弔電は披露するものなのか? 小さなぼやきの種を、バカな三日坊主が考えてみる

よく葬儀関係者のサイトやブログ、SNSなどで「弔電披露」と書かれているのを見かけます。ですが、私の意識としては、弔電は披露するものではなく代読じゃないのかなと、ちょっとぼやいてみます。

まずは、披露から

披露という言葉を調べてみると、「披(ひら)き露(あらわ)す」という意味があるとされています。で、この「披(ひ)」という単体の漢字での意味と、「披(ひら)き」とまで表現しての意味では、若干ニュアンスが変わってきます。

「披(ひ)」だけなら、「ひらいて残りなく示しあらわす」、「ひろめる」という意味があり、確かに「扌(てへん)」に「皮(かわ)」ですから、手で皮を剥ぎ取ってあらわとなる訳で、モンハンみたいな感じですね。

ところが、「披(ひら)き」となると

披き(ひらき)とは、能楽師が、ある曲のシテもしくはそれに準ずる役、狂言、囃子などをはじめて演ずること。特定の難曲や大曲についてしか用いない。修行の成果を披露し、一定の技量を持つことを周囲に認めてもらうための興行として扱われることが多い。

 披きの場合には番組の曲名右肩に「披キ」と書きくわえられることもある。そのことによって、第一に修行成った披露であることの意、第二にそれゆえ未熟であるがそのことを承知で見ていただきたいという意を示す。

wikipediaより引用

もう一つ、能楽の言葉として

能楽にはシテ方、ワキ方、囃子方、狂言方という4つの役があり、それぞれの役者はその専門分野の役のみを担当します。

 シテ方は、能の主役であるシテのほかツレや子方(こかた)、謡の吟唱部分を斉唱する地謡(じうたい)、シテの装束の乱れを直したり、代役を勤めたりする後見(こうけん)などの役を担当します。シテの役柄は、能の主題によって様々ですが、男女の霊、草木の精、神、鬼、妖怪などの役で登場し、それぞれにふさわしい能面をかけて、舞を舞うのが原則です。

能楽への誘い 〜能楽鑑賞の手引き〜 より引用

この中の「修行の成果を披露し、一定の技量を持つことを周囲に認めてもらうため」という意味からすれば、それを誰かに見せる・披露する行為は、自身が行うもので、他人が代わりにするものではないと考えられます。

で、「露(あらわ)す」という言葉の意味は「気持ちなどを、隠さずに公然と示すさま」、「物事が公になるさま」、「表面化するさま」などがあります。

そして、「披(ひら)き露(あらわ)す」を合わせて使用する「披露」の言葉が表すものは、「自らが何らかの成果(内容)を見せる事によって、周囲に認めて(認知して)もらうための行為」と考えられるのです。

例えば、披露宴であれば、新郎新婦を寄り集まった皆さんに「披露」する「宴(うたげ)」となりますし、「技を披露する」となれば、得意な事・修練を積んだ技(特技)を皆さんに見せる行為になります。そして、どちらも見る(見せられる)側が「初めて」的な要素が濃いと考えられます。

では、弔電を披露する場合となると

これを弔電に当てはめると、通夜・葬儀に参列できないからと、故人を偲ぶ気持ちをしたためた文(弔電)を発信したが、都合が変わり参列する事ができた。なので弔電を「披露?」する段取りになって、自らがそれを拝読することになった。この行為を披露というのもおかしい。

これは、弔辞と同じで拝読であって、「弔辞披露」とは聞かないし、言わない。そして、その弔電を、葬儀社が代わりに拝読する場合は「代読」ではと私は考えています。

今でこそサイト上から簡単に電報を打てますが… と、この「打つ」、「打電」の行為が古くは貴重な行動であって、電話がすべての家庭に普及する前には、遠くの人に急ぎモノを伝える手法が郵便ではなく電報だった訳です。

しかも、電報の内容を伝える通話料金は高いし、電報料金も高く、よほどの緊急性がない限り使用しない「貴重なモノ」だったと思います。そんな貴重なモノですから、うやうやしく「披露」するという意識が、言葉として残っているんじゃないかと思います。

なので、バカなりに一生懸命考えてみた答えは、弔電は披露するものではなく、拝読・代読するのが正解じゃないか。というのが、小さなぼやきの種でした。

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