葬儀に対する国の法整備が弱い、弱すぎる

上むきの赤の矢印と下向きの黒の矢印
上むきの赤の矢印と下向きの黒の矢印

様々なところで葬儀会館建設に反対運動が起きるが

実際に反対運動を行って、裁判を起こしたところでほとんど負けます。

一部の施設に対する制限を求める事(入口を見えないようにしろとか、ガラス張りはやめてね)などは、今後の事業継続を考える上で、業者としても譲っておいたほうがいいと判断すれば、多少は譲歩してくる事もありますが、建設は止めれません。

葬儀会館や、遺体安置所などの施設を建設するには建設基準法や消防法をクリアすれば問題はないため、閑静な住宅地に建設を予定されて「住民の生活環境を守れ!」なんて言っても建っちゃいます。で、建設が終了すると、遺体が寝台車でバンバン運ばれてきます。

首都圏ではかなり暴れん坊な感じで、各事業者が各地で建設を進めているようですね。ここのところ、関西で大きな反対運動は聞かないのですが、過去に町会に反対されて建設を推し進め、数年にわたって利用が著しく少ない状況で運営してきたところが、別法人として再起を図るって話を聞きましたが、この町会の意思は固いので、まぁ、無理じゃないかと見ています。

業者側の思惑を、三日坊主的なぶっちゃけの言葉で表現すると、どうせ亡くなれば推進派の人は使うでしょ? 万一、近所の方が利用しなければ、近隣の方の施行をそこへ引っ張ればいいだけじゃん。

あなたが反対していても、喪主になる息子さんや、娘さんはきっと近いからって使うと見込んでるんでるんですけど、何か?てな、憎々しい思いが(笑)根底にあると思います。

どうやって共存していくのか

これに対抗するためには、国家の法律として葬儀業界に一定のガイドラインを設けるしかないのですが、どなたに伺ってもこれはムリと言われます。確かに様々な利権が絡み合ったままで今日まで来てしまった業界を、一刀両断にできる基準がない。

ただ、葬儀会館反対だけでは行政は動きません。一部の市区村議会議員は市町村民の声を受けて活動を行ってくれる事もありますが、これも本気度としてはどこまで信用していいのかという問題と法律の壁があります。各自治体で制約を設けることができるか否か。ここまでが現状での限界だと思われます。

資金に余裕のある互助会などでは、既存の葬儀社を囲い込むようにドーナッツ状に大小様々な会館を建設して、別法人格で運用し、持久戦に持ち込んで疲弊するのを待つ戦法でくるでしょうね。なんせ、毎年赤字の会館を複数持っていても潰れないんですから。本当に。

葬儀業界を規制するための救世主は

う〜〜ん、思いつきません。本来は、葬儀は宗教儀礼としての側面と言いますか、宗教的な行為に位置すると取られられているため法的整備が行われない、介入しないとの背景があります。

ならば、宗教界が救世主になるのか?無理です。今や宗教者は葬儀社に接待行為を行い、いわゆる仕事を振ってもらうと言っても過言ではない状況です。

宗門の道を究める事を本意とし、気位を高く持つ宗教者の方も存在します。貧して貪するなかれをまっすぐ歩む方もいらっしゃいますが、悲しいかな、宗門の維持、寺院の維持管理のためにはやはり費用がかかる。

そしてそれを今まで支えてきた檀家という組織が崩壊しようとしている現状では、どこに活路を見出すかが問題になってきます。

宗教界の危機感のなさと、葬儀屋の慢心が辿る行く末は
このご時世に、他を寄せ付けない雰囲気って 先日、ある宗教者の方のブログを拝見していたところ、「自宗以外は邪宗である」との強いメッセージ...

葬儀社に任せても無理です。今や葬儀は宗教儀礼の一環であるとの観点から大きく外れて、事業としてお金儲けの手段としてブンブン振り回されている状態です。

法律の管理下に置かれていない甘い環境の中で、お金を儲けるよりも文化を守るために努力を惜しまない。そんな気持ちのいい事をやってのけてくれる方もいないでしょうし。

仮に、潤沢な資金を持つ互助会の二代目、三代目の中で、豪華な結婚式場に何十億とブチ込まず、意味なく葬儀会館をあっちこっちに建設し、資産として残そうなんて考えをぶっ飛ばして、「葬儀文化と日本の国としてのアイディンティティを守る為、私が人生をかけて歴史に残る事業をやってやる」なんて、奇跡的な思想を持つ人が現れない限り無理ですし…

国が、儀礼文化省なんてのを作ってくれないかな

一部の人気のある神社仏閣などでは、自分たちで施設を維持する事も可能ですが、方や、村の神社で氏神でありながらも、資金が集まらず維持管理が大変なところもあります。

そういった施設、日本の文化財維持のために税金が投入されています。しかし、それらは税金であり、その財源を先に確保することが先決ではないかと思うのです。

仮に国の管理部門として儀礼文化省(名前はなんでもいいのですが)なんてものを制定して、すべての宗教施設の収益を一旦省に集めて管理し、その施設を維持するための費用をそこから配分してはどうかと思うのです。それでも足らないものについては、初めて税金を補填する
べきではないかと。

文科省から葬送儀礼(死と生とを考え、命を尊ぶ教育)を維持するための文化施設・宗教施設の維持と、宗教的民族文化の継承のための教育専門部門として分派してもいいと思うのですが、自由に、違う事にお金(税金)を使われそうなので… う〜んって感じです。

省は、教義の是非を問うのではなく、それぞれの宗派が命について、そしてその命を終えた
時の葬送儀礼について最低限のガイドラインを設けて、葬儀社もその法律の管理下に置かな
いと、命に対しての尊厳がこの先もっと薄れていきます。

日本古来の宗教施設に対してだけではなく、教祖が存在する宗派も、新興宗教も、日本に
本部施設が存在し、多種多様な価値観を尊重しながら日本で生活する方々がその信仰に心を
寄せて、豊かな人生を送るために存在が認められるものは文化財として後世に残すべきだと
思うのです。

お釈迦様から流れる教えにしても、教派神道にしても、在家集団の大きな団体でも、それは
文化だと思うのです。もちろん、宗教というカテゴリーに当てはまらない無宗教と言われる
価値観も含めてです。

全ての宗教者・研究者が個々の文化を守るため、お互いの存続のために協力する。そんな事ぐらい出来ないと、これからの宗教は生き残っていけないのではと思います。

神仏の世界観は、人間が決めるような有限ではないと思うのですが

神や仏の世界では、それぐらいの許容量を持っている教えではないのかと、また、八百万の
神を受け入れてきた日本人の文化と癒合すれば、日本の宗教ならできる可能性はあると思うのですが、いかがでしょう。

他を排他する言動を行っているのは、小さな人間の価値観であり、本来の教えではないと感じるのです。京都の有名寺院が、小さな村だが、歴史的文化価値を持つ寺を維持するために資金を投じてくれるのでしょうか? 宗派が違えばまずありえないでしょう。

省が率先して宗教文化を守る事を大義名分とし、そのための資金、教育、管理、運営に関する法律の元、宗教界、葬儀業界を巻き込んで文化を後世に残すために協力する事業ができないと、お金のあるところの一部の権利者はいつまでもウハウハになっちゃいます。

お金はないが歴史があるところは、国に泣きついて文化財保護のために資金を出して欲しいとなると、資金に限りがある現状では全ての施設を面倒見る事は出来ないし、見えないところで税金が投入され、その投入先の決定におけるプロセスも国民には不明瞭なまま進んでいきます。

葬儀も文化ですし

葬儀も宗教儀礼の一部とするなら、その省が推奨する「文化財と宗教文化を守るための葬儀」の定義・提唱を行っても何ら問題はないと考えますし、低価格でも儀礼を重んじた内容の、その葬儀を国民みんなが公平に受託出来るようにして、葬儀資金が不足する方には補助金を設けてサポートすればどうかと思います。

そして、文化財と宗教文化を守るために、葬儀社の利益から文化税を徴収すればどうかと。だって、葬送儀礼があるから葬儀社は葬儀を行う事ができ、そしてその儀礼によって利益を得ているわけです。

その儀礼を守るためたくさんの年月が過ぎる中で、これまで幾多の方が命までも投げ出して守ってきた文化です。その歴史上の、その土俵で儲けさせてもらっているんですから、葬儀業界は感謝しても普通でしょう。

そして法律による資格を設けて、その資格がない、文化税を納めない業者は葬儀を施行できないようにすればいいのです。

会館建設問題の解消のためにも

会館建設も業者と住民のお互いのエゴがぶつかり合うところもあります。

ならば、今、日本にある葬儀会館を省が買取り、公的な会館として整備し、全国の会館の配置を見直して不要なものは売却して、適切な場所に、適切な数の葬儀式場を公的な物とし、足らなければ新たに建設し、使用する場合の利用者の利用料金負担を極端に下げて、葬儀社には大きく負担させればいいのではと思います。

そうすれば、会館建設に反対だ!何て声も上がらず、無理に建設しようとする業者との問題も解決するのじゃないかなと。そう、公的施設の火葬場みたいな感じで。

その火葬場も国民のために建設する行政サービスだとは思いますが、大阪市で見ても平成24年度で見る限りで6億以上の税金が赤字のために投入されているんですよ。

火葬料金について
無ければ困るのですが、あたらに建設するのも難しい火葬場。建設賛成派・反対派の方も利用する、その火葬場運営のために結構な税金が使われている事はあまりご存じないと思います。何気なく説明されて支払っている火葬料金の仕組みを少々…

葬儀会館の案もそうですが、火葬場の使用料を市民だけが払うのはおかしいと思うのです。葬儀業者がその施設を利用して利益を得ているならば、葬儀社から利用税を徴収して赤字の補填に埋めるべきではないでしょうか。今や、宗教儀礼の一環ではなく、ビジネスなんですから。

個々の信仰の自由や、民主主義としての問題があるとは思いますが、これくらいしないと葬儀業界の規制がないがために葬儀の文化は消えていきます。

それが強いては、命に対する教育を衰退させる事に繋がり、その行く末の日本で、心豊かな子供が育つ生活環境が残るのでしょうか。

心の貧しい子供達が増え、自己主張のぶつかり合いから日本って自分の命や価値観は守るけど、そのために人の命を簡単に奪ってしまう国になってしまうんじゃないでしょうか。

追加のボヤキ

宗教にお国のお墨付きを与えるなんて事を考えると、武家時代のお寺のように、今度は宗教が権力争いに巻き込まれちゃうのかな…

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