『直葬は、間違ってます』の意味と、思いと、願い

パズルを組み合わせる手
パズルを組み合わせる手

直葬について思うことをまとめてみました

先日、ブログを読んでくださっている方から「なんで、直葬は間違っているの? 何かダメな理由があるの?」と聞かれまして、その話をしたのでブログでも書いてみようと思いました。

元々、ブログを始めたのは2015年の7月アメブロからでして、その時は、「三日坊主の葬儀なんでも相談」とし、葬儀の経験上でお役に立つ事があればと思い始めたのです。

で、同月にすぐXサーバーに移管して、その際に素直に思う気持ちを表現した方が良いと思い、その決意のために今の名前に変えました。無料サーバーでは本気度も伝わらないし、自分にもハッパをかける意味で有料のサーバーに移行したのです。

アメブロから始めてどんな風に記事を書けば良いかなと思っている時、他の葬儀関係の方のブログを拝見していて、結構はっきりと間違ってるんじゃないのってところを個人名、団体名を出して指摘しているのを見て、「ここまで書いても良いんや」と思ったのが一つのきっかけにもなりました。

タイトルは違っても思いは同じなのですが、メッセージ性を強くしようと

で、「三日坊主の葬儀なんでも相談」って、よくサイト上にある葬儀屋が表向き、無料で相談に乗りますよと入口のハードルを下げて、結局、自分のところで施行するか、関連するグループでの施行に結びつけようという意図を持った方々と同じ匂いがするなぁと思い、うさん臭い名前はやめようと思ったからです。

それと、直葬に対する問題を提起するにも、ちょっとインパクトが弱いなと思い、どうせ書くなら直葬という言葉を全面に出した方がわかりやすいし、そういった形式を選択せざるをえない状況にある方に葬儀を考える機会になればと思い、「直葬は、間違ってます by 三日坊主」とした訳です。

ブログでは使っていますが、正直、この直葬という言葉が私は嫌いです。葬儀業界が作り出したネーミングですが、火葬のみの葬儀と明記すれば、インパクトも弱いし、ネーミングが長い、それにキャッチとしてはかなり弱いところがあるのでしょうね。だから、業界で積極的に、しかも安易に使用する。

だからと言って直に葬る(ちょくにほうむる)部分の直って、葬儀をしないって意味でしょうし、死から直接、通夜や葬儀を省いて値段を下げてウケがいいように葬儀という儀式を成り下げる事なんかやっていいのかと。

異業種が入ってきても、「葬儀を馬鹿にするな。そんな人間としての尊厳を亡くしたような商品名は、葬儀業界では認めません」なんて言うところなんてなく、仕事が入るならと、こぞって使用しているその姿勢におかしいと思うのです。人間は物じゃないよと不満に思うところがこの名前にはありました。

その選択が決して間違っている訳ではないのです

直葬、いわゆる火葬のみを選択せざるをえない方はあると思うのです。経済的に困窮し、誰にも相談できない。でも、現実として葬儀を行わなければいけない。そんな時、財布の事情で費用をかけれない。致し方なく選択する事に何も反対する気持ちではありません。

行政の制度に不備があり、そこに由来する問題が葬儀にはあると感じています。例えば、出産には医療機関等における出産費用に充てることができるようにと出産育児一時金の制度があります。これは金額的にも結構充実していて、通常分娩で公立の病院ならある程度は賄える安心感があります。

同じ治療を行っても医師が疾病と認めて診療を行った場合を異常分娩、それ以外を正常分娩とし、前者は保険診療の対象となり後者は自費診療と、いろいろな制約もありますが、これ以外に高額医療費の制度も活用すれば負担はかなり低くなると思うのです。

ところが死亡の際には、埋葬料・埋葬費として5万円が支給されるだけで、この内訳は、「実際に埋葬に要した費用」となり、その項目は霊柩車代・霊柩運搬代・霊前供物代・火葬料・僧侶の謝礼等が対象となります。これでは霊柩車代にもなりません。

葬儀全てを5万円で受けてくれる葬儀社ならいいのですが、大阪市でも火葬料金に1万円(市内)はかかりますので、残り4万円。これでは葬儀は無理です。

また、大阪市には「大阪市規格葬儀」という、市民のために安価で内容の充実した安心できる葬儀を行えるようにとの規格がありますが、設定内容が葬儀社寄りの都合でまとめられている。また、現在の葬儀施行形態にそぐわない部分もあり改訂が必要なのですが、歴史上の遺産のように未だ鎮座しています。

sieisougi
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規格葬儀についての記事はこちらです。

規格(市営)葬儀について改めて考えた
安価で安心をモットーに、行政と葬儀社が協力しあって生まれたこの規格葬儀。ガイドラインに沿って、設定した金額でその内容を遵守して施行を行っ...

出生も死亡も国民なんで、最後まで面倒みてください

国のために働いてきた、その家庭を守ってきた、子育てに全てを投げ出し、国の将来を担う子供を育ててきた、その方々の最後も面倒をみてほしいと思うのです。その葬儀を行う業者には適正な利益と、遂行する内容を厳守させると約束してくれるなら、そのための財源が必要なら税金として負担する事も致し方ないと思うのです。

介護保険のように重圧を感じる税負担ではなく、人生70年、80年と言われる中で、成人してからの50年、60年の期間で30万円ほどの財源を確保するのに、月々、税金として500円徴収すれば十分まかなえます。

また別途、規格葬儀内容以外でかかる費用を、月額500円程度の共済保険を作り、死亡時に支払われれば、葬儀の費用に困ることも無くなるのではないでしょうか。

そして、国が国民のために制定する”国民規格葬儀”を設け、誰でも一律の費用で充実した葬儀をできるよう、そして、その費用は先の財源で確保した健康保険から支給されるべきではないかと思うのです。

それ以上に費用をかけて葬儀をしたい方は、その費用をベースにして、自分たちの予算の許す限りの範囲で納得のいくように行えばいいのです。そして葬儀社は、その費用を引き出すための魅力ある商品開発と納得のいくセールストークに磨きをかけ、リゾート地でも高級式場でもいいですから、別格で行えばいいと思うのです。

これも出産と同じで、費用をかけて個室で出産する人もいれば、出産費用と子育てにかかる経済的負担から子供を産む事にためらいを感じてしまう方もいるのです。健康上の理由で出産を諦めている方もいるかもしれない。そのための治療も含めて、生も死も安心して迎える事ができる世の中が一番心豊かに生きていく事ができるのではないでしょうか。

難しくとも、やらないといけない時期はとっくに過ぎています

現在の健康保険事業や年金事業は実質破綻しているので、今さらこのような葬祭事業を取り入れてくれる事は大変難しいと思いますが、それでも国がこのような考えを持たない限り葬儀における尊厳や葬送儀礼は益々失われます。

死を悼まない風潮を当たり前とし、葬儀を安直にする事で、生きる事の意義、感謝を考えるための時間までも省いていくと、とんでもない子供達が育つのではないかとの危惧を感じるのです。

葬儀業界は、そういった社会運動や活動に対してのメッセージすらも送らずですし、葬儀業は資本社会においては自由な事業ですし、国も葬儀は宗教儀礼だとの観点から口を挟まない。まして法規制もない無法地帯です。

儲けたお金のほんの一部でもいいから、国民の葬儀のために投げだそう、国に働きかけようなんて、戦後から今日まで全葬連も全互協もやってこなかった。(if共済会、互助会会員など、お互いの会員獲得のためには必死やケド)

一般社団法人全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)ホームページより

一般社団法人全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)

多くのお客様からのご満足を通じて会員システムを発展させ、新しい儀式文化を創造します。
 ~これが私達の理念です~

全日本葬祭業協同組合連合会 (全葬連)ホームページより

葬祭業という職業が社会的に必要不可欠であること、その地位の向上、競争力強化による経営の安定、葬祭文化の発展を旗印にした出発でした。

葬祭文化が大切な儀礼であること、所属員の相互扶助による安定成長、経済社会への貢献、事業者の社会的地位の確立を訴えました。

創立以来59年(認可後39年)、全葬連は、葬祭専門事業者団体として、幅広い組織化、共同購買事業、業界の健全な発展、葬祭事業の近代化、業界の倫理確立と地位向上、人材の育成による葬祭従事者の資質の向上、阪神・淡路大震災、東日本大震災等における災害時の緊急支援活動等に努めてきました。

なんて、各団体は世にメッセージを入れてるけど、全部、自分たちの利益を守りたいだけでしょ。

葬儀屋の意地とプライド

費用をかけれない方に誠意を持って対応する義務は、葬儀社として当然だと思うのです。
いくら安くても自社の基本理念として葬儀をおざなりにはできない。でも、他の費用をかけている高額な葬儀費用を頂戴している方とのバランスもある。そんな事を案じるからできないのでしょう。

費用が安くてもそれなりの事が出来てしまうと、今後の葬儀プランに影響が出てしまう。
一件でもそんな金額で充実した葬儀をしてしまうと、その噂が口コミで広がり、皆さんがそれでいいとなると困るし。なんて事情があるのでしょうね。

でも、葬儀に品質というか、金額がその内容・価値だと思っている方もいるでしょうから、そのような方の施行を誘致し、その金額に見合った「その方だけの特別な葬儀の創造」に苦心すればどうかなと思います。一定額の内容格差によって、その方の価値観にあった葬儀を選択してもらう企業努力は必要だと思うのです。

軽自動車でもファミリーカーでも全て車ですが、レクサスを買いたいと思う人は誰が何を言ってもレクサスなんです。その価値観をどこに求めるかの違いでしょう。それは消費者の都合と納得する商品であるからでしょうし、その品質の違いが付加価値だと思うのです。

直葬だからと言って、ボディの鉄板は無し、シート無し、バックミラーも付いてませんので…なんて車、どこの国でも、どこの自動車メーカーでも販売してないですよ。そういったハード面での差別化で金額を変えるのでは無く、人的ソフトの部分でのカリスマ性、スター性を作らないと希少価値はないと思うのです。

直葬は、間違ってますのネーミングは

「直葬は、間違ってますby 三日坊主」のサイト名は、このように安易に安価な葬儀を行う姿勢、他社との差別化に何ら努力と言える事をしていない葬儀業界に対するメッセージが一番の理由です。

●自分の葬儀を大切に考えましょうと行うセミナーへの参加誘致、そして意味なく資格取得のための試験へ参加させる終活カウンセラーなどの葬儀関連業者へNPO法人・一般社団法人による特定非営利活動法人を売りとし、非営利の言葉のイメージを利用した、利益を追求していない雰囲気をアピールする、何となくいいとこ、親切そうな団体商法へ

●電車、バスなどで「直葬98,000円一式、心を込めてお葬式」なんて事業者を広告主に選ぶ、広告主不足を埋めるためならなんでも掲載する今の日本の大企業へ

●そして、IT起業家として葬儀に目をつけて、葬儀の価値観を値段で選択する文化を生み出した方々へ

●ネットの普及とともに葬儀施行誘致から、葬儀紹介業に移り変わっていった葬儀業界。その先駆者や、スーパーで食品や生活必要品以外に「死」を商品として扱いだしたところも含めての葬儀紹介業社へ

●安直な葬儀ばかりを売りにし、自己の利益を優先するがためには自分を育ててもらった葬儀業界の文化や儀礼をも捨てる事を良しとする、独立系直葬屋へ

●最後に、そんな狂喜乱舞の業界から発信される情報を正しいと感じている、葬儀を行うにあたって費用的な心配はないが、自分の価値観、都合を優先する消費者の方へ

そういった方々へのメッセージとして、「直葬は、間違ってます」と思っています。

思いやりを持ち、豊かな心を育んだ子供達が身近な先祖である両親と、両親を通じてその先の先祖を敬い、死を通じて命に感謝し、生きる意義を模索しながら成長し、世界の範たる人として日本の将来が明るいものであればと、そのために葬儀文化を大切にしていただけたらと願っております。

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コメント

  1. さくら より:

    勤めている会社の社長が前ぶれもなく突然亡くなりました。
    その社長が直葬だったのです。
    直葬という送り方があることを初めて知りました。

    うちで飼っていた犬が老衰で死んだ時に行った、
    ペット火葬と、直葬の内容はほぼ同じでした。

    葬儀なし、戒名なし、お墓なし…

    社長には子供がいない為、お墓はいらない(管理できないので)
    って話を聞いていたので、そこに疑問はありません。

    なぜ直葬だったのかと言うと、誰かのお葬式から帰るたびに、
    奥さんに「大袈裟な葬式はしなくていい」と言っていたから
    だそうです。

    それが「直葬でいいよ」って意味だとはいまだに思えません。

    お線香をあげることも無く、お経を読んでもらうことも無く、
    供養できているのだろうか? と、ずっと考えています。

    お墓については、生前「樹木葬ってのもあるみたいだし」
    って話をしていたので、そうするのかな?と思っていたのですが、
    「海に撒いてくれてもいい」って言っていたと 奥さんが
    口にした時、散骨を考えているのか…と思いました。

    散骨にしたら、生きていた証はどこに残るのだろう?

    社長の人生って何だったのかな…?
    亡くなったあとに「かわいそう」と思ったのは初めてです。

    今後、直葬に立ち会うことがないことを祈るばかりです。

    • 三日坊主 より:

      さくら様
      コメントありがとうございます。

      火葬のみの形式が昔から無いっていう訳ではないのですが、昨今の直葬は、
      業者が自己都合で生み出したものですから、私は反対しています。

      >奥さんに「大袈裟な葬式はしなくていい」と言っていたからだそうです。

      葬儀をされる方の自由ですからなんとも言えないですが、もっとお別れを
      したいと願う方もいたかもしれません。

      ブログでも書いていますが、死者を側にした「静の時間」と生きている人間が
      同じ空間にいる「動の時間」が共存する唯一の機会であって、これが他人なら、
      恐怖感や嫌悪感などに包まれてとても一緒になんかいられない。
      親子・兄弟・夫婦・恋人、そういった大切な人だからこそ、一緒に時を過ごせるはずだと思うのです。

      昔の葬儀の時代には無理矢理にでもその空間に掘り込まれます。
      親族だからと必ず顔を出さないといけないし、役割もありました。
      子や孫も、その上下関係がある空間、動と静の空間に強制的に同席させられるのですから、
      何かを感じない訳がないのです。

      しんどくても、足が痺れても、一人その席をはずすなんて事はできません。
      儀式が終わるまで、また、葬儀そのものが終わって精進上げが済むまで帰れない状況です。
      これを大袈裟と言わず何というのでしょう。

      人生の中で喪主になるのは一度か二度です。
      費用の面でやむなく火葬のみの葬儀を選択するのは致し方ない事です。
      なら、自宅で安置して、自分たちで食事を作ればいい。
      どうせ朝に夜にご飯を食べるのですから。
      そして、語り合えばいいと思うのです。

      一人、一人が少しずつお金を出せばお寺さんに来ていただくこともできます。
      通常のお布施なんかでなくていいのですよ。事情を話して理解してくださるお寺さんも必ずいます。そんな時に、このお布施でないとなんて言うお寺さんなら付き合いなんかしないほうがましです。

      貴重な時間と空間を省かないでほしいと願う気持ちが、直葬を反対する理由です。
      もっと日常的に「死ぬ事」を感じたり、考えたりしないと葬儀のための貯金もしないでしょうし、皆、今を生きる事に精一杯なのは、私も同じです。
      だからと言って、いざという時にしないのは何か違うと感じます。
      煩わしさをお金で判断するのは、人を見送るには少しばかり寂しい気もします。

      葬儀は大袈裟というか、基本的に大変な事なんですよ。
      例えそれが直葬という形であっても、一人の人生の終わりなんですから労力はかかります。
      大変な事をやり遂げる。それが供養になると私は感じてます。
      死ぬ事が難しい時代になりましたね。

  2. カルナ より:

    我が家もふるさとの墓の問題が起きていまして、檀那寺に問い合わせると、墓じまいで寺の合祀墓に入れる場合、一霊50万というのです。えっ、一霊って、先祖はいったい何霊あると思うの?ぱっと思いつくだけで15霊はあるわ。今時何を考えているやら。時代感覚のずれにあきれ、今もっと費用が掛からない方法を模索中。一億総下流(あとの2~3000万は富裕層?)といわれる現代、寺側のこの認識が変わらない限り、寺はどんどん見放されてゆく。先立つものがないので、ご先祖さんもお許し下さるだろうと、寺に所属しない家も、頼らない家もどんどん増えてくる。それが葬式まで及んでいるのが今。ただ自分は、異界に行くとき、先達は必要と思う。とても自力で進める道ではないと認識している。お経の導きは要る。派遣の坊さんで、派遣なりの道があるだろうから、そのお経に導かれてあの世に行きたいと思っている。異界での立ち位置が落ち着くまで、ずっとお経に頼りたい。13回忌くらいまでかな。この辺はひとそれぞれ。一人で進む勇気があれば、直葬も可でしょう。費用がなく、不本意ながら坊さんの助けが受けられなくてお経がもらえないという人には、無縁の霊を弔ってくれる大寺院も各所あるから、そこに頼ればいいと思う。それでこそ仏教です。先達・お経が必要と思う自分は、このブログの趣旨に賛成です。

    • 三日坊主 より:

      カルナさま。コメントありがとうございます。

      >一霊50万
      というのは、びっくりですね。富める寺院なのか、運営に不安がないのか、なんという世間離れな感覚でしょうか。
      日本の仏教は独自な位置だと思うのですが、仏教の本質を間違うと、現在の葬儀(死)にまつわる環境のように、人間としての本質すら失ってしまいそうですね。
      これはもう、人間のエゴ、おごりですね。

      様々な方から応援いただき、感謝いたします。
      今後も葬儀を主体に問題を取り上げてまいります。

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