弘法大師 空海が好きなんですが、えれい事になっとるみたいですな

胎蔵界曼荼羅
胎蔵界曼荼羅

1,200年以上前のスーパーマン、空海

小学校時代ですかね、天台宗・最澄と真言宗・空海の名前を初めて聞いたのは。それから宗教、仏教など気にしない社会人生活を過ごしていましたが、葬儀の仕事を始めてから多くの宗派を知るようになって、改めて空海という人物に探究心が湧きました。

真言宗総本山のお膝元でも葬儀を担当する事もあり(余談ですが、ここでは導師が読経の終わりに自ら「出棺」と言って退座します)、また、恩師が総本山にあるお墓に埋葬された事もあり、真言宗そのものをひいき目に見るようになりました。

お寺さんの所作もキリッとしたイメージを持ってましたし、お経もカッコいい響きを感じますし、真言宗でよく登場する「不動明王」なんか、すごく厳しそうながらかなりのパワーを感じる存在に思っていました。

そんな時、映画『空海』を見て、実際の空海を見たことはないのですが、北大路欣也さんが
まるで生き写しのように見える演じっぷりに感動を覚えました。

当時の木の船で、命をかけて中国へ渡り仏教を学び、密教の第七祖である唐長安青龍寺の恵果和尚を訪ね、大日如来と結縁を結ぶ。このシーンで恵果和尚が「待っていたぞ」と言うところがあるのですが、脚色されていてもそれがとてつもなく重みを感じるところでした。

字は上手い。水を出したりできる。車もない時代に霊地霊山をめぐり日本全国を行脚する。堤防を作ったり、温泉を掘り出したりと大活躍です。史実、伝説も含めてスーパースターですし、現代でこんな方なかなか出てこないですよね。

高野山真言宗の八事山興正寺(やごとさんこうしょうじ)

高野山奥の院の霊廟において、現在も禅定を続けているお大師さんもびっくりの事態が名古屋で起きている。詳しい経緯は地元の弁護団がまとめているのでご参照ください。

八事興正寺特集ページ」 鶴舞法律事務所より引用

事の起こりは二十代目に当たる前住職が、僧侶見習いに葬儀を担当させたり、平成大改修と称して由緒ある社や境内を打ち壊す事を行ってきたり、納骨堂永代供養を墓地問題を所轄する名古屋市の許可なく募集して市民から資金集めを始めたりもしていたとの事。

2015年11月24日の朝日新聞デジタルによる記事では、

騒動の発端は2012年。興正寺が総本山の承認なく土地を売り、売却額の3%を礼録として納めなかった。罷免された前住職側は「多額の礼録を要求され檀信徒に負担を強いるのは本意でない」として総本山との関係解消を宣言した。

とありますが、現在は、住職罷免処分を受け代表役員としての地位を失っている前住職が、総本山より任命された新住職の入山を許さず、仕方がなく興正寺の正面の寺所有地に新たにプレハブの本山を建設し、興正寺が二つ存在する事態に。地元の方、檀家一堂も困惑の状態が起こっている。

名古屋では名刹と言われる歴史あるお寺なんですが、このような内輪の揉め事で世間に名を
馳せると、より一層の宗教離れを巻き起こしそうです。Amazonでの僧侶紹介シシステムに、全日本仏教会の理事長が的外れな文句を言ってみたりと、どうも仏教会の諸先生方は、自分たちの立っている場所を理解せず、見ている方向性が間違っているように思うのです。

寺を維持する難しさ

確かに本山運営の難しさ、地域の寺の運営上の死活問題もあるとは思います。言い方は悪いですが、儲かる寺の住職はホクホクで、その資金管理を本山には渡したくない。儲からないが、由緒ある寺の住職は本山に頼らないと維持できない。補填の費用を出したくない儲かっている寺は自分たちのためにしか使いたくない訳です。

本来、寺の宗教法人としての資金は税制も財産維持も優遇されていますし、檀家総代や檀家
責任者などが管理し、税理士、会計士などのチェックを経て公正に運用されなければならない性質のものですが、どうも個人資産と勘違いしている輩が多いのでしょう。

最近もありましたが、高齢の住職のお世話係だと、女人禁制の歴史のある古刹の寺に女性が
出入りするようになり、文化財維持のために公金も投入されている寺の宗教法人の資金を個人的に使用し、寺の修復費用を修理のためには使わず、寺の所有地に住職の世話のためだと言いつつ住宅を新築し、ネットショッピングで宝石などを購入していた事件も同質です。

組織が崩壊している

元々、総本山以外の地区支部の存在であった別格本山や、御坊と呼ばれる寺院はその傘下に小さなお寺を抱えていました。縦のつながりが厳しく、本山からの意志決定事項は地区支部の寺院へ伝わり、傘下の寺へと伝達されます。

檀家の葬儀、法要などの浄財(資金)の一部は逆の流れで総本山へも収めるという、きちんとしたピラミッド型の組織になっていたのです。それが、地区の別格本山・御坊から傘下の寺が独立をし、直接本山とつながる組織になってからはその由緒ある寺院の維持管理に四苦八苦するようになります。

そりゃ、檀家の法事、葬儀などは傘下の寺が入っていたのですから、組織的に独立した際に全て持って行かれてしまい、支部の幹部寺院は一気に檀家がいなくなる状態です。御坊や別格本山にお願いしていると思っている檀家は、知らずの内に子寺の檀家になります。資金的には子寺からの浄財は幹部寺院を介さず直接本山へ行ってしまう。営業的には営業圏内に同じ宗派の寺が乱立している状態が起きたのです。

みんな自分が可愛いのです

自分たちは開祖の教えを守っている選ばれし人間だ。その遺産、施設を身を削って維持管理しているのは地元に貢献している私たちだ。私たちがいるから、この教え、文化財は存続している。

そして、その文化財により地域の観光利益にも貢献し、それが強いては市町村の財源を潤している。そんな貴重な職務を行っている私たちの管理する宗教法人の資産は、私たち、いや檀家・市民皆のものだと言いつつ、自分たちの財産と勘違いしている。

てな事を内輪でやっているように見えるのです。

有名な寺社仏閣は市町村の観光資源でありますし、法事や葬儀でなく観光による収入で運営を心配する事もないでしょう。信者、参拝者による経済波及効果は大きく、その存在が市の財政を左右するだけに、市に対する発言力も大きくなってきます。また、市長もその動向、顔色を伺う必要もあるでしょう。

このような関係が一般の宗教観を失わせていく要因だと思います。「白けてしまう」そんな感じでしょうか。政治に関心を持たない若者の意識と同じく、生死に関する意義、心の拠り所としての先人の教えを指針として自分の幸せの実現のために活用する。その「ことば」を正しく伝える使命を忘れて俗化しているのが今の宗教界です。

坊さんって貧乏なイメージがあったんですが

その道を極めるために己を突き詰める。己に厳しく、悟りを求めるその姿勢に人々は尊敬を抱き、その言葉に心を満たされる。一心不乱に進むその姿に人々は貴重な存在として支援(布施)をする。その人、その言葉、その存在を守りたいがために…

粗食を良しとし、贅を好まない。そんな生活の中で裕福に過ごせる訳が無いし、また必要としない。「崇高」という言葉が薄れている世界。崇高を偉い、社会的地位が高い、裕福であると勘違いしているように思える組織や人間性が、仏教を、宗教をどこか遠い存在にしています。
そんなところから声を上げても誰にも聞こえる訳がない。

弘法大師空海はもっと身近で存在していたように私は思います。

しかも、ベンツなど乗っていませんでしたし…

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