『ご寺院様入場』って何が式場に入ってくるの?

先日、参列した葬儀の中で「程なく、御寺院様がご入場でございます」ときたんです。御寺院様?って丁寧なようでおかしな言葉じゃないの? そう、古くから葬儀屋さんの中では丁寧そうでおかしな言葉使いって多いと感じています。

まもなく、建造物が入場でございます

まず、ごめんなさい。国語の先生でもないので、これは自分が疑問に思って苦心したあくまでも経験上の話です。私はあくまで進行係と思ってますが、葬儀業界には司会者と称する仕事があります。先輩の真似事をしながら始めるのですが、そのためどうしても変な言葉使いが伝統的に伝わる事も多いのです。

そんな自分がおかしいなと感じた言葉を疑問にも思わず使い続けて、「司会者だよ、私は」的に悦に入っている方や、ナレーションだの何だのって、それを作成し話す事が司会者の仕事だなんて思っている方を見かけると、我が事のように恥ずかしく思うのです。

ブログでも「今日の故人様を送ったナレーション」とか自慢げに披露して、「これからも、もっともっとぉ勉強してぇ、満足していただけるナレーションがぁ、作れるように精進しますぅ」だとか、「葬儀司会者の話し方ポイント」セミナーなんてのを生業にしたりする方もいますが、こういうのってナンセンスだといつも感じております。

確かにこういう方も一部の葬儀関連業者にとっては、葬儀社に対してプロモーションするためには必要な存在なのでしょう。新人研修と称して葬儀社に売り込むには、それなりの実績と怪しい肩書きがなければ商品にはなりませんので。でも、その作業内容って基本は自己満足で、葬儀において、そんなところにこだわりは必要はないと私は考えています。

そんな方々や、その影響を受けた若い担当者の方から「心中を披瀝(ひれき)し」とか、「おんどうしさま、ごにゅうどう〜」なんて言葉を聞くと、誰に教わったの? 今時、そんな言葉使わないっしょと思うし、疑問に思わなかったのかい?と感じるのです。

葬儀の開式前に「どんな方でした?・いつ亡くなった?・どんな思いでいるのだろう?」なんて、まるで故人の心中を見透かした霊媒師のような言葉で、いわゆる司会者と称するものが自己流のナレーションとやらでタラタラと話す訳です。

一通りのおしゃべりが終了してタイミングを見計らい、導師が入場する際に「お寺様入場」や「御寺院様入場」と表現する方がいます。また、「○○宗○○派○○寺様ご入場でございまするぅ」的な言葉を発する方もいます。

いやいや… そのナレーションも別にいらんけど、お寺様? 御寺院様? ○○寺様? 寺・寺院という事は、七堂伽藍ごと入ってくるのか? 導師以外に脇導師なんかも入っていれば式場の中は寺院だらけになるやんけ〜。と、突っ込みたくなるのです。

なのでこの場合は、導師が入場してくるので「御導師入場」か、敬う意味での「師」が付いているので「導師入場」でいいと思うのです。さらに「様」をつけて、「導師様・御導師様」なんてのは敬称の重複であり、シンプルに話すためには省くべきだと思います。

「御」と「様」を使う言葉

このような時に使用する「御」は「ご・お」と発音し、相手を敬う表現(ご両親・ご婦人など)、相手の行動を敬う場合(先生のお話・お手紙を頂戴するなど)にも用いますし、丁寧に、または上品に表現しようとする場合(お米・お箸・ご挨拶など)にも使用しますが、実はこれ、かなり厄介な言葉だと私は思っています。

「様」も同様で、敬称として使用していますが、「御」と併せて使う事もあります。そうなると、あながち「お寺様」と言うのも「ご先祖様」と同じで間違いではないとも思うのですが、基本的に寺は建造物や施設を称する言葉であり、先祖は人物を称するものであるので、状況によって、その対象者や名称の使い分けが必要だと考えています。

例えば、葬儀の担当者が喪主や兄弟姉妹に対して「喪主様」や「喪主様のお姉様」なんて使う事は結構あります。喪主には氏名がありますが、おおよそ亡くなった方と同じ苗字のケースが多いですし、集まっている遺族や親族の中にも同性がたくさんいるので、誰を?と特定するために「喪主であるあなた様」という意味で使用しています。

また、兄弟姉妹に対しては「喪主の三日坊主様のお姉様である○○様としてはいかがなさいますか?」なんてのを毎回使うのはバカ丁寧な言葉になり、しかもスムーズに話が進みませんので、置き換えて丁寧に話すには便利な言葉です。

略して使うにしても、正しく話せば「喪主様のお姉様」ではなく、「長女様」なりと立場を踏まえて言うべきですが、そこまで兄弟姉妹の順序を把握していない状況では、広く認識されている言葉でもあるので、対象者を手っ取り早く表現するために何気なく使っているとも言えます。

もう一つおかしいと感じるのが、葬儀屋さんがよく使う言葉で「ご遺族様」とか「ご親族様」なんて言葉もよく聞きます。親族席がわからず迷っている方を見つけて、「ご親族様ですか?」と、本人は親切に案内し丁寧に話しているつもりなんでしょうが、この場合、「ご親族の(お)方でしょうか」と言うべきで、大勢を相手に称する場合は、「ご親族の皆様」と言うべきでではないかと思います。

ついついお寺様と言うけど

で、つい「お寺さん」や「お寺様」と呼んでしまいますが、ご本人を前にした場合、これも正式にはご住職や住職様(宗派によりご住職とは呼称しない事もありますが、ここでは略しております)などであって、寺という名称で人物を称するのは間違いだと思っています。

また、「様」を省き「御」が付いている軽い敬称だからと、住職を前に「お寺」と表現する事は少ないのです。これは御前の「ごぜん・おんまえ」と敬う意味とは違い、「おめえ・おまえ」との表現と同じで、同輩以下の場合に使う言い方であるので人物ではなく、その建造物そのものを表現する際に使用すべきだと考えています。(あのお寺の歴史は…など)

とは言え、実際の現場では手っ取り早く物事を伝え、理解を共有するには便利な言葉でもあります。「お寺様はどうするの?」と使うと、その瞬間に田舎の本家筋の菩提寺から住職に来てもらうのか、こちらで手配するのか、なんてのが主題になります。

しかし、これらは内輪で相手を呼称する場合において、意味を共有するために便宜上略しているケースであり、ご住職に対面して親しい檀家・親族などが呼称する場合でも、お寺様ではなくご住職・住職様などと称する方が丁寧だと思います。

ここまで書いていて、それじゃ「お客様」はどうなんだ?と自分で突っ込みますが、日本では、このように御も様も付く表現が古くからあり、何の違和感もなく用いられています。

本来は「客」そのものが人物を表す言葉ですが、これだけで対象者を呼ぶとぞんざいに扱っているように聞き手は感じますから「お客」とし、当たり障りなく大切に扱うとの意識で「様」をつけ、何となく使っているのではないかと考えています。相手の名前がわかれば飲食店でも「2名でお待ちのお客様〜ではなく、三日坊主様〜」となりますので。

そもそも、喋りのプロ?なんていらないし

さて、これらを要約すると、内輪で略した言葉で対象者を表現する状況と、対外的に話をする状況の使い分けに気をつけないといけないのですが、葬儀に関わる人、特に司会だなんて自称する人は混同して使用する人が多いのです。

そして何より、葬儀における立ち位置がおかしい司会者という存在を認めている価値観が言葉を乱しているのではないかと思っています。

葬儀においては、司会者的な専門色を強めた存在がいなくても儀式は進行します。導師が「じゃ、みなさん。私と一緒に合掌・礼拝してください」と言えば済むし、それが本来の姿ではないかと思っています。

葬儀社はあくまでも斎場設営業だし、式場を持っているなら管理運営業ですよ。イベント屋ではありません。そして司会者はあくまでも進行係であって、それ以上でも、それ以下でもありません。仮に社葬のような大きな葬儀、若干の社会的なお披露目要素が入ったとしても、きっちりと進行を進める能力があれば、そこには喋りの演出なんて必要はないと思っています。

いやいや三日坊主さん。今はね変わったんですよ。遺族の満足を追求するのが我々の仕事なんです。遺族を思いやり、配慮する。私たちはそれを育んできましたし、そこで生まれたヒントからできた商品であり、演出なんですよ。

と、思っている葬儀社もいるでしょうが、それはお金を取れる商品が必要な背景から生まれた自己解釈だと思います。

一人の司会者に5万・10万円を支払う(請求)するなら、きっちりと教育した一人数千円のアルバイト人員を10人・20人とふんだんに配置する方が、儀式中のアクシデントや様々なニーズにも対応できると思いますが、こんな事はしない。無駄な人件費と考えるからです。

そして極め付けは、「開式に鑑み、故人を偲び、一同、合掌、礼拝」なんて号令をかける。いやいや、儀式の始まりはあなたではなく導師なんですよ。

その葬送儀礼における法儀の責任者は導師であり、その宗派の教えなので、儀式の始まりは導師のタイミングのはずなんです。合掌などの行動を促すのは参列者に対してであって、導師に命令するものではないと思うのです。導師が入場されたら、後はその法儀に沿って静々と進行を妨げないように参列者にタイミングをお伝えするだけなんです。

なので、極論を言えばそこにはマイクなんてなくてもいいのです。直接、側に行き「どうぞ喪主の○○様からご焼香ください」と言えば済むのです。これを各ブロックごとに教育された人員を配置して案内や誘導をすれば、読経の邪魔もしないし雑音もない。声明の言霊によって心に感じた事が本当の意味での故人を偲ぶ事、すなわち供養になるんじゃないかと思っています。

葬儀は故人の死を演出する場ではなく、あくまでも遺族にとって供養の場ですし、故人と遺族、そして縁に結ばれた者のための場であって、そこには葬儀社、特に司会者なんて自己満足な存在は必要ないのです。

そのおごった考え方の表れが不必要な演出であり、御寺院様入場に代表されるような言葉を使う意識や低い価値観にあるのではないかと、私は思っています。なので、これが排除されないうちは葬儀社の意識も変わらないって事ではないでしょうか。

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