神戸でその筋の方の葬儀があったそうですが、こんな時に使う生花札アレコレ話です

神戸の夜景
神戸の夜景

三日坊主は、暴対法の施工前に何度かこの業界の方の葬儀に遭遇する場面がありました。当時では生花札(芳名板)の素材や文字にもこだわってましたが、最近では葬儀屋さんも担当する機会が減ったので、どんな生花札で名前を上げているのかと興味がわきまして…

葬儀屋さんもホンモノが必要でした

長い葬儀経験がありながらも ありがたい事に 見積もり担当者になる事はなく、主にサブとして関わるケースばかりだったのですが、いつも現場には何とも言えない緊張感が張り詰めていました。特に名前を大切にする業界なので、その上げ方にもこだわりがあります。生花札の順序はもちろんの事ですが、その素材にも、当時はかなりこだわっていました。

現在は、お供えをする方の名前を上げる献上物(生花・樒・盛りカゴ等)と言われる物には、パソコンで名前を入力して木目調の紙にプリントアウトするのがほとんどですが、そのシステムが導入される前までは、その紙に筆で直接書いていました。

ほとんどはこれで済ませるのですが、もう少し前の時代や、葬儀の規模によっては重厚感を求められるケースがあり、名札の素材や文字によって値打ちという付加価値が存在していました。なので、木製の札を使う事もありましたし、当時の生花のスタッフは習字教室に通う者もいたぐらいです。

現在と違い、それだけ仕事には相当のこだわりとスキルが必要だったのです。
でないと、より一層怖い思いをしないといけないので…

本気の生花札と、それが出来上がる過程

本気の生花札は生の木で、一回書くたびにカンナで削り使用します。この生花札を作る材料は、葬儀式場の入り口に上げる「故 三日坊主 告別式々場」等と書いて立てかける名木のお下がりです。名木はヒノキの無垢板を使用するのですが、何度も使っていると板が薄くなり、値打ちがなくなるので生花札用に卸すため大きさを揃えてカットします。

で、この名木も葬儀の大きさ(価格)により使い分けておりまして、長さも、古い家の時代には門の屋根にかかるようにと3m〜3.6mはあり、横幅も45cm〜60cm、そして、その厚みは4.5cm〜6cmほどある物を使います。寺葬や社葬などの場合は、荘厳さを演出するために高さ・幅・厚みも製材屋さんで手に入る最大の物を発注します。当然、かなり高価なものです。

この板に故人の名前を書いて立てかけるのですが、長い名前の方もあれば、短い方もある。社葬の場合、社名や肩書きも入るので文字のバランスを取るのが難しいのです。木板全体をパッと見て仕上がりをイメージをし、墨とネオカラーを混ぜたものに筆をなじませながら神経を集中して書き上げます。

歌舞伎の名札のごとく、どっしりとした字で書かれた故人名は威厳を放ちます。これに板の大きさや厚みが加わって「値打ち」になるのですが、何度も使っていると削るたびに薄くなってくるので、社葬用から個人葬用(これにもランクあり)に用途が変わります。最終的には、通夜と葬儀の日時を書く高さ60cmくらいの「時間板」になり、そして生花札になります。

生花札にも値打ちを求めてました

で、社葬や業界の方の葬儀でよく用いられたのです。一度、その札を見たり、使用したりして存在を知ると、「◯◯とこでは使って、ワシとこではでけへんのかい!」とお叱りを受けてしまい、やむなく用意する事になります。

値打ちが全てなんです。存在に値打ちがあるかどうかです。ヒット商品を生み出す会社と同じく、ロゴやシンボルカラーも当然あり、名前でモノを売っている部分もありますので、芳名を「ドーン」と行かないとあかんのです。

一回しか使わない。(実際は何度か使いますが…)そんな値打ちにお金を払ってもらうのです。なので、仕上がりも期待通りにしないといけない。迫力のある、味のある文字で書かれた生花札が、高さも揃ってきれいに並んでいるとそれだけで儀式に重厚さが加わります。

やり直しのできない儀式

当時、業界の方の葬儀に関わるのは大変でしたが、みなさんの言動を見てて、厳しさというか、真剣にっていうのは言葉だけじゃないんだ、本当に命懸けで物事をやり遂げるっていうのは、針の先ほどのように神経を尖らせて、周到な準備と修練が必要なんだと感じさせていただいたところは、知らない世界を見て初めて学んだことでした。

やり直しができない。失敗できない。文字一つ書くのにも、状況によってはまさに命懸けと言える中で行うなんて経験はないですもんね。現在も厳しさはあるとは思いますが、やり直しができる仕事環境が多いので緊張感も薄れ、結果、葬儀の儀式そのものが軽薄になってしまったのかもしれないと感じます。

生花札の移り変わりを見ても、利便性を追求し、専門性を排除してしまった結果が葬儀屋さんの気質や葬儀に対する姿勢をも変えてしまったのかもしれません。職人気質では通用しないけど、一つ一つの物事にこだわりを捨ててしまったら葬儀屋の存在価値はないですよね。

葬儀を、葬儀屋さんが大切にしてほしいと思います

私は、無から有を作り出すのが葬儀の仕事と思ってきました。何もないところに幕を張って、祭壇を組み、香華を備え、仏さま(ご本尊)の世界観を作り出す。そして、そこへ故人を安置し儀式を行う。

通夜の始まりから出棺までの間の進行をサポートするにしても、自分の立ち位置や配慮に神経を尖らせてするものだと考えさせられてきました。常に頭のはるか高いところには、それを見守る大きなエネルギーがあるんじゃないかとの意識もありました。(別に行儀のいい人ではないですよ、私は。ただ、仕事の場ではこの意識にさせられる環境にあったと言う事です)

手書きで何かをする事も減りましたけど、葬儀に携わる方は、せっかくなんで自分を高めるためにも身につけておくべきだと思います。香典袋やお布施袋ひとつ書けない葬儀屋さんが、香典や葬儀のマナーなんて事に関するうんちくを話したり、お寺さんの問題に言及したりするのはあまりにも滑稽に感じます。

生花札が簡単になってしまったように、葬儀も簡単にしているのは、結局は葬儀屋なんですが、その環境に流されていては簡単な仕事しかできなくなっちゃいます。不要の要との言葉がありますが、葬儀においては、不要の幅が多いほど自分の引き出しが多く、いい仕事ができるんじゃないかと思います。

そんな努力をする人が増えたら、直葬なんて売りにしなくなると感じるのですけどネ。

シェアする

トップへ戻る