猫パンチを放ったときでも、そんなに世間で問題にならなかった。今回は、予想以上に話題になり、逆に利用したマスコミにも煽られる結果になって、再度、対応を表明する事に。

これを見ても、少し距離感を感じるし、対岸の火事がこっちには来るなよと思っていたんでしょうか。これが、維持できているお寺のエゴではないかと感じるのです。今回のようなお寺さんの紹介・お布施の定額制を、全仏が仏教衰退の要因になる、これは放っておけないと真剣に思っているなら、もっとスピード感をもって、その対策にあたると思うのです。

全仏は今年1月、学識経験者と各宗派の代表ら十数人でつくる「協議会」の設置を決めた。商品化が進むのは仏教界にも問題があるとして、菩提(ぼだい)寺を持たない人に近隣の寺を紹介する取り組みや、過疎地の僧侶への対応策などを話し合う予定だった。

 だがメンバーの人選などに手間取り、初会合は9月にずれ込む見通し。アマゾンからも具体的な返答はなく、現時点では成果がないまま批判だけ浴びた格好だ。6月に就任した全仏の新理事長、石上智康(いわがみちこう、79)は「決定打はなかなかない。このような商品が成立しない土壌をつくるために我々も襟を正し、愚直に信頼を回復していくしかない」と話す。

引用:2016年8月11日 朝日新聞デジタル

で、登録する側の思惑といえば

お寺を維持できない方が、みんれびお寺さん便などの僧侶紹介サービスに登録する事情は、基本的に財務バランスが崩れているのが問題なんです。もっとわかりやすく言えば、収入が少ないという、非常にシンプルなものです。で、収入を上げるために紹介業者へ登録する。あわよくば、その後のお付き合いに進展すればいいなと思って。

ところが、みんれびの場合は骨の髄までついてきます。サービス申し込み者に顧客フォローとしてアンケートなり、何なりかの方法をとり、一度紹介したお寺とその後、付き合いがあり、葬儀や法事で利用していないかを探る訳です。登録寺院には、そのような事が発生した場合、報告と手数料の納入が求められます。債務不履行がバレると登録解除になっちゃう訳です。

サイト運営者と登録業者(今回はお寺さん)が契約を結ぶ際の約款に、バーチャル店舗としては、消費者に対して定額表示しているサービス内容と違う受注が発生した時、もしくは、現場で追加で販売があった時には、報告義務と手数料のバックれはあかんでというルールなのです。このシステムは、暴対法が必要なくらい、しつこいシノギをかけてくるやり方です。

そんな危なっかしいところへ足を突っ込んでも、お布施の40%〜50%のシノギをかけられても、お寺さんは登録して収入を得る術を持たないとやっていけないのが現実です。お寺を維持することに現状では問題がない方々からすれば、「おいおい、そんな話題が盛り上がったら、ウチのお布施が減るやんんけ」と、思っているかもしれない。

私の経験上(めっちゃ困窮側と若干の支援側)での意見です

仕事を失う、借金を背負うなどで生活に困窮した場合を想定(体験)してみればよくわかると思うのです。身近な人、親友が、そんな窮地に立った。その時は、少しだけならと、出世払いでお金を貸してみたり、返済不要で、自分が出来る範囲で渡すかもしれない。(これ、これだけなのか、ここまでなのかは若干微妙ですけど、そんな事もありました)

よほどの方でない限り、援助し続ける奇特な行動をとる事は難しいでしょうし、一時的に助けることはできても、その間に本人が頑張らないといけないのです。自分のできる事で頑張らないと。そう考えてお寺さんは登録されているのでしょう。衆生で言えば、本業がうまく立ち回らず、バイトに手を出すみたいに。背に腹は変えれないとの気持ちから出る行動でしょう。

僧侶と兼業で仕事を持ち、ボーナスや退職金をお寺の修繕費や維持費に使っているのも現状です。と、教えてくださったお寺さんもいます。でも、本業で運営をできなければ、それは何かが間違っていると思うのです。例えば料理屋さんなら、美味しくないのか、サービスが悪いのか、雰囲気が良くないのか、経営者としての資質が元々無いのかもしれないのです。

檀家は、経営者の資質が有ろうが、無かろうが支えてきました。「おらが寺」を維持するために、破綻しそうなお寺でも奇特な友人の行動のように行ってきたのです。菩提寺と檀家のシステムが崩壊し、仕方がなく収入を上げるための行動として登録をする。背に腹を変えれない同様の問題かもしれませんが、それを法の伝承という方便だけで済ませていいものでしょうか。

お寺様を茶化しているのとは違います。方便です(念のため)

いや、あたながおっしゃるのとは意味が違う。我々は、歴史と文化を学び、釈尊が伝え残した貴重な教えを後世に残す務めがある。寺の子として生まれ、後を継ぐのは私の宿命でもあり、本望だ。人生にもし、宿命や運命というものがあるのならば、これまでに触れ合った様々なご縁を経ても流れる事なく、今、私が宗門にいる事自体がその証だと思う。

待て〜い!私は、在家からの出家僧だが、法に触れ、法に生きる事を選んだのは私自身だ。たとえ貧しくとも、これは私の修行である。佛にご縁をいただき、佛に救われて今の私がある。報恩という言葉を実践するのが務め。教えを広め、仏教の素晴らしさを伝える上では、収入を心配するなど笑止。自然の摂理により、我が必要であれば、活かし、生かされるであろう。

こんなことを書くと、三日坊主は、宗教を仏教をバカにしている。あいつは宗門の人間でもない外部者だ。そんな人間に何がわかるというのじゃ。戯言を申すでない。とか、葬儀屋ごときがお寺の事を分かった風に言ってる。テキトーな事言ってんじゃねえよ。なんて言われそうですが、ま、仕方がない。文章力がないので、方便にするとこんな風にしか書けないんです。

頑なに仏教を、お布施を主張すればするほど、世間との距離が離れていくように感じます。個々のお寺さんが、みんれびのようなところと、紹介=収入という関係性を築くのではなく、もっと篤信のある(ここ重要)IT兄ちゃんとか、営業が得意なやつとか、事業センスのある人間と関わり合って、事業活動に必要な資金を、全仏なり本山が融資すればいいと思うのです。

それぞれ、専門分野を分業するべきですよ

要は、尊敬される、時代に必要な住職一人で経営も、修行も、布教も、イベントも、告知も、集客も、全て行うには、よほどのスキルが必要だと思うのです。法義に関する事は住職にお任せするとして、集客や告知、はたまた営業(葬儀屋とつるむ意味じゃないです)などを、外部に委託・協力を仰ぎ、資金が必要でも、しなければいけない時代じゃないかと思うのです。

いくらお寺を維持する、即ち、仏教のお釈迦様の教えを残すために、そのような恵まれない環境の中でも頑張る事と、それがイコール、みんれびのようなところの、お寺さん紹介に登録するだけの行動が正解なのかは、若干、疑問に感じるところもあります。他に行動する方法はないのかなと思うのです。

宗門は、それぞれが独立した宗教法人です。なので、栄枯盛衰は自己責任です。とはいえ、宗派が同じでも違っても、仏教という大きなテーマでそれぞれが目指す頂点は同じなら、もっと協力し合わないとこの状況は打開できないですよ。小さなお付き合いの輪。SNSで繋がっている程度の関係性では、否定的な意見は出ても、それ以上はない。

社会貢献活動を通じて賞賛に値するお寺さんもいます。バンドを組んだり、フェスを開催して若者に仏教を感じてもらおうと行動している方もいます。その他にも様々な行動をされています。でも、これだけでは一般にはなかなか伝わらない。一部の活動の中には、自分たちは良かれと思っても、世間は白けて見ているモノも存在するのは事実。独りよがりになってしまう。

懐の深さと透明性が問われているのでは

全仏も本山も、栄える寺院だけの寄り合いではダメなんですよ。みんれびに登録せざるをえないお寺さんを役員にするぐらいの根性と先見性と透明感を持たないと、この問題は解決しない。風通しを良くしないと、この問題の本質が見えてこない。みんれびに文句を言うだけではなく、自分たちで紹介システムを作ってでも、主導権を奪われたなら奪い返せって事ですよ。

お布施が定額だと趣旨がズレるという言葉の裏にはどんな思惑があるんですか? 今回、マスメディアで話題になっている原因は、おそらく私の感覚と同じだと思うのですが、これまでのお布施が目減りするのが嫌なんでしょ? と、穿った見方が世間にはあると感じます。それに抵抗する宗門一派。そんな構図を世間に作ってしまったのが対応の結果です。

これも、全仏と登録せざるえないお寺さんの行動の結果であり、そのような一部のイメージが、どこかしらにあるのです。このブログには、紹介寺のお布施のやり取りを書いた記事があります。これに対する意見は、「都会だけの問題だろう」、「誤解を生むような事を書くな」など、否定的な意見が多いのですが、皆さんの周りにはなくとも、これは事実です。

私からすれば、そのような否定的な意見を述べるよりも、問題提起に対して肯定的な意見と行動を広めることの方が意義があるのではと感じるのです。今は、手軽に世界とつながる環境にあるんですから、本山や全仏、そして登録せざるをえないお寺さんへ、動いてもらうための勇気と愛のある、即ち、仏教で言うところの慈悲のあるメッセージをガンガンぶつけないと。

得意分野を活かす組織が必要と感じる

葬儀社の、葬儀に対する取り組む姿勢に問題もあり、もう一方に宗教者の姿勢にも問題があるのでしょうが、お寺さんも、独自にグローバルに運営を考えていかないといけない時代です。単体で運営が無理なら、複数の寺院を統合するしかない。トップから雇われる立場に変わっても、それが仏教を、遺産を残すために必要な方法なら仕方がないのではないでしょうか。

いやいや、あちらさんとは宗派は同じでも縁起が違うのですり寄せは無理、なんて言っていたら維持すら難しい。例えは悪いかもしれませんが、個々の商店主が時代の移り変わりに対応できなくて、衰退する姿とダブってしまう。素人の考えでは、例えば魚屋さんと料理屋さんが合併して店舗を統合したら、魚も売れるし、行きたくなる料理屋さんができると思うけどな。

葬儀社も宗教法人も、利益を追求するのが悪いのではなく、良い商品を世に送り出す事を放棄してはダメなんじゃないかなと思うのです。手取り早く収入を得るための行動に対して、自分を無理に納得させるのは、長続きしないと思うのです。本心は、そんなところには無いはずなのに、仕方がないという方便の言葉で終わらせては、問題は解決しないと感じます。

葬儀社も、今現在が良ければいい。独立して仕事が少ない。だから、ネット上の葬儀紹介業者に登録したり、手っ取り早く、経費をかけずに、人手もかけずに利益を得よう。紹介業者の仕事で得る利益よりも大きい、直葬ってやつでとなるんです。本当にそんな事をしたくて独立したの? 自分を納得させるために方便を使っていては、ビッグになれないよ。

自戒と行動

恥ずかしながら、私自身もお寺さんを紹介しリベートを得るという行為に関わってきました。給料の一部になっていたのは事実です。システム的に行ってきた葬儀社もあれば、定額ではなく、お寺さんと担当者という関係性で行なわれていた事もあります。長く葬儀業界にいた事によって、良い風習も、悪し風習にも関わるというか、巻き込まれていく環境ではありました。

寸志問題もありました。火葬場への寸志。葬儀社への寸志。新聞報道でも大きな話題になった問題です。それらの事実関係と経緯も記事に書いています。このような経験に対して自戒の念と、現在の葬儀業界が暴走? しているようにも感じる部分から、消費者への情報提供。業界への問題提起をあつかましくも書いているのです。

もちろん、賛否両論があることは承知しています。でも、書くしかない。それは、そういった風習の中で根付いた価値観を持ったまま独立した、一部の人間による結末が、直葬なんてスタイルを生み出して、葬儀を葬儀ではなくしてしまっているのではと感じたからです。これを良しとする理由が実際は葬儀社(起業者)の都合でありながら、消費者のためのように言葉をすり替える姿勢に問題があると考えています。

なら、これまでの歴史、事実を述べて問題提起しようじゃないかと。実際に一緒に仕事をしてきた者が、ネット上で爽やかにメッセージを伝えている姿を見て、そんなデタラメな事ネットで宣伝するんじゃねえよと。しっかりしろよ老舗の葬儀社。いつまでも高座に座っていると足元すくわれますよ住職って気持ちからです。それをどう感じて、どう動くかは自由ですから。

お布施が定額でもいいじゃないですか

Amazonみんれびの問題は、仏教会だけの事ではなく、葬儀に関わる全ての方の問題だと思います。寺院運営に困窮する方は、何かを得て、現状を打開しないといけない。政教分離の問題もあり、国が運営にかかることもできない。(昔は、国の中心だったのにね。そのお陰で維持していたところもあるのに…)

法要・納骨・祈祷などは、定額制でもいいんじゃないかなと思うのです。大阪にも四天王寺という、聖徳太子に由来する創建1400年以上のお寺があります。ここと、近くにある一心寺もそうですが、この辺りの項目は定額でやってます。ドーンと掲示してます。預ける → お参りに行く。この流れが延々と続いているので、相乗的に人が集まります。累積するのです。

これと同じようにはいきませんが、学校、病院、高齢者介護施設など、四天王寺の運営(経営)は、見習うべき点が多いとは感じます。由緒ある歴史に乗っかったお寺さんの役員だけではここまでいかないでしょう。経営者というか、専門家のアドバイスと、聖徳太子の請願と教えに沿って事業を展開してきた結果が、繁栄という形に表れているのではと感じます。

もちろん、四天王寺さんも葬儀のお布施に関しては、みなさんと同じ、お気持ちでというスタンスでいらっしゃると思います。実際、喪家側はそれなりに包んでらっしゃると言えますが、それを容認させる雰囲気がお寺自体には存在すると、身近で見ていて思います。

お寺は経営では無い!なんて方便を言わないでくださいね。

この問題解決は、何が正解なのかはわからない。でも、少なくともそれぞれが、単体でエネルギーを発信していては、スーパーマン並みの人、お大師さんのような人が現れない限り無理と感じます。そのような、後世に残る一宗を起こせるようなお寺さんって、いるでしょうけど、見かけた事も、聞いた事もないのが現実。

お釈迦様が、自分の周りに集まってきた人たちと行動を共にし、いつしか教団と言われるような組織になった時、運営に心を痛めていただろうかと考えると、おそらく、そのような能力に長けた者がいたと思うのです。だからこそ、一寺で問題解決するには無理があると思うのです。篤信のある、専門性を持った人間をどんどん入れないと。

簡単な発想なら、儲かる寺院も、そうでない寺院も、宗教を後世に残す、仏教を後世に正しく伝える事を本義の中心とするなら、すべての収入を全仏に収めて配分するのが一番簡単な方法でしょうね。そうすれば、日本中のお寺さんの生活と寺院運営を賄うことができるはずですが、儲けているところは参加しないでしょうね。宗教法人は個々の責任だからと言って…

全仏、本山、公的機関、この三本の矢で解決するべき

国も政教分離の原則はありますが(公明党さんは?って思うところもありますケドね)もっと、維持管理、運営に関与してもいいんじゃないかな。国の歴史上の文化遺産を大切にする気持ち、国民の死を悼む気持ち、子供達に文化を伝え、生きる意義を伝える気があるのなら、法律に抵触しない(自衛隊が日本に存在するような)うまいやり方も考えられるでしょう。

全仏も本山も、国と連携して仏教を守る、後世に残すために財産を提供するぐらいの意気込みがなければ、チマチマとやっている限り、運営に困窮するお寺さんの救済には効果がないと思います。そして、困窮するお寺さんも、自身を見つめ直して、自分で立て直しが可能と判断するなら、全仏や本山に、もっと意見を言うべきだし行動を起こすべきです。

で、きつい言い方ですが、もし、経営者としての資質が無い、向いていないと思う。資金調達ができないなどの状況なら、いち宗教者として行動し、寺の運営はできる人に任せるべきではないかと思うのです。方便で自分を納得させ続けるよりも、他の寺院で就業する者へ変わらないと破綻します。

全仏や本山は就業をサポートし、心のケアをする、寺院統合を調節する機能を持つべきです。実際、寺院の維持運営に収入が足りていないのが、お寺さんを紹介するシステムで露呈した問題です。世間では、お布施の定額という話題に変わってますが、本質はそこではない。

外部に、自分たちの都合でのお布施の概念ばかりを言うのではなく、組織内部的にも、公的な機関を通じて、全国の寺院運営責任者の能力を測るしくみ作り、スキルアップのための教育システムの構築、仏教界全体の組織の見直し、お寺さんの資金管理サポート、心のケアを行うための、気兼ねなく相談できる部署なども必要ではないかと感じる三日坊主です。

なお、賛否両論の貴重なご意見をお待ちしております。

お布施公開の見性(けんしょう)院、みんれびお寺さん便、それらに対する全仏の対応
檀家制度を廃止して、新たな生き方を模索する曹洞宗 見性(けんしょう)院。住職の意見も一理あると思うが、これらを取り巻く、みんれび、全仏も、同じ穴の狢と感じる。この見性院もそうだが、お布施自体が何十万円もする根拠についての説明が乏しすぎる。
お布施公開の見性院、みんれびお寺さん便、それらに対する全仏の対応 Part2
前回の投稿に対してあるご住職よりご意見をいただきました。現実を目の当たりにしているご住職のお気持ちと、問題提起を目的としてこの話題を取り上げた管理人との言葉の中で、宗教者を紹介するという行為、お布施とはなんじゃろかとの意味を再考したいと思います。
トップへ戻る