市町村の規格葬儀を見直すべきでは

葬儀ってなんだろう

このブログを始めて、様々な葬儀に関するブログも見るようにもなりました。 ネット上での「死」や「葬儀」に関するニュース、記事にもより一層敏感になりました。その中で改めて「死」を、私や皆さんがどのように思っているのかを書いています。

今、業界がどのように動いているのか、また「死」や「葬儀」についての葬儀業者や葬儀関連業者、社会的影響力が強い著名な方などの考え、行動を見るたびに、その背景にはどのような思いがあるのかを計るのですが、どうも「死をビジネス」としてしか見ていないとしか感じられないのは私だけでしょうか。むしろ「死」に群がっていると表現したほうが正確かもです。

葬儀業界に群がる思惑

葬儀社(もちろん私も含めてですが)や、その業界に関連する会社には様々な思惑があるとは思います。大まかに関連する業者としては、

  • 葬儀社
  • 互助会
  • NPO法人
  • 一般社団法人
  • 葬儀紹介業者
  • 葬儀無料相談といいつつ、関連する業者が構成するサイト
  • お寺さんが既存の葬儀社についての不満から始めたが、既存と同じ事をする葬儀社
  • コメンテーター
  • 評論家っぽい人
  • これらの情報を元にブログを書く人
  • 死をテーマに書籍などを出版する人
  • マスメディアで葬儀や死について発言する人
  • 葬儀業界の悪口を言ってる葬儀業界の人
  • 直葬マンションのようなものを運営する人
  • 終活アドバイザー

まだまだたくさんありますが、これらが葬儀に関連する仕事で利益を上げている方々です。

葬儀社も含め、事業としては年々成長しなければなりません。葬儀社はより多くの施行を誘致獲得し、売上を伸ばす。当たり前の事なんですが、そこで働き、収入を得て生活を維持する。年々収入も上がっていかないと生活も向上しない。そのためには会社(事業)が成長する事が前提ですよね。

関連業者の方が儲かりまっせ

昔からそうなんですが、葬儀社に群がる、関連する業界の方が安易にビジネスにつながりやすいのです。過去には、棺を販売する業者、幕や祭壇その他の装具を納品する業者がそうでした。葬儀社でみると、お父さんが社長で奥さんが電話番。息子が仕事を手伝いながら、娘が花札や樒の字を書く。こんなところ、山ほどありました。むしろ、法人化している方が少なかったのです。

一年365日休みなく働く。確かに一件あたりの売上は大きく、月に5件も葬儀をすれば親子が十分に生活できるだけの収入もありました。

しかし、関連する業者は、大きく法人化し、週休二日制の休みと有給休暇もある。給料以外に年に数度、賞与が支給される。仕事の時間は遅くともその日の内には終わる。夜中に走る必要もない。そんな風にすぐに成長したのが関連業者です。

「社長、お世話になっております」と頭を下げても、収入を労働時間で割って比較した時、社長より時間給は上の人も多かったと思います。

でも、まだ可愛かったです。なぜかというと、死に対する尊厳を持っていましたし、葬送儀礼に口を挟まなかったからです。葬儀社の苦労を理解し、何か売上を伸ばす商品を開発できないかとの気持ちも若干ではありますが、ありました。

でも、今の関連する業者は、そんな気持ちは全くないと感じてしまうのです。既存のこれまでの努力を重ねてきた業者を、極端に言えば「仮想敵国」並みに想定して位置付けし、その行動、その商法に対して否定的な言動を行う事で自己の商売に消費者の意識を向けさせる。そして、タチが悪いのは最終的に、その否定する業者を利用する事です。

死を起業する

一番わかりやすいのは、葬儀をネットで紹介する業者でしょう。葬儀をネットで募集して業者に振る? こんな楽な仕事ないでしょ。現場での作業はしなくていいんでしょ?夜中に寝台車で迎えに行かなくていいんでしょ?

「適正な価格を求めて」って言葉は綺麗けど、めんどくさいことを省いて、新規に葬儀事業に進出する事は避けて、葬儀屋を手玉にとってやろう的な、隙間利益を追求したビジネスがネットの勢いに乗った、時代がよかっただけで、やっている事は死を商品としか考えてないと思います。理想とする葬儀に対する思いがあるのなら、その土俵で勝負すればいいと思うのです。

それらの業者も含めて、社会的発言力が高い位置にいる方が、死や葬儀を簡素化する事を肯定し、直葬、ゼロ葬などを推奨する発言について、その方達はいったい何を考えているのかと思ってしまうのです。

死に対する尊厳すらなく、儀式を簡略化していく。葬儀は複雑な、手間がかかる事をするとそれに比例して金額が上がっていく。それを、それらの業者を悪とする上で、低価格を売りに消費者を誘導する。業界を批判する。しかし、その全てはボランティアではない。自分の利益のために行動している上での発言です。

もちろん、意味もわからない、根拠もない金額の設定をしている業者もあるでしょう。
そんなとこは、消費者から見切りをつけて潰れていただければいいだけなんですが、以外としぶとい。

そんなにいい仕事でもなかったんですが

葬儀を取り扱う、生業とする者。これらは古くには人知れず葬儀を請け負い、作業を行ってきました。特別な装飾を売りにする訳でもなく、商売としての駆け引きもなく、人の嫌がる仕事、作業を静々と行ってきたもので、洒落た感じなんか全くありません。

人を埋めるための穴を掘ったり、人を火葬してみたり、普段ではありえない環境に身を置きその時間を費やします。もともと、誰もしたがらない仕事が葬儀です。

私も25年から30年くらい前には、村が維持管理をする墓地に併設された火葬炉で火葬を行った事があります。当時、市営火葬場に勤務していた方が内緒で、アルバイトとして火葬を請け負い、社長から委託されていたのですが、葬儀を終えてからの火葬ですし、最新の火葬炉ではないので3時間ほどかかります。夕方仕事を終えてからなので終了は20時とか21時になります。一人では寂しいからと、よく一緒に付き合いました。

こんな事を密かに行っていたのが葬儀です。現在みたいに、葬儀に関する事を出版されたり、ホームページ上で直葬や家族葬を大々的に売り出したり、終活カウンセラーを教育するための専門の会社を設立するなど、ま、考えられない時代でした。

業界を適正化するため

葬儀社を擁護する必要はないと思います。厳しくツッコミながら業界を育てる事は大事な事です。ダメな葬儀社も競争原理の中で淘汰されていくべきものと思います。

いいものを適正な価格で提供し、いい仕事、評価を積み上げていく事が最善の方法なのでしょうが、ネットが普及するにつれこれが難しいと感じております。

葬儀業界を取り巻く「関連業者」は、自己の都合のため死に対する尊厳をおざなりにするのではなく、いかに適正な価格で、葬送儀礼を行う事ができる仕組み、監査方法などを葬儀業界に突きつけ、業界は、自由競争の上に成り立つ消費者目線の適正なガイドラインを作成し、消費者に向けて情報を発信する努力を行うべきです。

価格競争の結果、葬送儀礼をおざなりにしていくのではなく、最低価格ラインであってもどなたでも儀礼を大切にした葬儀を行えるよう行政も努力するべきでしょう。日本の未来を担う、子供の将来を案じるならば教育の観点からも「死」についてきちんと学べる「葬育」の機会を大切にするべきです。

このガイドライン以上の葬儀をしたい方は、自由にお金をたくさん出してもらって、業者もそこで儲けてください。

規格葬儀を全国で統一するべきでは?

現在もありますが、市町村による「規格葬儀」をちっきりと見直し、市民、国民が安心して葬儀を行えるよう業界に対しての影響力を持つべきだと思います。市によっては環境衛生局みずからが葬儀を担当するところもあります。いわば、市の職員が葬儀を担当するのですが、これはやっつけ仕事なのでオススメできません。

私も何度か司会(進行係)として一緒に仕事をしたことがありますが、これはダメです。形式だけであって、遺族に対する気遣いなどまったくない。しかも、職員同士の先輩後輩の変な上下関係があって、先輩はほとんど何もしない。現場でその方達が競り合っているのを見て、「バッカじゃね」のと思ってました。

既存の葬儀社が、市町村の規格する葬儀を行う際の評価が世の中に広まる仕組みが必要です。統一された、葬儀を行うために必要な葬具を最低限用意する。ここに葬儀社も葬具などの関連業者も協力して積極的に参加する。

宗教界も高いお布施なんて求めないでお膳料とお車料程度で参加すれば、付き合いが始まるかもしれないし、行く末を見れば檀家になっていただける機会にもなります。

官民が一体となって最低限の葬儀を行う事に全てが協力する。行政も福祉で出せる金額を超えても、その規格葬儀に関しては親族がお金を出し合っても文句を言わない。そして、きっちりとした葬儀終了報告書を業者から提出させる。規格葬儀に積極的に取り組み、公正に運営するする事ができ、年間規定数以上の取り扱いをする業者には税的優遇を設ける。

その評価を基準に消費者が、自分の葬儀を任せられる業者を選ぶ。ミシュランのガイドブックではないですが、そんな風にある程度公式な評価が葬儀業界には必要だと思っています。

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