子供に迷惑をかけたくない、よく聞く言葉ですがなんだかね

手を繋ぐ老夫婦
手を繋ぐ老夫婦

いつからこの世の中は、死ぬ事に関して気を遣わないといけなくなったんだろう。しかも、何十年という人生の中で葬儀に必要な時間ってわずかなものだけど、それをも省いてしまおうとする事が肯定されているのも、なんだかね…

「葬儀は不要 やるとしても質素に」

こんな言葉をよく聞きます。基本的には子供たちへの配慮なのか、経済的に負担をかけたくないとの気持ちなのか、家庭によって事情は違いますが、複雑な思いが絡まっての言葉なんでしょうけど、どうも切ないと感じています。

私の親も、一口五百円だの、千円だのと互助会に加入して「これであんたの結婚式も、お母ちゃんの葬儀もできるし」なんて言ってましたが、中学生ぐらいだった私でも「そんな金額でできるわけないやん」と思う次第。それでも子供を案じて親はそう考えるんでしょうね。

親の死を現実問題として考える頃、子供も齢を重ねて相応の年代になってくる。親が先か、自分が先かみたいな関係になってくると、いよいよ「死んだらどうする」という事が頭をよぎります。そんな時に冒頭の言葉が出てくるんでしょうね。

ちょっと、リアルな話です

喪主は長男。長年勤めている会社で現役。その奥さんは、親とは積極的には関わらないスタンスでこれまでやってきた。結婚してから嫁姑の問題だとか、夫婦間の問題もあった。親元の商売の事で負担に感じることがあったり、お金の事なんかも色々あったのは知っている。

そんなこんなで、徐々に家同士の付き合い、親族としての付き合い、親子としての付き合いが疎遠になる。普段でも顔を見に寄らない関係なので、正月にも挨拶に行く訳がない。おじいちゃんとして孫も見たいだろうけど子供の家に行くのもはばかる。

生きて年数を重ねていけば、どこの家庭でもこのような問題の一つや二つはあるでしょうし、夫婦の問で煮え繰り返るような思いをして過ごしている方もいるでしょう。お金に苦労をして、その上に他人である夫の両親の介護や、お世話なんてできないのはごもっともです。

突然の死、さあどうする

そんな関係の中、親が亡くなった。私は傍観者。様々な葬儀の場を見てきて思いますが、夫が嫌い… その身内も嫌い… その親族も嫌い… でも、せめてここは嫌でも演じなければいけないところじゃないかと。ここ見せておかないと、次はあなたの番です。同じ事が起きますよ。

自分の値打ちを下げないためだけでもいいから、客分のように端っこに座って、他人事のような言葉を出すよりも大事じゃないかな。それを注意できないと言うか、長男も間違っていることに気付いていない。これも、次は同じ事が起きます。

小さな子供を案じて親が言う「葬儀は不要」って言葉と、成人した子供がいる長男に対して、同じ言葉を言わざるを得ない親の気持ちを察する時、現代の葬儀事情の根本の問題のような気がしました。色んな事に気を遣って生きないといけないし、死ぬ時まで気を遣わないとダメなこの社会って正しいのかなと。

自戒も込めて思いますが

私には送る親がもういないので、自信を持って宣言できないし、子供を案じてこの事例と同じ事をするかもしれない。でも、親が子を思う気持ち、子が親を思う気持ちを確認し合う時間が、葬儀の時だけではどうにもならないと思うのです。

世の中がそんな風潮だからと何も考えず、利益のために簡素化して販売する葬儀社。一日葬なんてのも、死を意識したり、親への反省や感謝の時間を省いてしまっているし、その結末が直葬なんてのを生んでしまった。それを新しい葬儀の形なんてネタにするマスコミや、その葬儀を肯定する葬儀業界関係者の言葉が人間を社会をダメにして行く。

葬儀屋さんも「もし明日、親が死んだら」とか、「人は絶対死ぬんですよ」と言う事を意識させる仕事をしないといけないですね。不安を煽って商売に結びつけるんではなくて、葬儀に関わる人が言葉だけでなく、まず本当に実感しないとおかしな話です。

自分が真にそう思わないと人には伝わらない。人に伝える絶好の機会が葬儀なら、その共有する時間を使って、普段、実感しない人に強く死を意識させるべきだし、それが葬儀の仕事を通じて少しでも社会に貢献する事になると思うのです。

明日は絶対ではないんですが、次は絶対自分の番です

死んでからの供養も大切ですけど、生きている内にできる気持ちの供養を考える行動って、まずは自分への反省しかないと思うのです。誰しもが明日も絶対くる、命が生きながらえていると思っているから、親への気持ちを反省しないし、行動に移せない。

明日は絶対では無い事を考えさせるのはきっかけで、そこから先は宗教の役割かもしれないし、自然の存在かもしれない。でも、少なくともそこまでの橋渡しは葬儀屋の仕事です。

葬儀を通じて二、三日の間、親を思い、反省し、感謝するよりも、普段から大切な存在なんだ、この人と関わりあっていけるのは今日までかもしれない。年老いて行く親を見て、命を感じる事ができたら、何か見えてくる事があると信じています。

そして、親が葬儀は不要と言わざるを得ない世の中よりも、せめてこうしてあげたいと思える子供が増える方が、きっといい人間関係を作ると思います。そんな価値観が普通だよと言える方が、お互いに幸せな往生を迎える事ができると思うんですよ、次は、絶対自分の番ですから…

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