郵便局マスクマン VS 葬儀屋マスクマン

目を見開く子供
目を見開く子供

誰かに見られている、その意識の問題と思います

先日、葬儀屋さんにマスクマンが多いと感じる記事を書きました。これは、葬儀屋さんの若い方々も含めて、葬儀業界に働く者がお客様からも、ご近所の方からも、また社内・社外でも常に見られている事を意識していただきたい思いから書きました。

小さな葬儀社、大きな葬儀社、どちらにいてもその会社の看板と、マクロで言えば葬儀という業界の看板を背負ってる上での言動が必要だと思っています。また、大げさかもしれませんが、社会における自分の存在意義、自己の価値をアピールする上でプラスに作用するのか、マイナスとなってしまうのかまでも気をつかっていますか?
との提言です。

たかが、マスク1枚なんですが、だからこそ、風邪予防? 風邪拡散予防? くしゃみ対策? など、自己管理のメリットと、着用する事でより一層目立ってしまうデメリットを承知の上での言動を考えていただきたいと思うのです。使い分けを注意できる事が必要だと感じるのです。

そんなQ&Aにピッタリな事例が郵便局で起きましたので書いてみました。

私は郵政事業に関わる人間ではありません。葬儀社目線です。これを喪家目線と思って考えみました。そして郵便局を葬儀社と置き換えていただければ、知らない世界の方々の言動を、サービスという共通の目線で見た場合、どのような言動が小さな不満を生み、それが結局、感動にはつながらない事を考えていただくきっかけになると思いまして。

郵便局で支払いをしてから出勤しようと思った時です

近くに小さな郵便局があるのですが、先日、ここで結構待たされたので、「そうだ!もう少し先に大きい郵便局があったな」と思いつき、急遽そちらに寄ってから行く事に。きっと、大きい方が人員も多いし、処理は早いのではと思っての行動でした。

郵便局に着いてカウンターにある順番待ちの発券機のチケットを取ると、「お待ち人数1人」と、おっ、やっぱりこっちに来たのは正解じゃ!

ところがいつまでたっても窓口の方の作業が終わる雰囲気がない。前の方の依頼を処理していからと、「処理中」との札を上げて「来るな!来るなよ!」と防御線を張りながら黙々と仕事をしています。正解といえば正解でしょうが、周りをもっと見ないといけないのでは?

刻々と過ぎる時間

時計を見ると25分。30分にはこの用事を済ませてここを出ないと間に合わない計算なのです。郵便局で受付チケットを取ったときには7分のアドバンテージがあったのですがすでに
2分過ぎている。

仕方がなく椅子に座り、チラチラ見るが3つある窓口のうち、もう一つ空いているが誰も座ってはいない。郵便局も民営化されて、人員をそんなに増やす事も難しいのね。と、好意的に判断しながら待つ中、カウンターの奥の方から電話の音が。

ふ〜ん、郵便局に電話をかける方もいるんだな。あたしゃ、その電話番号も知らないけど、
よほどお付き合いが長いのだろうと思ったりして見ていると、「誰も電話に出ないやんけ!」
ず〜〜〜〜っと、電話が鳴りっぱなし、誰も気にしていない。こっちが気になって仕方がないのと音がうるさい。

誰も出んのかぁ〜〜い

職員は、カウンターの係員が、郵便窓口に2人、金融窓口に2人、かんぽ窓口に1人(この人、めっちゃヒマそうでした)、そしてカウンターの奥には10人ほどの職員がいる。ど真ん中に局長らしき、偉そうなオーラーを出している人が座っている。よく見ていると、金融の窓口の方は、毎回そこへ立ち寄りご意見を伺っている。

「ボス、こんな案件ですが、如何しましょうか?」って感じで聞いているが、「君、それ、さっきも指示したよね」的な雰囲気でやりとりしているように見える。

なんじゃここは、お代官様か?と、心の中でツッコミを一発!

でも、まだ電話は鳴りっぱなし。かける方にも意地があるんでしょうね。意固地なくらい電話を切らない。

アマゾンの奥地ではないが、ここでも発見!

出てあげないのかい?と、こっちが心配になって他の職員を見渡すと、出た!マスクマンを2人発見!ここにもいやがったか。やはり目立つ。自己主張がバンバンきます。どうしてもマスクマンに目がいってしまう。

一人のマスクマンは、マスクをしたまま他の電話に出て話している。漏れ聞こえる話のやりとりを聞いていると、軽くにやけて話している事も含めてニアンス的には業務連絡ぽい。なら、マスク取って話した方が喋りやすくないのかい?

もう一人のマスクマンは、私たち客側を向いて一番奥で同僚と笑顔を見せながら談笑している。マスクで口元が見えないかと油断して笑っているのだろうか?

あのね… 馬鹿笑いする場所でもないし、私も含めて金融窓口で7〜8人が長い事待たされているんです。それに郵便窓口にも5、6人並んでいるじゃないですか。笑ってる顔を見せられて、こっちは楽しくないし、より一層苛立ちが増えますが。それに電話鳴ってるよ!まだ!

元お国の事業と、当たり前に会員施行が入る互助会と意識が同じか?

見渡すと少なくとも3〜4人は手が空いているように見える。この方々もカウンターの奥から見て、窓口が混んでいる。お客様をお待たせしているのでは?なんて事に全く興味を示していない。

古い話ですが、郵政公社の時代そのままだ。お国の業務の時代と何ら変わっていない。むしろ、市役所の方が若干進んでいて業務について市民サービスを職員が考え取り組んできているようにも思える。

「殿!窓口が混んでおりますが、いかがいたしましょう」
「殿!判例が出てから、解約が増えておりますが、いかがいたしましょう」

「たわけ! お前は、保険(売上)成績が上がっていないじゃないか。それに今月の預貯金
 (会員入会)目標にも届いておらん。そんな者が他の業務に口出しする事は許さん!」

「御意」

「殿! 電話が鳴っておりますが、大口預金先の金持様からかも知れませんが出なくて
  よろしいのでしょうか」
「殿! 解約の電話が鳴っておりますが、判例後の企業イメージもありますし、出なくて
  よろしいのでしょうか」

「私たちは年賀状の配達(資金保全・破綻互助会の吸収合併)を控えたこの忙しい時期でも、
 幕府から絶大な信頼(交流)を得ているからこそ、自分番号の配達(互助会事業の遂行)を
 依頼されておるのじゃ。用があれば、その者が出向いてくれば良いだけじゃ」

そんな事を想像しながら待っていると、ようやく、先の方の依頼が済み私が呼ばれたのですが、今時点で30分を少し過ぎている。う〜〜〜、まだいける。あそこを近道すれば時間も短縮できるだろう。ま、多少の余裕も見ての時間だからダイジョウブ。

互助会だけでなく、自分たちの業界では当たり前に思っている事が、世間の感覚からはズレている事もあるのですが、なかなかこれに気付かないのです。一番の根本は、葬儀社の値段は葬儀社が決めた物であって、社会の流通の中で構成し、熟成されてきたものではないという事を、ほったらかしにしている時点からすでにズレています。

どうすればお客様のためにという事を、創意工夫はしないのか?

窓口に支払い票を渡して、財布から出しておいた丁度の金額を渡す。「少々、お待ち下さい」って、大々待っているんですけどと一人ツッコミを心でかましながら余裕を持っていたのが大きな間違いでした。

これが、待てど暮らせど処理が終わらない。そんなに難しい処理なのか?銀行ならいらっしゃいませ〜から3分で終わっているぞ。ようやく手続きが終わって郵便局を出たのが40分前。
なんとか仕事には間に合ったが、職員の意識と郵便局にもいたマスクマンについて改めて考えてみた。

ちなみに電話は、私が窓口に処理を依頼するまで、何度も掛け直してきてた様子で鳴って
ました… いつまでたっても繋がらない解約窓口の電話のように…

やはり、作業を素早く処理する工夫は必要だと思います。郵便局に求めるのは、笑顔でもないし、世間話でもないし、依頼した事を素早く爽やかに処理してくれればいいだけです。

葬儀の場合では、一番は納得ではないかと思うのです。施行の内容について納得した。葬儀金額とその内容について納得した。担当者の対応に納得した。対価に対する全てのサービスに納得した。などなど、電話対応から始まる葬儀社の全ての言動に対する納得がなければ、次のステップである感動への橋渡しはできないと思うのです。

言わない事の恐怖

事前相談に来られた方と話す時、実際に見積りを行っている時に、発言も控えめなおとなしい感じの印象を持つ方でも、その実、鋭い観察力であなたの良否を感じ取り、それが結局、相談からつながる葬儀の依頼を選択してくれない原因になったりする。

葬儀においては、クレームとして声に出ない程度の不満を抱えたまま進行し、そのまま終わればまだしも、他の要因がプラスされると大きなクレームになってしまう事を理解していただきたいと思っているのです。

常々申し上げていますが、声に出ないクレームを抱えた心理状態のまま葬儀を終えて、あなたが喪家宅へ後飾りに伺い、設置、説明を終えた時も、翌日以降の精算を無事済ませた時も
喪家は「お世話になり、ありがとう」と言ってくださいます。感動を心にお持ちの方でも「お世話になり、ありがとう」と言ってくださいます。

担当者は会社に戻り、上司から「どうだった?」と聞かれ、「はい、ありがとうと言っていただきましたので、問題ないと思います」と答える。この自分の行動による相手の気持ちを分からないのと、感謝はあれど感動はない状態を仮に「マスクマン施行」と名付けます。

例えば、ここから先に互助会なら会員への営業がありますし、一般の葬儀社なら再度の施行を依頼していただく、また、友人知人を紹介していただく、そのための結びの行動が求められるのですが、マスクマン施行では絶対に先はないのです。

評価を勘違いする人

葬儀に従事する皆さんは、依頼された喪家から見るとどのように見えるのでしょうか。まず、普通にご自宅へ上がり込めます。全く、警戒心もなく、どうぞと上げてくれます。あなたの話す事、指示する事について「ハイハイ」と進んで行ってくれます。

例えば、故人に対して一膳のご飯を炊いていただけますか?と、お願いすれば何の疑いもなく行動されます。その他のお願いでも、故人に対して必要ならばと、疑いもなく行動されます。

だから担当者として勘違いするのかもしれませんが、葬儀施行における一連の流れの中で小さな不満が発生しては時間とともに収まって(忘れて)いく事もあります。その小さな不満でも、たまたまその方の地雷に触れてしまうか、ご機嫌、体調が悪い時に我慢できない状況があるとクレームとして口から出てしまう事もあります。

不満が時間とともに忘れ去られていくと、喪家は社交辞令として、また長時間ご苦労様の気持ちもありますから、最終的には「お世話になり、ありがとう」との言葉を贈ってくださいます。しかし、喪家の心の叫びや、その気持ちから出た言葉の意味をきちんと読み取れないのです。

B級担当者は、言葉や態度で示されないとクレームと気がつかない。A級担当者は、その前に気が付くが、自分の言動により相手に与えている心証をコントロールできていない。

一流の担当者は、いないと思っています。

一流かどうかは周りが評価するものであって、積み重ねた結果が示すものであります。毎回、勉強ですし、探究するしかないと思います。謙虚である事が一流の資格ではないかと思っています。常にポジティブに努力を惜しまず自分に厳しい。一流とはそんな方ではないでしょうか。

喪家の中にはあなたよりはるかにスキルの高い方もいます。あなたより社会に貢献し、あなたより報酬を得ている方も沢山います。社会的信用度はトップ級の方でも、あなたの言う事をおとなしく聞いてくれます。

でも、そんな人ほど見てますよ。あなたを。

で、そんな意識を常々持って仕事に携わっていただきたいと思い、こんな事例で申し訳ないのですが、今回、消費者目線から仕事をしている人がどのように見えるのか、ナイスタイミングで起きた事例があったので追加しました。

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