葬儀業界の体質は、未だに変わんないんじゃないかな

お札と小銭を交換する手
お札と小銭を交換する手

変わらないと思う根本的な行動パターン

前回、「やっぱ、東京と大阪はちがいまんなぁ」を書いている時にふっと思いました。異業種が参入して来やすい業界の体質ってなんやろかと。

私は、いくらハードが進化しても既存の葬儀社の組織運営に関する考え方、葬儀というビジネスに対する価値観が変わらないと思う点が、異業種から見ればスキだらけで乗り込みやすいと思えるのではないかと考えるのです。

老舗の葬儀社でも ”葬送儀礼を大切にしています” と強くメッセージを発信しながらも、イオンや小さな葬儀社の受注を良しとし、”代理店を受けています”なんて言ってこぞって世間にアピールしている。

この付き合いの関係性はわからないが、何十年、何百年の歴史より、ここ数年の流行には逆らえない。そんな姿勢に疑問を抱くのです。なぜ受身側になっているのかが。

紹介業社側が参入する際に、「葬送儀礼のしきたりも、大切にしないといけないポイントも教えていただきたいので、お付合いしていただけませんか」と言わしめる存在でなければダメだと思うのです。(もう遅いですけど)

葬儀社側を軽薄な存在と見て、あっという間にシステムを構築され、主導権を握られているのが現実ですし、施行誘致という喉の渇きを癒すためにニンジンをぶら下げられて、その登録業者になる事を競い合ってどうするんですかと言いたいのです。

葬儀業界に関する記事を書く方は、私も含めて、葬儀(終活)コンサルタント、葬儀評論家、葬儀関連書籍などを出版するライターなど、その方々の ”葬儀実務経験値” をよく批判、指摘されていますが、でも、その葬儀実務経験の少ない、業界人から言わせたら”2〜3年の経験値で何言ってんの”と評価される方々の方が、葬儀という商品を間違いなく動かしています。

葬儀社を利用する、消費者を誘導する事に関してはこの素人っぽい方が、歴史のある葬儀社のメンツより上回っているのは確実です。

昔からある葬儀業界の面々がなぜ卸元ではなく、販売店側になっているんですか?

葬儀紹介業社の原動力、すなわちガソリンとなっているのは、このような大小様々な葬儀社から野心を持って独立した直葬屋の面々で、せっせとその紹介業社の活動資金の元になる商行為にいそしんでいます。自分たちを育ててもらった葬儀の世界の葬送儀礼をブッ飛ばしながら。

そして、両者の関係性を無視できなくなった既存の葬儀社は、慌てふためいてそこへ加盟する。直葬屋に流れるくらいなら、自分たちが奪ってやろう的な発想で。その行動に、葬儀を提供する専門家としての意地とプライドは見えてきません。どっちもどっちです。

例えが悪く申し訳ないですが、巷にあるガソリンスタンドのように、仕入先(紹介業社)からの商品に含まれる、ちょっと嫌味っぽく言うと必ず使うから課税する国税(リベート)に負担を感じながらも、少しでも利益を賄うために数を求める。そのためにはせっせとガソリン(葬儀)を安売りしてでも競争し、ますます利益すら失っていく。

逆に言うと、それだけ無視できない存在にまでなる業者を成長させるパイがあったにも関わらず、自分たちで開発、発展させる事が出来なかった。そこに気がつかなかった。で、結果、葬儀とはいうものの、葬儀らしくない商品が異業種の手により完成され、その規格に葬儀社が合わせていくという、専門家としてなんともお粗末な事態になっています。

対岸の火事みたいに思っていると、足元に火がつきますよ

よく葬儀関連のブログでも「いまだにそんな古い体質の葬儀社さんって無いでしょ」と書かれていますが、この数年のわずかな期間の業界の動向を見ても ”何も変わってないやん” と、思える部分なんです。それを書いていること自体、古い体質と同じなんですよ。

IT技術を取り入れ、見積もりにも施行管理にもパソコンを活用する。葬儀担当者が腰にポケベルをぶら下げていた時代から大きく様変わりし、怪しいおっさんばかりの時代から世代も若返り、社内に飛び交う言葉も洗練され、コンプライアンス規定も充実させた。そんな見た目とは裏腹に、その経営の先頭に立つおっさんの価値観は未だに葬儀屋なんですよ。

ネット上での情報拡散によってイメージは洗練されたように思いますが、いくら外見がよくても、洗練されたコメントを発信していても、私が知る限りではその根っこの部分は全く変わっていないと思います。先代の葬儀屋のおっさんから受け継いだアイデンティティは、そうそう変わるもんでもないでしょ…

変わらない部分が根っこにあるから、老舗であっても、大手葬儀社であっても、異業種の提案する葬儀の形にはめ込まれ、それを受注しながら、その受注率が今後の葬儀社の生死を分けると分析する。分析手腕は今風なんですが、そのテーマ、紹介業者から受注を受ける状態が発生した問題を分析するべきだと思うのです。

もう、足元燃えてますよね

そんな価値観の中で評価する、施行誘致に関する手法が自分のところは自社誘致が何十%で、紹介業者からの施行比率は何%だから健全です。なんて言っても、たまたまな話のように聞こえますし、ポイントがズレているとしか思えない。日経新聞をファッションで読んでいる、購読していることだけに価値観を見出そうとする、若手ビジネスマンと同じように思います。

ネットなどによる施行誘致を活用しているところもあるが、これまで葬儀を行ってきた個人、自治会、企業などの付き合いもあるでしょうし、それらと共に、施行実積の中でのリピーターもあるだろうし、未だに葬儀社選択理由の一つと思うのだが、自宅から近いから利便性がという理由で選ばれているだけかもしれない。

また、大手葬儀社のように、テレビでのCM宣伝を繰り返し報道できる資金的な強みを持つところは、そう言った中での潜在意識に根付いた消費者の行動による施行誘致も含まれるだろうし、そんな活動をできる葬儀社に在籍する方なら、自社が紹介業社の施行を受けていたとしても、何も問題にも感じないでしょう。

自社はメインの受注先があると思っているから、その紹介業社からの葬儀受注比率が高い葬儀社の行く末に対する指摘ができるだけで、自分たちで葬儀文化的にイメージ戦略を打てない業界の体質は、本当に私が葬儀の仕事を始めた頃とな〜んも変わってないと思います。
メインの受注先がメインで無くなる日も、そう遠くないと思います。

深く考えずにやってみるところもどうかなと

ちょっと他で評価の良い事が耳に入ってきたらそれを導入する。導入したは良いけれど、なぜという疑問を持たず、ただ行為として作業として行うきらいがある。そのため、導入した事案を自社に合わせて改革し、昇華させるような創意工夫を怠る。なんて日常茶飯事ですわ。

葬儀における消費者の評価ポイントに占める割合で一番大きいのは、電話応対から始まり、最終的に喪家と接する担当者および施行を担当するスタッフなどの人的サービスに関する部分で、これらのレベルを上げるには、教育の質の向上、スキルアップのための研修導入、あと、サービス品質の均一化となるマニュアルの作成となってくるのですが、こんなことを言えば「何をいまさら? もっと具体案はないのかね」と言われるのがオチです。

ただ、その会社の資質、葬送儀礼に対する考え方、社内のシステム、そして社風といいますか組織上におけるポジションの関係性など、それらがミックスされた雰囲気、空気感が最終的に現場の最前線で対応する人間に出てくるのです。

そこに、その人間の性格や資質が加わって消費者の感受性に訴えかけていく訳です。トップ(親)のデキが悪ければ、ロクでもない社員(子供)が育つという事です。

いやいや、親はなくとも子供は育つよ

と、おっしゃる意見もありますが、やはり親の愛情を受け、分別をわきまえさせるしつけをきちんとしていないのも育てるという部分ではちょっと時間がかかりますし、周りの大人も諭したり、叱ったりできない現代の環境では、親がいなくとも社会全体が親の役割を果たし、社会の中で学ぶ機会があまりにも少なすぎると思うのです。

他人の子供を叱れない世界なんですよ。自分の子供が一番なんです。 ”我が子がかわいい”確かにこれは昔からある事ですが、それでも親は子供が世間で他人に迷惑をかける行為に対して叱る事をできたのですが、今はしている人を見かける事も少なくなりました。

独身時代には、子供を叱らない親がダメ、マナーがなってない、なんて言いながら自分が親になったら同じ事をする人が多いから、公共の場で周りに気を使い、子供を叱れる、諭せる人を見かけないんでしょうねぇ。

会社でも叱る、諭す側がどれだけ理念を持っているかが問題でしょうし、「近頃の若いやつは」なんて言ってる方も、その昔は新人類のように思われていたと思いますし、その世代間における評価は何も変わってはいません。

「俺たちの若い頃は」なんて言っても、同じように親に迷惑もかけてきたでしょうし、自己本位の思いも強かったかもしれません。

それでも、親がなくとも子は育つ環境は、社会が育てる、監視する状況にあった時代には存在したと思いますが、昨今のように ”無関心” と ”自己の尊重” が尊重される時代なら、よほど自分に厳しくなければ育つ環境ではないと言えるかもしれません。

子育ても社員教育も同じではないでしょうか

しつけができていない、儀礼を理解していない担当者だから、遺影写真を片手で持ってみたり、出棺までの間、事務所にポーンと置いていたり、倒したらなんだからと思い、袋に入れたまま壁にもたれかけさせてみたりとポイントがずれているというか、根っこ理解してねえんじゃないのって事になるのです。

果ては、遺影写真と位牌を重ねて焼香台に寝かせる。なんて大技を繰り出してくるのです。小さな事なのですが、これって結構な数というか、ほとんどの葬儀屋さんで見かけてきましたし、そこを意識している方を見かけた事は皆無状態です。

その都度、「あなたの親の遺影写真をそんな風にされたら、どう感じますか?」とか「さっきまで祭壇に立てかけて飾ってあったのに、なんで今寝かせてるの?」と、行動に理念がないって諭してきましたが、葬儀屋さんのお里レベルはそんなもんなんです。

それを教育せずして、一礼の仕方はこうですよ〜とか、手はここに、ご挨拶はこのようになんて付け刃を磨いたところで本物ではありません。本質を理解し、それを提供できるサービスだから葬儀社なんですが、そこ緩いんで他業種がホイホイと参入しやすいんでしょうね。

葬儀業界で当たり前と思っている事も、世間ではそんなに当たり前ではない事も多いのです。

例えば、会館などから出棺する時、道路を往来する車両を止めますよね。葬儀社の考えでは、葬列を切りたくない。火葬場まで霊柩車を先導にして、道のわからない自家用車をなんとかバスの後に付けたい。なんて思っている訳です。

サービス係と思われる女性が整列して霊柩車および葬列の車を合掌したり、一礼したりして見送る。古くは「お葬式やから」で許されたこのような行為を、端から見た場合、白々しく見える事もあるという事です。

最近では自動車販売店でも、顧客が自店を出て行く際に車両を止めて、見えなくなるまでお辞儀をして見送っている。皆さんもよく見ませんか? レクサスあたりから始まったこの作法。高級車を売るためにもてなし感を大切にしているのでしょうが、どこまで効果的なのか。しかも ”本意” でやっているならまだしも、やらされている感を出している販売店もあるのです。

現在の葬儀社で行うこのような行為は、旧態の「ご近所のお葬式のためだから」ではなく、あくまでも葬儀社の利益追求のための商行為であり、喪家とその親族に対するアピールの部分と、先に申し上げた自社都合による火葬場までの葬列を切らしたくない思いから発する行動であり、その図々しさはかえってその場に出くわした方に不快感を与える事にもなります。

未だかつて、他社で止められた時にその車両まで担当者が小走りに近寄り、「申し訳ございません。出棺のためにご迷惑をおかけしまして、今しばらくお許しいただけますか」なんて声を掛けにきた験しがない。せめて小綺麗な方がプラカードでも持って、”今、止められている事情”をお詫びの言葉と一緒に情報として流せばまた違った印象にはなるのだろうが、そんなのも見た事がない。

心ではなく、心の位置がどこにあるのかが問題だと思う

そんな感覚を大切にし、その場の気持ちを少しでも感じ取り、当たり前と思わず新たな価値観を生み出していく ”心の位置”が大切であり、それをできるからこそ葬儀社なんだという自負がなければ、端から見ていても訴えかけてくるモノは感じませんし、結果、どこでもやっている一つの作業にしか見えないという事です。

とは言っても、こんな事よりは今流行りの言葉を羅列する方がウケるのかもしれませんね。

でも、葬儀社が葬儀社たる所以は、葬送儀礼をきちんと行える事。そのための人員を有している事。その人員の教育に確固たる責任を持ち、業界をつないでいける人間に成長させる社風がある事。

葬送儀礼に関する技量、知識を有している事はもちろんだが、それを根底に持ち、ぶれない気持ちで施行を行える事。

そして何よりも故人の尊厳を一番に感じ、考えられる人である事だと思います。

古くから伝統と歴史を持つ老舗の葬儀社が、自社の浮沈に一喜一憂するだけではなく、業界全体の行く末を案じ、そのために行動していただけるなら三日坊主は微力ながら協力をしまない所存なんですが。

直葬屋と葬儀紹介業者にかき回されて、施行単価も下落する中で大変な状況だと思いますが、それをできる葬儀社は、上場し世間の監視の目がある公益社さんと、葬送儀礼の歴史を重んじていただける阿波弥さんぐらいしか見えてこないのです。

そんな有志で、大阪から葬儀文化を守るための公益財団を設立していただければ、業界の法的整備、これからも生まれてくるであろう、新たな葬儀商品に対する監査も担う組織になれると考えますがいかがでしょうか。

大手互助会、大手葬儀社の二代目、三代目社長にはそんなアイデンティティ流れてないと思いますので。

公益社さん、阿波弥さん、老舗葬儀社としてもう一度、業界のイニシアティブを取って下さい
昔から仕事のできる葬儀社、経験上の主観です 私が最初に入社した葬儀屋さんは小さなところでして、月間に自分が担当する件数がとても少ないの...

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