公益社さん、阿波弥さん、老舗葬儀社としてもう一度、業界のイニシアティブを取って下さい

黒服軍団のイラスト
黒服軍団のイラスト

昔から仕事のできる葬儀社、経験上の主観です

私が最初に入社した葬儀屋さんは小さなところでして、月間に自分が担当する件数がとても少ないのが悩みでした。

仏式は毎度あるのですが、神道の葬儀を担当することも少ない。関西でポピュラーな天理教の葬儀もほとんど無い。会社全体でも仏式以外の葬儀を施行するのは1年のうちに10件あるかないかなので、自分が担当するのは本当に少なく経験を積むのに苦労しました。

キリスト系の葬儀なんか受注したら大騒ぎですし、社葬なんて間違って受けてしまったらどうすればいいの?ってなります。

当時、葬儀会館はあまりない時代で、自宅、お寺でするか、集会所あたりが定番でしたから、個人葬の会葬者が30人くらいから300人くらいまでの葬儀をこなすのが精一杯でした。

大阪の互助会系では大阪祭典が仕事量でトップクラスでしたから、1年も勤務していれば、ある程度の宗派をこなす事ができ、経験と知識も増え、技術面では一人前になる事は早かったですね。祭典上がりといえば、なんか仕事できる雰囲気を業界は持っていましたから。

一般の葬儀社では、やはり公益社でした。社葬はトップクラスの施行件数を誇っていました。公益社の千里会館で葬儀をする。といえば、「ほ〜ぉ」って感じのブランドイメージがありましたし、社員の方のイメージも「シャッ」としている雰囲気で、会社!って感じです。

老舗で揺るぎないポジションにいたのは阿波弥です。社の歴史が古い上に由緒ある伝統がありますから大阪市内の有名寺院とも付き合いが長い。古くから大阪商人の町で創業していましたから、顧客がすごい。平たく言えば、ええ葬式ばっかりしてはったんです。

そんな厳しい環境で社員も揉まれますし、儀礼も知り得る、触れる事ができる環境です。
奠湯奠茶(てんとう、てんちゃ)なんて作法、このあたりでしかやってなかったですし。

現在の葬儀屋スタイルを作った先達

屋号に駕籠(かご)の “駕” とか、水売りに関わる “水” が付く、葬具貸出し業や人夫出しを始まりとする、古くからの葬儀屋さんが大阪には結構多くて、老舗ならではの経験と言いますか、それぞれの店に昔から伝わるしきたりもあり独特の文化を歩んでいました。

大名行列人夫出し→葬列の人夫出し→現在は祭事などでの行列(奴振り)に関わってきた、阿波弥、熊田屋、駕友、平久などが現在の葬儀屋さんのスタイルの始まりとも言えますが、当時の屋号のまま現存するのは阿波弥だけではないでしょうか。

(私が葬儀の仕事を始めた昭和の後半時代では、熊田屋、平久共に名前を聞かなかったのと、駕友という屋号はあったが、別の葬儀屋で、当時の駕友とは無関係と記憶している)

駕友は、後の公益社初代社長と関わりの深い葬儀屋のはずで、平久は、その駕友からのれん分けを受けた葬儀屋さんのはず。熊田屋は阿波弥の身内のはずです。

私が生まれるはるか昔の歴史なんで実際に見聞した事ではないのと、歴史について話しているのは阿波弥ぐらいでなんで、瓦版みたいな内容を書いてすみません。

大阪「NOREN」百年会

大阪の北御堂(浄土真宗本願寺派津村別院)・南御堂(真宗大谷派難波別院)で社葬を行う場合、ここで葬儀を行えるのは阿波弥と確か公益社だけだった記憶があるのですが、これも歴史のなせる技です。

経験不足を補うため、先達に学ぶ

下町の小さな葬儀屋で働く私にすれば、不謹慎かもしれませんが、同じ時間を過ごしていながら、どんどんといろんな事を吸収していける環境に羨ましい気持ちを持っていました。

どうすれば覚えられるのか?というのを一所懸命に考えました。で、「自社で施行ができないなら、見に行こう」って事で、葬儀の看板を見つけては参列し、式の流れを見て覚え、進行される方の喋りを録音して文章に起こしてよく真似をしていました。

この時の経験が後々役に立つのですが、例えば、社葬などに参列すると当然一般参列者ですから、パイプ椅子に案内され、隣同士に隙間なく並べられたその鉄製の冷たいパイプ椅子に長時間座るわけです。

椅子を詰めて並べるのは、参列者の見込み数を考えて式場のキャパを有効に使う為の葬儀社のレイアウトなんですが、これが人に優しくない。

長時間なんで、トイレに立つこともあるのですが、横に10列一直線に並んで、前後もきゅうきゅうに並べている真中の席から「ちょっとスンマセン」と行く勇気はない。また、戻らないといけないからと考えてしまうとなおさらです。体の大きい方なら、隣同士の肘も当たるから縮こまる。その姿勢を2時間はきつい。

そんな経験が、自分の担当時に優しさを考える配慮につながりました。前後は人が通れる幅を考える。椅子は3席ないし、5席ごとに通路を空ける。椅子同士をあまり引っ付けないなど当たり前の事ですが、当時はそんな事を大事にする雰囲気はなかったですね。

わからない事を、わからないと言える自信を

経験した事しかわからない。という至極単純な事を大切にしてきましたから、ならば経験するしかない訳で、あっちこっちに首を突っ込んではと、その経験が肥やしになった事は間違いなかったです。

礼儀などというものは、自分の経験上で身に付けたものしか得れない訳で、それも厳しい環境でないと身に染みないと思うのです。それを積み重ねたものしか相手には伝わらないし、その人の言動に現れるものです。

先ほどの当時、仕事ができる葬儀屋さんのイメージも、これらに参列する事や現場を見に行く事で感じたものです。

テントに吊っている電球がブラブラしていたり、暗かったり、地面を這わせている配線が
どう見ても「足引っかかるやろ、それ!」ってのを、全く気にしていないなど、同じ仕事をしていれば気づくものです。

名木がゆがんでいて真っ直ぐに立っていない。何で? 誰がチェックしているのって思いますが喪家は気づきませんし、あまり気にしてはいないと思います。が、小さなほころびを見逃す社風は仕事も雑だと思いますし、気遣いもユルいんでしょうねとなります。かと言って、技術にこだわるあまり自己中になっての満足も葬儀屋としてはマイナスです。

謙虚に仕事に取り組む気持ち

私は、葬儀屋さんに求められるのは、 ”気づき” だと常々思っています。何か違和感を感じる空気感と言いますか、その匂いというか、色というか、それらの不調和を感じた時に事情や背景があると思うのです。それがどこから発生しているのかを感じないと信頼を得る事は無理だと考えます。

距離感を計れない人は、人の心を掴む事も出来ないでしょうし、言葉に力がない。必要な事を、必要なタイミングで伝えられない事に繋がると思うのです。

自分が発した言葉によって、喪家の進む先が変わる事も多いにあります。知らない事を聞かれても、その場で答えないといけない状況にもあります。だからと言って嘘で乗り切るよりは、一旦、預かって調べる、専門家に教えを請うなど、自分に謙虚である事も気づきだと思います。

喪主の前に座って、葬儀の話をしている葬儀屋さんは皆プロとみなされます。入社後3か月ほどで見積り現場に出すところはあまりないと思いますが、こんな経験の方が座っていても喪家から見ればプロです。

だからなんでも聞いてきます。間違った事を返事しても、「そうなんだ」と、プロの葬儀屋さんが言うことだからと思って納得されます。よほどのスキルを持った方以外、疑問を持っても口にせず進んでしまいます。

そんな責任を持つ仕事観は大切だと思いますし、常に自己スキルの向上を目指す事も、今後担当する事になる喪家のためにも必要でしょうし、その経験を、今担当している喪家に積ませていただいているとの謙虚さも持ち合わせていただければと願います。

老舗葬儀屋に求められるもの

過去に仕事ができていた葬儀屋さんが、今もその社風を大切にして社員教育に取り組んで
いらっしゃると思いますが、その中から時代を担う先見性を持った方がたくさん出てこられる事を期待しております。

我々は、やはり葬儀屋ですから、きちんと葬儀・儀礼を行う、提供する責務があると思うのです。宗教儀礼の一環として見られる事から、その経済活動は、法律の庇護を受けている部分もあります。

これまで受け継がれてきた葬儀の文化があるからこそ、それを商売として活動できている背景はありますから、その文化を次の世代に伝えていかなければいけないと思うのです。なので、金儲けのためだけに儀礼をぶっ飛ばすなんてフィルターを通して、文化を歪めてはいけないと考えます。

互助会系は身内・同族による経営の色合いが強く、暴走した場合に誰も止めることができない環境です。ワンマンであり、強烈な個性と事業収益における先見性を持つ代表者が多いのですが、この先、これまでの収益をどこへ流し込むのか? 二代目、三代目のキャラに可能性をかけるしかないのですが、あまり公的な方向性は期待できないと思うのです。

土壌が大事だと思う事

老舗として現在の葬儀社のスタイルを作った阿波弥。そしてこれも老舗の東証1部上場企業グループの公益社の各代表者、時代を担う後継者、また働く方々の中から今後の葬儀業界の先達となるオピニンリーダーが生まれる事を期待しております。

阿波弥の創業268年と言われる歴史と、その歴代の後継者であるご先祖への気持ちが経営者へのチェック機能になると思います。そうでなければ、時代の変革に対応し、繁栄を続けながら9代も受け継ぐ事は余程の資質と戒めがなければ無理な話です。

上場企業である公益社は、株主・投資家に対する経営責任をチェック機構とて活用し、老舗の歴史を根底に残しながら新しい形で葬儀文化を現代に問う事をできる会社だと思いますし、方向性を間違わないでほしいと願うのです。

「経営を間違って潰した」では済まない歴史と業界に対する影響力が公益社にはあるのです。

本物だけが持つ魅力を活かして欲しい

古くから続く葬儀社の屋号に “駕” 、”水” が付くと言いました。しかし、老舗の商売を真似て、しかも名前ももじってくるのは今に始まった訳ではありません。その ”信頼” 、 ”信用” を借りて自分の商いに利用する者は後を絶ちません。

老舗の厳しさを学び、儀礼を重んじ、礼儀作法を身につけた者ならば葬儀の文化を守ろうと努力してくれるでしょう。でも、残念ながら屋号を真似る者にその意気はありません。

 ”駕◯” 、 “◯駕” もしかり、公益社も事業の発展とともに、全国各地に “◯◯公益社” と名乗るところが溢れかえりました。これらの中に葬儀の文化を守ろう、後世に伝えようなんて真摯に考えている者がどれだけいるのでしょうか。

NPO法人、一般社団法人が流行れば、あっちこっちに真似る者が乗っかってくる。家族葬が流行ればまた同じように屋号を真似る。ネットでの葬儀紹介事業が流行れば、また真似る。直葬が儲かると匂いを嗅げば、ハイエナのごとく集まってくる。こんな商売人がポリシーを持っているとは到底思えない。

公共的な事業観を持って業界の適正化の範となれる、それを実現できる土壌が老舗の看板にはあると思っております。いい土にしか、いいモノは育たないと思うのです。

公益社の場合、資金的にも互助会に対抗出来る環境ですし、他の葬儀社さんは直葬販売業者に脅かされ、自社の施行を守るのに余裕がない状況ですから、なんとか現状の社員さんたちに頑張っていただいて素晴らしいリーダーを輩出していただければと祈念いたします。

ただし、土は毎年使っていると痩せてきます。もう一つ同じ容量の土壌という余裕を持っていないと、栄養分を使い切ってしまいます。

そうなってしまってから早急に立て直そうと、エゴ、欲、自己保身という化学肥料を使ってしまうと、二度と豊かな土にはならず、貧素な土壌となります事はご存知だと思いますが、大企業に対し、大変失礼ながらも老婆心で申し上げてしまいました事をお許しください。

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コメント

  1. satomi より:

    はじめまして。
    いつも 読ませていただいております。
    葬儀の仕事をさていただいてまだ間もないので、三日坊主さんのブログの内容は
    とても興味深く、またとても分かりやすい文章で、まだまだ未熟な私にも理解でき、勉強になります。
    これからも 楽しみに読ませていただきます。

    • 三日坊主 より:

      メッセージありがとうございます。
      葬儀の仕事をされているとの事ですが、経験が浅くとも、長くとも、志が一番のスキルだと思います。
      これからの皆さんが活躍できる環境が生まれればと願って拙いブログを書いております。
      また、気になったら読んでやってください。

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