保険診療で受診できるグリーフケアの重要性を感じております

湯型の海を見つめる孤独な男性
湯型の海を見つめる孤独な男性

私の母が亡くなった時、一番に感じたのは悲しみではなく「怖さ」でした。

死を受け入れる

意識もなく病院のベッドで横たわり、時折苦しそうに大きく息を吸う。そんな状態が数時間続いた後、呼吸をしている事が唯一の「生きている証し」だったのにしなくなった。

見透かしたように担当の医師が来て「ご臨終です」と一言。すぐさま指先につけていた血中の酸素濃度を測る器具や、心電図を読み取るための機械を片付けていく看護師。

生から死の瞬間。そりゃ覚悟はしていたけど、人間ってこんなもんなん? いやいや、死ぬってどこが境界線なの? 動かなくなった母を見て、死を告げられても涙は出てこなかった。辛くないのか? いや、確かに辛いとも感じる。でも、それ以上に感じたのはなんとも言えない怖さだった。

この怖さってなんだろう。人が亡くなる場面を初めて見たから? 葬儀屋さん歴が長い私でも、人が生きている状態から死へ進んだ状態をリアルに見るのは初めてでした。死んだ人は数え切れないほど見てきたし、言葉にできない状態の方もたくさん見てきたし触れてきた。でも、目の前にいる母にすぐ触れる事はできなかった。

認めたくない事実に固執しているのか。いや、そうでもない。出先で脳内出血を起こし救急車で運ばれたと病院から電話が入った時から覚悟はあったし、10年前に60歳以上の生存率が10%と言われる、特定疾患に認定されている病を発症した時の方が辛い思いが強かった。

その時、助かって欲しいとは願ったけど、かなりやばい。おそらく死んでしまう。そんな気持ちが強かった。「死んだらどうしよう。神さん、これじゃあまりにもあっけなさすぎません? オレ、親孝行ってやってないよな」と悲しさと自戒の念がこみ上げ、同時に覚悟も必要でした

幸い病状は回復し、退院する事ができた後はその時の反省など吹っ飛んでしまい、元の生活、元の関係に戻っていきました。そして10年ほどが過ぎてこの病気を発症したのですが、この時も脳内出血が動脈側だったら即アウト。幸い、静脈側の細い血管からの出血だったので手術すれば助かるとの事でした。

人生上の経験と環境が支えてくれたのか

このように母は、私が幼少の頃から生活・経済環境や病気など、何でも危機的状況から危うく助かってきた人で、何度も覚悟と自戒と緩和の機会を与えてきた人でした。そういった経験が悲しさを吹き飛ばしているのかもしれない。

ただ、なんとも言えない怖さというのはどこから生まれるのか。何度も苦悩を超えてきた人でも確実に死んでしまう事実を直視したからなのか。それを我が身も同様かと感じた時に死への怖さという感覚になったのかもしれない。

生きる事に関しては、小さな我が家ではスーパマンのような存在であった人でも死ぬ時を必ず迎える。そんな現実を肌で感じたのかと思います。それぞれ性格や気性もあるでしょうが、人並みの人生経験しかない葬儀屋ですら、死を現実に受け入れる時には相当な覚悟が必要です。

そして、最愛の人が亡くなった後の喪失感をどう受け止めるか。それには支えてくれる自分の味方の人数も環境によっても違う。そして個々のストレス耐性度によっても大きく変わってきます。また仕事上の環境で、死に慣れているかどうかによっても変わってくるのです。

死を受け入れられない場合の社会的保護

今、一人心配な者がいます。彼は、母親と父親を相次いで亡くしました。最初に母親が亡くなった時、残された父の面倒を見る事が母親を失った喪失感を紛らわせていたんだろうと思います。その父親も相次いで亡くなり、その後の遺品整理が彼のモチベーションを維持していました。

墓終いの事もあって、最近まで彼ら兄弟で話し合う機会もあったけど、その問題も落ち着いたのか、兄弟間でのやり取りも少なくなり、徐々に孤立を深めている。生きる気力を失いつつある現状を最近聞いた。

私に何ができるのだろう。そう悩みます。自分にも生活があるし、彼の生活を支える事もできない。生活圏内も生活時間ももちろん違う。一言声をかける事はできるけど、それは一時的なものでしかない。彼はその苦悩に耐えれるのだろうか。

そういった時に、頼れるグリーフケアの施設や活動が身近にあればと、最近強く感じます。現実に精神神経科診察の一環としてグリーフケア診療を行なっている病院もありますが、保険適応外となり30分程度で3,000円ほどはかかります。個人的に活動されている方もいらっしゃいますが、その力を必要とする方にとっては費用的にはなかなか継続する事も難しいのが現実です。

行政が一人一人の心の問題の重要性と必要性を重視して、保険診療・介護診療の一環として手軽に利用できる環境作りが早急に必要ではないかと痛切しております。

グリーフケア教育機関の皆さん、有資格者の皆さんが制度改革の一番近いところにいらっしゃると思いますが、そういった方々のお力をお借りして、新たな可能性を見出す事はできないものでしょうか。

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