『鎌倉自宅葬儀社』取材記事から裏を読む

鎌倉大仏
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面白法人カヤックが子会社として、鎌倉自宅葬儀社を設立し葬儀業界に参入している。この事業の経緯には何か匂いを感じていたのですが、今回、事業担当責任者の記事を読んで、その文字から裏事情を読んでみた。

なぜ?、今、自宅葬なのか

面白法人カヤックという、ゲームアプリやネット広告などを展開する会社が葬儀業界に参入という関連記事を以前書いたが、この事業背景が見えてきた。鎌倉、湘南を対象エリアとし、自宅葬をメインに事業を展開するという内容なのだが、なぜ今、自宅葬?と、大きな疑問があったのです。IT事業が葬儀に参入してきた「葬儀紹介業」とは違う、何か裏があるのかと。

胡散臭い葬儀紹介業者が増えて困るんですけど
今や、乱立気味のサイト上で葬儀を紹介する業者。新たに自宅葬を勧めるような輩も出てきた。そんなさぁ、先達の悪い方法ばかりマネしないで、もっと、アイデアで勝負して、世の中の皆さんに役立つような仕事ができないものかなぁと思いますケド…

そもそも、葬儀は自宅で行うものであって、区域内に存在する隣保館(集会所)やお寺では滅多には行われなかった。隣保館は、葬儀に携わる方々の食事の場であり、お寺は葬儀を行う場ではなく式衆が準備や休憩をする集合場所でした。村(町)内に複数の宗派のお寺があって、その家の宗派のお寺が導師の場合、他のお寺さんは式衆として参加するケースも有るのです。

自宅で葬儀を行っていた時代、不幸ごとが起きた時には村(町)の隣組(隣保・同業)と呼ばれる組織が協力して行いました。これらの組織は葬儀の際、葬儀組と呼ばれ、トップには組長(普通の人ですが、この呼び名です)が葬儀委員長として座し、帳場や各役割を分業し、その地域で行われてきた風習も交えて、古き良き文化を伝え残してきた役割もありました。

この風習は、大阪でも富田林市や奈良県側に近いところあたりの地域では、昭和の後半頃まで少々姿を変えながらも残っていましたが、他地区でも同様に、全国的にも地元での産業ではなく都市部に勤務する者が増えた結果、人員不足・高齢化の影響を受け、また、昭和から平成にかけての葬儀会館建設ラッシュにより徐々に姿を消していきました。

聞こえはいいが、何か裏があるように感じる

鎌倉、湘南と聞けば、私感として歴史のある街。お洒落な地名。あとは、大仏さんぐらいか。と、そんなイメージがあるが、そこは元幕府が置かれた地。その流れをくむ「ええ方」が多く住んでいらっしゃるのだろうか。歴史あるそんな地域でも、今や、おそらくこのような葬儀組の存在はなく、近年の風習で、葬儀会館で行っているのが大半ではないか。

そんな時代に、自宅で葬儀を行いたいというニーズがあるとリサーチをし、わざわざ、全国的に消費者をターゲットとした葬儀紹介業でもなく、地域を限定してまで自宅葬にこだわるところに何があるのか?ちょっと気になっていたのですが、最近、みんなの経済新聞グループの湘南経済新聞や、他の地域情報提供サイトなどでも取り上げられ、その思惑が臭ってきた。

(ちなみに、みんなの経済新聞は、新聞と名がつくが紙媒体ではなく、ネット上で地域の経済情報を発信するサイト名です。その湘南地区を担当するのが湘南経済新聞となります。)

これまで、他のブログでも取り上げていたこの事業。地元の業者に施行を依頼するのではないかと推測していた方もいたが、三日坊主的には、何か自信めいたメッセージ性を感じていたので、葬儀経験者を雇用しているのではないかと踏んでいたところ、今回、その現場担当責任者がウェイブ上の情報サイトで発信したメッセージを見て、やはりと思ったのです。

事業開始のきっかけを追うと

今、自宅葬という、この事業のアイデンティティがどこに存在しているのかに興味を持っていたのですが、その責任者のコメントによると、葬儀業界専門の人材派遣会社で8年ほどの経験を積んだ頃、祖父の葬儀で初めて身内の葬儀に携わる経験をする。そこで感じた、時間に追われず思い出に浸れる葬儀の形を模索することになり、結果、行き着いたのが自宅葬だと。

泣くことで癒されるんだと知り、涙活(るいかつ)という、意識的に泣くことでストレス解消を図る活動家の元へ出向き、その後、手伝うことになり、泣語家(なくごか)として涙活活動を開始。面白法人カヤックと涙活がコラボした「ナクルート」という、泣きながらリクルート活動を行うイベントを実施する中で、この事業の親会社である、今回の事業主と出会う。

その後、涙活活動をマスコミが取材。その際、葬儀屋として紹介され自宅葬が取り上げられた。すると、全国から?の反応がすごくて、埼玉の小さな会社(葬儀社?)じゃ、とても対応できない。もっと広めたい。すごくもったいないことをしているとの気持ちを持ったらしい。

一個人でするものではないなと感じた。(んっ?、埼玉の小さな会社じゃなかったっけ?)ので、事業主と出会って2年後にメールを送り、直談判。すると、「面白いね」とのことで事業化決定。面白法人カヤックへ入社。そして「鎌倉自宅葬儀社」として小会社設立。事業準備を経て、今年、8月にリリースを開始した。とまあ、このような流れが取材されている訳です。

で、ツッコミ… いや、裏を読むと①

そもそも、葬儀業界専門の人材派遣会社っていうのは、元々、関西が主流で存在していました。いわゆる「あんこ」と呼ばれる人たちです。スキルを売りに、葬儀社の急な仕事の受注による応援人員の側面や、葬儀司会者として、個人葬はもちろんの事、社葬などの大型葬にも活躍する日雇い人夫です。地元、葬儀屋(親族)同士の応援から始まったとも言われています。

当時、名古屋、関東の葬儀社とこの話をする機会があって、名古屋、関東方面では、葬儀そのものを丸受けする下請け業者はいるけど、そのような人手だけを派遣する専門業者はいなかった事実はあります。当然、時代の流れによって、ニーズがあると思えば自然発生的に事業が生まれますから、彼は、聞こえのいい時代に、葬儀社ではなくそこへ入ったのでしょう。

派遣の場合、葬儀の技術的な部分は経験できるのですが、喪家と直接に接する機会はほとんどありません。その役割は葬儀社が担いますので、幕を張ったり、荷物を運んだり、花を担ぎこんだりと業務の部分が主です。なので、葬儀社に勤務し、喪家と直接に関わってこそ感じる「様々な思い」は実感しにくい。部分的な業務から推測していくしかない。

葬儀業界としての視点も育ちにくいと感じます。関西での派遣従事者は、葬儀社での経験を経たのちに、独立を兼業しながら在籍する者と、その派遣業務に専任する者で構成されていました。何れにしても、派遣業務だけではない、もうワンステップ上の立場で葬儀を見てきただけに、経営、商品開発、施行誘致など、抱える問題点を実体験している分だけ強い。

で、ツッコミ… いや、裏を読むと②

彼は取材の中で、今後、自宅葬を広めるために次のように言っています。

――自宅葬を広めるために考えていることはありますか。

在宅医療や、在宅の看取りを行っている医療関係の方たちとコンタクトを取って”終活”に関するセミナーを開催したり、ターミナルケアについての勉強会を行ったり、エンゼルケア(死後処置、死化粧)について学んだりするなど、グリーフケアの観点からも、葬儀屋と医療機関が一連の流れでつながれば、すごくスムーズになるのではと考えています。病院と葬儀業者が結びつくと、ともすれば必ずしも良いイメージばかりではありませんが、そうではなく、患者さんもしくは故人の方に、便宜をはかれたら、すごくいいものができるんじゃないかなと。
 
 今は無宗教の葬儀が多いですが、やはり宗教も大事にしたいですし、鎌倉はお寺も多いので、そういったところとも連携して、死について考える機会を作っていきたいですね。

引用:THE PEGE 神奈川より

在宅医療、在宅の看取りを行っている方とコンタクト? 葬儀屋と医療機関が一連の流れでつながれば? どうも、時間に追われないお別れが必要だから自宅葬がいい、という理念より、そこらの葬儀屋が 仕事くれ〜と 施行誘致の思いをキレイに話している風にしか聞こえん。

もちろん、質問が「自宅葬を広めるために考えていること」という問いかけなので仕方がないが、文字になる事を考えたら、ここは理念を語るべきであって、本音というか、思惑と欲望のシステムを語るべきではないと思うけどな。

いかに他社に先駆けて、自宅で亡くなりそうな方の情報を掴んでおくか。また、その際の「葬儀はどうする?」となった時に、スムーズに登場できるよう、医療関係者、介護関係者(これも、医療関係機関の一部としても多いので)に「お見知りおきを」って活動を、本音では考えてますよ!って聞こえる。

静の時間と動の時間が共有するのが葬儀

ゆっくりと時間に追われない葬儀を実現する事は大切だと思うのです。直送であっても、1日葬であっても、業者の思惑によって勧められるのではなく、様々な理由から、それらを消費者が選択せざるえない状況はどなたに取っても仕方がない事です。ただ、静の時間と動の時間が共有するのが葬儀ですが、この静の時間を業者の都合によって端折られてしまうのです。

現代における四苦八苦とは
現代における四苦八苦とは何かを考えてみた。葬儀は動と静の時間が共有する場であり、本来、そこへうまくシンクロするシステムがあったのですが、現代の早すぎる時間概念がそれを拒んでいる。生きるも苦労、死ぬ事も苦労である現代で何を大切にするべきなのか。

業者の都合というのは、霊安室のキャパがない。いや、霊安室そのものを持たない業者もいる。で、公営の施設に預けるなどの方法を取るわけですから、当然、ゆっくりと一緒の時間を過ごせない。だから「1日葬でもいいんですよ」って商品を作り出して勧めてくる。直葬もしかりです。他社より安くするための直葬であり、仕事がほしいからの直葬なんですよ。

消費者のニーズがあるから必要なんですよって聞きますが、消費者がそんな商品を開発するんかい!そんな訳ないやろと。葬儀の商品は、葬儀屋が絶対作り出してますって。それを最初に考えてやり始めた奴の思考を言っているだけで、すでに、あっちもこっちもやっているから、用意しておかないと仕方がないという、自信のなさの表れとネット情報の弊害でしょう。

仮通夜の重要性も申し上げてきました。亡くなったその日に慌ててお通夜をしなくとも、1日でもいいですから自分を取り戻す時間を作るべきだと。直送でも1日葬であっても、静の時間を持ち語り合うべきだと。そのための自宅葬はいいと思いますが、あえて葬儀紹介事業には手を出さずだったのに「面白いね」の思想は、「そこならいけるね」って感じるのです。

少年よ、大志を抱け

当然、ビジネスですから事業として立ち上げる以上、利益が出る工夫はします。ただ、葬儀の実務ができる人間が現れた。ん、真面目そうだ。面白い柔軟な発想を持っている。私たちは「面白い」を形にして事業とする。その面白いは、商売のネタになるかどうか、世の中に受け入れられるかどうかだ。君の自宅葬儀のコンセプトは面白い。よし、事業としよう。

これでは、その自宅葬儀で葬儀屋を実現したい人間の野望を煽っているだけじゃないのかな。ゆっくりと時間をかける必要性が現代の葬儀には必要というならば、彼は自分でやるべきだったんですよ。月に1件でもいい、理念なんだから。個人でやってはもったいない。このもったいないは、儲かるチャンスなのに資金力が無いとしか聞こえない。

アイデアに資金を求める。ま、百歩譲ってこれもビジネス。「少年よ、大志を抱け」ですから、理想を実現する、夢を形に変えて成功する喜びを感じたい。当然です。でもね、そこに存在する「大志」は、「青年よ、利己のためや、はかなき名声を求めることの野心を燃やすことなく、人間の本分をなすべく大望を抱け(Wikipediaより」じゃないのかな。

そういう意味では、最後に出てくる

今は無宗教の葬儀が多いですが、やはり宗教も大事にしたいですし、鎌倉はお寺も多いので、そういったところとも連携して、死について考える機会を作っていきたいですね。

引用:THE PEGE 神奈川より

を、最初に考えるべきだし、その立ち位置で「葬儀とはなんぞえ」を追求するのが生業じゃないのかな。予々訴えかけているんですが、お寺さん紹介にしても、葬儀の紹介にしても、なぜ宗教者と共同で作り上げていかないのかなって。宗教界が、本山が困っていることを助けてあげれる能力があるのに、金儲けの道具にするんじゃなく、パートナーにならないのかなって。

忘れてはいけないものってあるんじゃないかな

もし彼が言うように、祖父の葬儀で実感した事を実現したい。多くの人にその心の在り方、大切さを訴えていきたいとの思いを理念としたのならば、もっと葬儀の根っこの部分を追求してほしと、葬儀バカになってほしいと感じます。それが理想を実現する事ではないかと。でも、お金が先か、理想が先かと言われれば、多くの方は理想を後回しにするかもしれません。

自己の欲望でない理想って、子供の頃に実践していたはずなのに、友達が、同級生が、おもむろに自己中な思考だと嫌ってきたはずなのに、大人は汚い、ずるいなんて言ってきたその根っこには打算が見え隠れするから嫌ってきたのに、なぜ、自分が大人になると「発想としてはわかるけど、君、それは理想だよ」って変わるんでしょう。

人のお金が入ると自分の思うようにはできないよ。その資金は、「この金をお前にやる。ドブに捨ててもいいから使え。その金で経験を買え」なんて言ってくれないでしょう。なら、「お前に惚れ込んだ。そのお前がやりたいことなら協力してやる。好きなようにやってみろ」と、言われるほどの「理念」を持った人間になる事が先決かもしれない。

面白くないんですケド

IT事業家さんは、しのぎを削る世界だよ。後発の事業家が葬儀のジャンルに進出する事を考えた時、真っ先に思うのは、「すでにある事業ではなく、新たな事業かどうか」です。彼の言葉にその可能性を感じた事業主の思惑。彼の大志。これの共通する部分が利益だけじゃ、現実すぎて夢を追う感じではなく、また、面白法人でもなく、全くもって、面白くないんですケド。

言葉で理想を語るのは簡単です。私もそうです。理想を言っているだけです。理想だけで飯が食えないかもしれません。現在の時代に花形とされる世界にはいませんし、私の手の届かないところで世の中は動いています。人間ですから野心も邪心も、心にてんこ盛りです。そんな人間が、多くの方に影響を与える何かを世に出す時の怖さと責任は必要だと思うのです。

いっときの流行り廃りはありますから、一時的に業績が良くても、それは単に類は類を呼んでいるだけであって、物事の本質をついた商品ではないと思います。(設定金額も高いと思う)受け入れられている訳でもない。多くの方が葬儀を考えるきっかけになり、生きる事、死ぬ事を見つめ直す時に、自然の摂理に沿ったものにするには、常に自分に厳しくあるべきです。

そんな時、何かをする時に理想の基準を考えさせてくれるのは、神さん、仏さんといわれる大きなエネルギー、自然の摂理じゃないかなと思います。ITによって驚くほど便利になった時代。何もかもが自分の思惑で動くかもしれない。けど、そこを根っこに置いての言動が大志じゃないかなと、今回の鎌倉自宅葬儀社の記事を見て感じた次第です。

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